このように身体を地に投げ出すようにして祈る。何度も起き上がっては、スライドするように前かがみになって地に全身を投げ打つ。これを何時間もする人々がチベットにはいる。何故このような傍目に見てもきつそうな祈りを延々と続けるのか・・。
カイラス山などの聖地へ、このように五体投地をしながら何年もかかって巡礼する人々もいるのだ。しかし中国政府はカイラス山へのチベット人の巡礼を禁止にするという噂を聞いた。
五体投地をしていない時は、手にマニ車を持ち回している。一回まわすごとにオム・マニ・パドメ・フム、のお経を唱えた事になるらしい。
お寺にあるマニ車。人々はマニ車を回しながら右回りに何時間も回る。この女性は五体投地しながら回るため、身体を丈夫な袋で保護していたのだ。
私もチベットの人々に混じりラルンガル・ゴンパの宿から近いこのお寺で何時間か、マニ車を回しながら回ってみた。宗教的な唄を歌う女性の声が聞こえ、その声量の大きさといい声といい余りにも素晴らしかった。それを聞きながら、疲れるまで回ってみようと決心した。実際回ってみると、バス旅の疲れがあったはずなのにそれを感じなくなってしまった。
唄を歌う女性は裸足の子供を何人か連れた乞食で、地面に座りながら歌っていた。沢山の人々が彼女の素晴らしい唄声に1元札を渡していた。
今までチベット人がぐるぐるとマニ車の周りを回っているのを見て何が面白いのだろうと思っていたが、自分でやってみるとある事に気が付いた。
確かに面白くはないのだが、金色のマニ車を右回りにくるくる回しながら、自分もまた右回りにくるくる回る 。これを繰り返すことで、一種のトランス状態に入る事が出来るのだ。
一種の安らぎを感じるともいえる、トランス状態になった脳は心地よい。その状態を得るので人々は何時間もこの動作を繰り返すことができるのだと。
五体投地もトランス状態を導く事が出来るだろうか?その答えを是非聞きたいと思った。しかし、聞かなくても何故か答えは自分の頭の中にすっと入ってきた。
五体投地は全く別の祈りである。大地である「地球」を尊敬する祈りなのではないかと気が付いた。母なる大地に、まるで大きなハグをするような意味ではないかと・・・。