2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ5日目。東西に延びるモンパルナス大通りで郵便局に寄ってから、サン・ジェルマン大通りを目印に左折。進路を北に取り、リュクサンブール公園まできました。





part170平面vs立体? 日仏比較花壇考








要約: リュクサンブール公園Jardin du Luxembourgを通ってホテルまで帰る道すがら、またもやフランスの偉大なる美的構築力を思い知った。花壇のなんと立体的なことか。パリのカフェはひどいが、それ以外はフランスには見るべきところがたくさんある。外国を見ていると、日本の平面さが見える。









足取り軽く歩いていくと、小さな公園の入り口に着いた。まるでどこかの家の裏門のような小さな鉄の門が付いている。門に鍵は掛かっておらず、そのまま開けて公園の中へ入る。入場料がかかるわけでもないのに、なぜいちいち門で仕切るのだろう?





リュクサンブール公園Jardin du Luxembourgは、小さな2つの公園(庭園)と南北に繋がっており、一番北にある一番大きなものが、リュクサンブール公園なのである。我々は小さな公園を2つ突っ切って、リュクサンブール公園に南側から入るわけだ。





モンパルナス通りに近い一番南側の公園は、入ってすぐに噴水があった。細長いその公園のほとんど全面積を占めるような大きな円形の噴水である。フランス人は本当に噴水が好きだなぁ。





噴水というと、たいてい中心から外へ向かって水が弧を描いて噴き上がっているものを想像してしまうが、ここの噴水は違った。





外側(円周側)から中心の一点に向かって、消防車の放水のように一直線に勢いよく水が噴出しているのだ。噴水の中央には青銅像が立っているのだが、これがまたちょっと変わっていた。





数人の人間で地球らしい球体を掲げ持っているのだ。その地球の周りにはさらに鉄柵でできたような一回り大きな球体があり、地球はその中に浮かんで見える。宇宙の中の地球を表しているようだ。ふ~ん? なんだか、ちょっとすごいような、そうでもないような……。しっくりこない青銅像であった。放水加減といい、ちょっと情緒に欠けるって感じか? 





次の公園も細長いものだった。 (追記: 後にガイドブックで確かめたところ、最初と真ん中の公園は 「公園jardin」 ではなく 「庭園jardin」 らしい。フランス語にしたら同じjardinが日本語訳だと分けられるのはなぜかしら???) 





そしていよいよリュクサンブール公園に入ると、敷地がぐっと広がる。道の真中に背の高い並木が2列南北にまっすぐ植えられている。寸分(すんぶん)の狂いもないようにきーっちりと並んだその並木! きーちりそろったその並木の高さ! 切り揃(そろ)えているようにも見えないのに、どーしたらこんなに並木がきっちり揃うものかしら? 





並木の両脇のアスファルト歩道とは別に、二列に並んだ並木の下はそれだけでも十分広い空間で (大人が7人並んで歩けるくらい)、柔らかなさらさらした土が敷かれている。この並木の前に立つと、「さぁ、お歩きなさい。」と天の声(並木の精の声?)が聞こえてくる。促されるままに、歩く。柔らかく乾いた土の上を、たださくさくと歩く。まるで左右の並木に傅(かしず)かれているような気分だ。





振り仰げば、二列の並木が葉を茂らせて空をほとんど覆い隠しているが、その緑の谷間に一直線に空の色。ほんの5cm(?)幅に、真一文字に空がある。一直線の空! 空さえ幾何学的にデザインしてみせたのか? 何もかも計算づくでこの並木を植えたのか? 恐るべし、リュクサンブール公園!





フランスの公園はとにかく広い。ゆったりした空間の中では時間さえゆったりと流れて行くということが体感できる。特にリュクサンブール公園は広い上に花の香りが立ち込めたそれはそれは美しい公園であった。





噴水があり、花壇があり、例によって鉄製の緑色の一人掛けチェアがあちらこちらに置かれている。(part159参照) 皆、自由にその椅子を使って寛いでいる。





一面青々と茂った芝生と、野性のブーケのように彩りを計算されて植えられている花々とその香り。その中で一人掛けの椅子にゆったりと腰掛けて空を仰げば、もうアロマテラピーを受けているようなものだ。





しかし最もみごとだったのは、花壇の立体感だ。





まず背の低い花が地面を埋め尽くす。真っ赤な花と、同じ低さの白っぽい緑の葉。線香花火の火花ような形をした葉っぱだ。





そしてそれよりやや背丈の高い紫の花と淡い黄色の花が、点々と添えられ、さらにもっと背の高い薄ピンクの花と薄く黄味がかった白い花が所々群がるように植えられている。





全体をぼんやり眺めると、紫と薄いピンクがグラデーションのように見える。高い所の「薄ピンク」から「紫」へ、そして地面すれすれの「赤」へと、遠目には花々が波立っているようにも見える。





葉も濃い緑、薄い緑、いろいろ取り揃(そろ)えてある。細長い大きな葉もあれば、くりくりした小さな葉もある。フリルのような面白い形の大きな葉っぱは、それだけでみごとな “緑の彫刻” といった感がある。





そう。花壇一つとっても全体が立体的、造形的なのだ。これに比べて、日本の花壇のなんと平面的なことか! この立体感は日本にはないじょ! むしろわざと高さを統一させて、花壇を平面的に保とうとしているようではないか? まるで「平面」こそが「統一」と言わんばかりに。そう言えば、「出る杭は打たれる」などという言い回しもある。日本は平面から突き出たものが嫌いなのか?





水の流れをとってみても、日本は流れや音を重視した 「筧(かけい)」 を重用するのに対して、西欧は宙へ噴き上げる噴水を作り出したというのは周知の文化論だが、噴水に見られる空間への挑戦、立体的構築というものが、ここリュクサンブール公園の花壇にも見て取れるではないか。日本の花壇の平面性は、立体感覚の欠如と取るべきか、平面への嗜好と取るべきか……?





 しかし、平面的な日本の花壇と立体的に配置されたリュクサンブール公園の花壇を比較して見たとき、私は圧倒的にリュクサンブール公園の方に軍配を上げる。





平面vs立体……他にも思い当たる。座布団vs椅子、活け花の平たい花器vs背の高い花瓶、箸vsフォーク、和菓子vs洋菓子、日本画vs洋画(油絵)、日本人の身体vs欧米人の身体、下駄vs靴、着物vs洋服、日本手ぬぐいvsタオル、柘植(つげ)の櫛vsブラシ、……etc。





ああっ! 平面的な顔をした日本人はやはり物を立体的に作り上げようという意識が希薄なんではないの? あらゆるものを二次元的に捉えようとしてしまうんじゃないの? そうでなけりゃ、なんで私はこの公園の立体的美しさにこんなにも打ちのめされるの?! ああっ!? なんで夫の後頭部は絶壁なの? ああっ! (……こうなると、ほとんどイチャモンである。 ……絶壁だって、いいぞ、夫よ。大切なのはその絶壁の内側だ。脳髄だ。ハートだ……。)





一人悶々としている妻など知ったこっちゃなく、夫は一人悠々と憩いのひと時を満喫のご様子。妻が彼の前も後ろも平面な頭蓋骨とフランス文化を比較しているなど知る由もない。





さて、そろそろ公園散策を再開しよう。立体的造形美に打ちのめされ、己の“平面”コンプレックスにさいなまれながらも、溢れ漂う花の香りにいつしかすっかり疲れは吹き飛んでいたのであった。





リュクサンブール公園の中にはたいそう大きな厳めしくも美しい建物が建っていた。それは何と上院議院(元老院)であった。道理で警官がやたら公園内をうろついているはずだ。 (追記:別の年にリュクサンブール公園を訪れたら、警官など一人もいなかったので、この時は特別に何かあったのかもしれない。)





公の、それも上院議院という政治の館の前で、人々は乳母車を押したり、椅子に座り込んでぼーっとしていたり、遊んだりしているのだ。なんと開放的なあり方だろう。フランスの公園のあり方、公共の建築物の利用のあり方には本当に驚かされる。日本のあり方が理不尽なものに思えてくる。国民の税金で建てたものを国民が利用できる、当然の権利だよね。





日本は 「裏と表」 という平面的なものの見方が代表的なのに対し、フランスは物事を多角的に見るということさえ言えるのではないだろうか。 ……などと何かにつけ、日本の平面的、二元論的、のっぺりした閉塞感を感じてしまったリュクサンブール公園であった。





空はまだ青く、陽はまだまだ沈みそうにない。






追記①: 「天文台の泉」 





ガイドブックを読んで後でわかったことだが、一番南端の公園の噴水は、「Fontaine de l’Observatoire(天文台の泉)」 という名が付いていた。なーるほど! だから地球を持ち上げていたのか。地球の周りの鉄柵球は宇宙空間を示していたのね! と納得。パリでは、「なんだか妙だな? 」と思われるオブジェは、大抵何かの記念碑だったりする。ダイアナ元王妃の追悼碑もそうだったが、とても違和感のあるオブジェが多い。





我々はモンパルナス通りを左折して公園へ入っていったが、右折していれば 「パリ天文台 Observatoire de Paris」 があったのだった。なになに。1667年、ルイ14世が建設を決定? 今現在も稼動しているぅ? そこで 「海王星の発見」 がなされたぁ? 「世界最大級の天文研究所の一つ」? ほぇぇぇぇ。そんなすごい所なら、ちょっと足を延ばして寄ってくればよかったよ。噴水の青銅像に大きなプレートでも付けて、もうちょっと説明を入れておいてくれればなぁ。 「本当の天文台はあっちだよ♡ 見なきゃ損っ♪」 とか何とか。





追記②:立体的日本文化もあるね。



 ついつい日本文化が平面的だ! と絶壁に近い、いや、絶望に近い思いに打ちひしがれたが、よくよく考えれば、立体的なものも色々あった。日本髪と簪(かんざし)、日本料理の盛り方、和食器の形、etc。「空間への挑戦」だって、「花火」というすばらしい日本文化でなされているじゃないか! しかし、骨格はどーしたって、平面的だよなぁ……。 


            つづく


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