日本のアベルカインの教えは間違っています!(2) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■アベルはカインを愛で自然屈服し長子権復帰した基台の上に真の父母が臨める

「皆さんがここで知らなければならないことは、兄弟同士が戦う所にはいつもサタンが留まるので、真の父母や神様が臨むことができず、善なる霊も協助することができないということです。なぜなら、真の父母はカインとアベルが一つとなった基盤の上に復帰されるようになっているからです。この原則を中心として、個人的にその原則が適用されて勝利するようになるとき、カインはアベルに屈服しなければなりません。カインがアベルに屈服し、アベルが兄となり、カインが弟の立場に立って、アベルを兄として立てて、堕落しなかった本然の兄以上に従順にならなければ復帰することができないのです。これが原理です。

 なぜそうしなければならないかと言うと、堕落していない本来の世界では、長子が祝福を受けるようになっているからです。次子としては祝福を受けることができないのです。ですからサタン世界に行って、サタンが長子としてこの世を支配してきたのでサタン世界と闘って勝利のチャンピオンの贈り物を持ってこなければ、兄の立場、アベルが兄の長子の立場に帰る道がないのです。このようにして不可避的に個人的なカイン、アベルの闘い、氏族、民族、国家、世界型カイン、アベルの闘いを展開しながら、行ったり来たりして、蕩減復帰の歴史を繰り返しているというこの過程を知る人がいなかったために、今まで数多くの宗教人や数多くの信仰者たちが犠牲となったのです。

 それでは、長子屈服の秘法は何かというと、サタンが言うには、「神様も完全なる神様であるし、あなたが捜しておられるアダムとエバも完全なるアダムとエバであり、そのアダム、エバは、堕落していなかったら本然の天使長である私自身を愛するのが原理の基準である。私は堕落して悪くなってはいるが、あなたたちが善で正しい立場にいるならば、悪い私であっても愛したという条件を立てることなくしては、あなたがたは神様の役をすることはできない」。また「私が、神様の前で降参することがあるとしたら、それはあなたが送った人が私を愛し、神様と一緒になって私を愛する立場に立つことです。もし、そのように愛したという条件を立てなくては、長子の権利を次子がもっていく道はない」と。

 だからイエス様は「敵を愛しなさい」と言ったのです。その敵というのは敵個人ではないのです。敵の家庭、敵の民族、敵の国家、敵の世界を愛することなくしては、敵の世界の長子権を取り戻すことができないのです。神様の復帰摂理の歴史的な路程をよく知っているサタンが主張していることを正しく理解しなければなりません。皆さんは個人基準の長子復帰をした後、家庭基準の長子復帰をするために、必ずサタンが家庭的に迫害し、殺そうとする一線に出て行って闘い、愛でもって屈服させて私たちの伝統のすべてを教えてあげて、自然なる心の感動と涙で悔い改め、「あなたのために生命を捧げて祭物となります」という宣誓をさせなくては、そのカイン世界の祝福圏を取り戻してくることができない事実を明確に知らなければなりません。」
(創立三十周年記念日に際して1984年5月1日)



統一教会がこうなっているかどうかを確認してみてください。一方的な要求をされれば双方(アベルカイン)の心霊的復活もありませんね。

ここで、原理講論の堕落論からの引用です。

「(四) 善神の業と悪神の業
 善神というのは、神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちを総称する言葉である。善と悪とがそうであるように、善神の業と悪神の業も、同一のかたちをもって出発し、ただその目的のみを異にするものなのである。
 善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。それゆえに、このような霊的な業は、原理が分からない人にとっては、それを見分けることが非常に困難であるが、時間が経過するに従って、その結果を見て、その内容を知ることができるのである。しかし、堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行うときがある。また悪神の業も、ある期間を経過すれば、善神の業を兼ねて行うときがときたまあるから、原理を知らない立場においては、これを見分けることは難しい。今日において多くの聖職者たちが、これに対する無知から、善神の働きまでも悪神のそれと見なし、神のみ旨に反する立場に立つようになるということは、実に寒心に堪えないことといわなければならない。霊的な現象が次第に多くなる今日において、善神と悪神との業の違いを十分に理解し、これを分立することができない限り、霊人たちを指導することはできないのである。」

今、み旨に疲れていたら、「悪神」の業かもしれません。教会から来ている摂理で「不安と恐怖」を感じていたら、もう一度原点に返って確かめてみてもいいかもしれません。

日本のアベルカインの教えは間違っています!(3)へつづく