創りたいのは自死ゼロと事故ゼロの世界
【うつ専門メンタルコーチ&講師】
安田伸也です。
時間は過去から未来へ流れているのだろうか?
それとも、未来から過去へ流れているのだろうか?
時間を川に例えると、そんな疑問が湧いてくる。
あなたは、どちらの説を採用しているだろう。
それでは、時間は過去から未来へ流れていくとしよう。
そう仮説を立てると、過去に起こったことが未来へ影響する。
そういう理論が成り立つかもしれない。
例えば、子どもの頃に虐めを受けたから、今は自己肯定感が低く何をやってもうまく行くとは思えない。
だから、積極的に行動できない。
そんな状態になるかもしれない。
しかし、こんな寓話がある。
過酷な環境で育った双子の男の子がいた。
その双子の父親は、麻薬中毒患者で酒に酔っては母親と子どもに暴力を振るった。
双子が30歳になった時、ある心理学者が2人にインタビューをしたそうだ。
双子の内の1人は、父親と同じく薬物中毒になり生活保護を受けていた。
そして、彼の暴力が原因で、妻と子どもは家を逃げ出していた。
心理学者は訊ねた。
「あなたは何故、こんな事を自分と家族にしたのですか?」
男は答えた。
「あんな環境に育った私に、これ以外何が出来るというのだ!」
双子のうちもう一方は、ビジネスで成功して幸せな結婚をし、素晴らしい親になっていた。
心理学者は訊ねた。
「あなたは何故、これほどのことを成し遂げられたのですか?」
男は答えた。
「あんな家庭に育った私に、これ以外何が出来ると言うのだ!」
余談になるが、わたしは小学生の頃、自分の気持ちや考えを人になかなか伝えられなかった。
否定されるのが、怖かったからだ。
なので、人から何かを訊かれても、ウジウジして答えられず黙っていた。
また、人見知りが激しくて、クラスメートの輪にも入って行けなかった。
当然、やんちゃな友人からは格好の的にされ、当時流行していたプロレスのワザをかけられたりして虐められた。
そんな自分が嫌で仕方なかった。
だから、強くなりたい一心で中学生時代に柔道部へ入部した。
ところが、そこでも先輩に虐めのようなシゴキを受けるという試練が待っていたのだが、虐められたからこそ、強くなりたいと願ったのだ。
話を戻そう。
この寓話のように、過去は変えられないというが、解釈は変えられる。
過去はどう影響するかは、人それぞれと言えるだろう。
しかし、未来が過去に縛られるのは少々窮屈に感じる。
では、未来から過去へ流れていると考えるとどうだろう。
わたしは、コーチなのでこちらの説を採りたい。
例えば、あなたが旅行へ行こうとした場合、最初に何を決めるだろうか?
何をしたいかという「目的」と、何月何日から何日間旅行するかという「日程」を決めるのではないだろうか。
目的地と日程。
まず、旅をする日を確定させないと、目的地までのチケットの手配が出来ないし、宿泊先も予約できない。
決めるから、あなたは旅行へ出発する日が段々近づいてくるのを楽しみに準備ができるのだ。
例えば、あなたが家を建てるとしよう。
どんな家をいつまでに完成させたい。
そんな、未来を想い描くから、工務店へ発注できるのではないだろうか?
例えば、あなたが受験するとしよう……
もう、わたしが何が言いたいかお分かりだろう。
コーチングの目標設定には、目的と期日が欠かせない。
いつか叶えたい夢は、いつまで経っても叶わない。
いつまでに、どうなっていたいか?
それを決めるから、目標へ向けて日々努力したり、勉強したり、行動できるのだ。
なので、コーチとしては、未来から過去へ時間が流れる説を採用したい。
だが、しかしだ。
ちゃぶ台をひっくり返すようで申し訳ないが、実は時間には「今」しか存在しない。
過去は単なる記憶に過ぎず、未来は妄想でしかない。
過去も未来も存在しない。
人間の脳は、イメージした事を現在起きている事と認識する。
だから、過去にあった辛い事を思い出せば、今起きているように辛くなる。
そして、未来のありたい姿を妄想するから、ワクワクするのだ。
過去や未来は、あたかも存在するかのように感じるが、時間は「今」の連続でしかない。
人間に与えられているのは「今」だけなのだ。
もちろん、SFのようにタイムマシンが発明されたら、また事情が違ってくるかもしれないが。
アドラー心理学の創始者、アルフレッド・アドラーはこう言っている。
「今を踊るように生きろ」
何も今が良ければ良いという刹那的な意味ではない。
今を楽しみむ事で、活力が湧き「今」をより良く生きることができる。
そして、過ぎ去った過去を後悔するのでは無く、未だ来ぬ未来を不安視するのではなく「今」を生きることで、後悔や不安は消える。
過去の出来事で後悔している自分。
未来の不安に怯えている自分を今ここに戻す。
「今はどうだろうか?」と自分を今ここへ連れてくる。
それが「地に足を付ける」という事だと思うがいかがだろうか?
坐禅や瞑想が心の安定に良いとされるのは、呼吸に集中することで思い悩んでいる思考を止め、自分を今ここへ連れ戻すからだ。
以前、自殺志願者の方の支援をしている根本一徹和尚の講演会の時に聞いた言葉がある。
「死ぬということは、その人の時間が止まることです」
わたしは、自分の時間がいつ止まるか分からないが、未来へ向かって動いている間は、目一杯自分の人生を楽み、今を踊るように生きよう。
そう決めている。
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