日本のアベルカインの教えは間違っています!(3) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■アベルはカインをメシアだと思え!

「だからあんたたちは指導者として、いつも考えなければならないのは周囲の関係だよ。関係が必要だよ。人間は、心情的に欠けた場合はさびしいんだよ。これをどこで補給するかというと食口たちを通してだよ。だからあんたがたに食口たちは絶対に必要だよ。自分たちに力なき場合には、食口たちがこうやって信仰生活をやっているのをみれば、ある時には霊界から教られる。そして自分でたずねて来て報告する。心に燃えて霊的に燃えて報告する。その報告は君たちの何人よりも尊い時間だよ。その時はいくら責任者としても、その報告をしてくれるものは、日々の生活をしてゆくうえでのメシヤと思え。その報告はその一人のために神が授けてくれたんじゃなくて、自分を刺激するために授けてやったわけある。だからその報告をその者の報告と思ったら大まちがいだ。それは自分の身代りの詞しをしていおる。そういう関係が必要だよ。だからそういう関係を結んでこれば、食口たちが恋しくなってくるよ。慕うのである。早くこないか。自分ながら下の食口たちにしたがう心をもつようになる。自分が心霊状態が落ちた場合にはすぐやってくる。正しくない場合には必ず助けがやってくる。それは宇宙の原則だよ。原理の観なんだよ。そうやれば自分たちが誠をつくして食口たちを指導してゆく。」
(「マルスム」p87 祈祷と環境的刺激1974年2月7日松涛本部)

私が現役信者のとき、「マルスム」という単行本ほどのみ言葉集のこの一説が好きでした。今でも、この部分は好きです。人と対するときの私の指針になっています。そのときに深く心に刻まれたのは「どんな人がいつ真理を語ってくれるか分らないから、たとえ乞食や反対する人だとしても謙虚な気持ちで耳を傾けよう。なぜならその人を通して神が真理を語るかも知れないから」ということでした。(これと似たような内容のみ言葉もあったと思うのですが見つかりません)



■何故日本の統一教会が発展しないか

「まあ、アベルとカインとして、アベルにカインは絶対服従、カインのいないところにアベルがあるの? 同等な位置だよ。アベルはあげることであり、カインはもらってそれを返す立場である。だからまことにあげるんだからまことに返してくる。サタン屈服させる方法なんだよ。神は自分をやって損をして、サタンの悪の基準を消耗する蕩減条件を導入して、誰が導入するか、アベルが導入する。いままでの日本の考えで間違っているところがある。カインはアベルに屈服する?そうじゃないよ。あげて蕩減させてやる。蕩減させてやることによって善なる結果が帰ってくるんだよ。蕩減させないところには、善なる結果は帰って来ないよ。善なる基準というのは悪なる基準にとどまらない。悪なる基準を善に返すのは、それ相当の善が蕩減される基準に犠牲にならなければ、悪なる世界において善なる基準は絶対に生まれてきません。だからアベルというものは、カインに善を授けてやらなければならない。蕩減の条件を授けてやらなければならない。
 今まで日本の責任者たちの観念は反対である。絶対服従すればよい。それは通じませんよ。カインがアベルの方に絶対服従するという原則が成り立つか。サタンだよ。絶対服従屈伏するか絶対反発だよ。そういう指導方針はまるきりまちがっている。神の世界とサタンの世界はカイン・アベルにかかわらず、アベルにカインは服従という立場は、そういう原則は反発原則であって、服従はありません。だからそれを服従させるには自分の投入結果が三倍あったらひとつ返ってくる。それは原理原則なんですよ。なぜかといえば蘇生、長成はサタンが持っている。完成基準が神の基準として復帰の基台となっている。だから三倍投入して一つが帰ってくるのが復帰路程の原則である。
 何故日本の統一教会が発展しないか、君たちの信仰姿勢がなっていない。地区長たちの観念的自分の意識観が、天的基準に通じる基準に立っていないことになっている。地区長は命令ばかりするじゃない。寝る時も、みんな寝かして親の立場に立たなければならない。いままで世の中に生まれて自分たちのためにやった親以上に、できないものは天的指導者としては零である。ものがあった場合、いいものは自分。これじゃサタンより悪いじゃないか。いいものがあったら自分が食う。いいものがあったら自分が着るし、そうはいけない。これは原則に違反する。だからいくら真心を尽くしてやってみたか、涙ながらにやってみたか。手を握りながら自分が責任をもってこれを生かしてやらなければ、ならないというような心情圏に立ったものがいくらあるか、反省しなければならないよ。
 だから原理的指導方法をいつも考えなければならない。カイン・アベルの言葉の方法をなしえたって結果はとんでもない結果になる。原則的方法を適用することによって、原則的発展をみなすのが原理であって基準を立てずしては原理的結果は生まれてこないが自然だよ。問題はそこなんだよ。だから食口たちは必要だ。絶対必要だ。朝御飯より必要なのが食口だよ。」
(祈祷と環境的刺激1974年2月7日松涛本部)


日本統一教会での韓国指導者は命令ばかりしていませんか?
韓国から来た責任者は献金を生活費や不正蓄財に使用していませんか?
また、アベルは事情も考えず献金しないからとカイン(末端信者)を「サタン」呼ばわりしていませんか?

もしそうであれば、その教会は発展しないと文教祖はみ言葉で語っています。



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