自分を受け入れたときの心の日記 | ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

先日、相模湖を訪れてから自分の心境が違う。

 

 

 

 

未来への警戒心が落ちた感じだ。

 

いつもと同じような具合で布団に入り、DB芸人(R藤本、アイデンティティやらの芸人がドラゴンボールのキャラに扮する)の動画を観て、

 

いつもと同じ回転寿司に行き、納豆巻き、玉子、そして大量のガリを食らう。

 

そんな感じで同じような生活を営み、

 

客観的にはそのルーティンからは建設的な評価をできる材料は何もない。

 

「これでいいんだ。

 

誰が何と言おうと、こんな生活は今後も営まれ、これが俺だ。」

 

という感覚だ。

 

 

 

人生の選択肢なんて一つに収束されていき、

 

結局はその一つの人生を生きるしかない。

 

その一つの人生は納得できるものでありたいし、

 

しかも自分の力が最大限に活かせるものであってほしい。

 

 

あれもこれも選ぶ人生は無理だ。

 

もともと他人より劣っている能力が多すぎるのだし、

 

一点突破でも自分の強みが活かされる人生を。

 

 

 

ASDという脳みそは決して自分が望んで手にしたわけではないが、

 

それを活かしてみるとどんな世界で生きることになるのかを確認しにいく人生を経験するも良かろう。

 

おそらくは大多数の人は経験できない人生だし、ある意味で特権な気もする。

 

それは『幸せ』というよりは『納得できる』人生である。

 

実はそれは奥深い魂レベルでは幸せといえる気がする。

 

 

 

他人との関わりは、狭く浅く、そして必要に応じて深いものでありたい。

 

基本的には、他人との距離感は遠い方が自分が脅かされなくて安心できる。

 

それでいいのだ。

 

他人という存在と近しい関係を構築したくてもできない人生だったが、

 

それはそれでよかったと割り切れた。

 

他人との関わりは遠い距離感から、自分の人生を納得できるような日々を過ごすのみ。

 

近しくなると、自分の方向性がブレるのでそこは肝に銘じておくこと。