創りたいのは自死ゼロと労災ゼロの世界
 

【うつ専門メンタルコーチ&講師】

安田伸也です。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。



年初にあたって、わたしがどうして今の仕事をしているのか。


どうして「自死ゼロ」「労災ゼロ」の世界を創りたいのか。

いつも講演でお話ししていること。

 

それを4回に分けて投稿します。

ぜひ最後までお付き合いくださいませ。



【潜水士の始まり】
 

わたしが、海上保安庁の潜水士になったのは21歳の時。

 

もう、今から40年以上前のことです。


高校を卒業して、船乗りになりたくて商船大学などを受験したのですが、もともと勉強が嫌いだったのであえなく撃沈。


1浪したけどまた失敗。


親戚のツテで半年アルバイトをしたのちに、船に乗れるならと海上保安庁の採用試験に応募して運良く採用になりました。


昭和56年の事です。


当時は、今と違って景気が良かったので、公務員はあまり人気が無かったのでラッキーでした。



海上保安庁は、よく海上自衛隊と間違われるのですが、現在の国土交通省、当時は運輸省の組織です。



わたしも入庁するまで、正直なにをやっている所なのか全く知りませんでした。(^_^;



京都府舞鶴市にある海上保安学校で、1年間船乗りになるための勉強や警察官としての勉強をしたのちに現地の巡視船へ配属となりました。


その船は、潜水指定船と呼ばれる潜水士が乗り組んでいる巡視船。



映画「海猿」で有名になった潜水士です。


今でこそ、潜水士はあの映画で多くの人に知られるようになりましたが、当時一般人の知名度はほとんどゼロ。


クリスマスパーティで、出会った女性に
「海に潜って何してるの?お魚捕っているんですか?」
と訊かれたこともあります。



だから、今の若者のように
「海難救助をやりたい!」
とか
「人を救助するカッコいい仕事がしたい!」
とか

そんな憧れも情熱も、全くありませんでした。(笑)


潜水士と言っても、それだけをしていれば良いという訳じゃなくて、一般海上保安官の業務に加えて潜水士の業務や訓練があるのです。


ですから、職場でも忙しく苦しい訓練をする割に報われることも少なくて、どちらかというと人気の無い職種でした。


配属から1年後にわたしも、
「お前、潜水研修へ行ってこい」
と言われ、半ば仕事だからという理由で潜水研修へ行き、潜水士になりました。


当時の潜水研修は約1か月と10日。


最初の約2週間のプール実習は、まさに地獄の日々でしたね。


毎日重い足取りで、プールへ向かったのを覚えています。

5キロのウエイト(おもり)を持って15分立ち泳ぎをしたり、プールの底へ沈んで2分30秒の息こらえをしたり...

時々、気を失う研修生もいて、まあ大変でした。


だけど、人間簡単には死なないなというのだけはわかりましたね。


潜水研修の動画は、YouTubeにいっぱい上がっているのでご興味のある方は見てください。


そして、10月中旬、無事に任命を受けて元の潜水指定船へ戻りました。



たしか、翌月の11月だったと思います。

 

管内の港で車が海へ転落したとの情報が、岸壁に着岸中の巡視船内に入ったのです。



初めて潜水士としての出動です。


長くなりましたので、続きは、また次回。



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