村で隠居生活を送るつもりが週6日働いてしまっている件について | 自閉症の山奥中年ニートのゆるい暮らし。ときどき投資。

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山奥のシェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。

発達障害者には『過集中』という特性があり、とにかく集中しまくってしまうケースがあります。

 

ADHDの人の中には、ぶっ通しで1週間丸々絵を描くことに集中しすぎて寝食を忘れ、脱水状態になってしまい病院に運ばれたという人も知っています。

 

私もそこまではいかないまでも、近しい経験をしたことがあります。

 

興味がないことには興味がなく、興味があることに対してはとことん追求してしまう。。。(興味がなくとも、周りに合わせるために興味ある風に擬態して生きるのは大変・・・)

 

という感じで、バランスの取り方が下手なんですよね。

 

ASDの私はというと、ワーカホリックになるか、完全ニートになるか二者択一しかない。

 

中庸というものが分からない、中庸というのが気持ち悪い。

 

気分転換というものができない。

 

けれども『中庸』や『気分転換』は一般的にはみんなやってるから、自分も真似して「気分転換してくるわ~」「ほどほどにやろうぜ」と言葉は発しても、実は発言している俺自身がその感覚を理解していない笑

 

「気分転換できた~」←実はまったくできていない

 

みたいな感じで生きてきました。

 

 

 

村に住んでからというもの、暇で暇で気付いたら毎日バイトしてしまっている。その度に後悔することがある。「また今日も働いてしまった・・・」実は明らかに身体は疲れているのだ。疲労が溜まっている。にも関わらず働いてしまう。中庸を知らないからだ。

 

しかし一番の救いは、一般社会の働き方とは違い『必要な時に必要な分だけ働く』を選ぶことができるということ。だから極論来週の仕事の予定なんてまったく入れずに完全オフにすることなんて可能なのだ。

 

「やっぱり人間それぞれ個人差があって、得手不得手も人それぞれだよなぁ。個人に合った働き方をしていかないと、長続きしないし、健やかな人生を送れないよなぁ」と痛感する。

 

社会人していた頃、家に帰ってからも仕事のことばかり考えていた。「アイツとは仕事したくないなぁ」と考えてストレスを抱えてしまうのは、仕事内容よりも人間関係だった。それが明日も明後日も、来週も来月も、数ヶ月先も数年後も続く…一体いつ気が休まるのだろうか?

 

仕事では苦手を克服するのはコスパ&タイパが悪い。苦手を克服できる人なんてシンデレラストーリー的に語れるのはヒーロー気分だが、そんな人なんて一握りで大多数は潰されてしまうのが現状だ。精神疾患抱える人なんて日本に何千万人いるよ?

 

その人の得意分野をやらせておけば最大のパフォーマンスが発揮できるのになぁ。別に特別な得意分野がない人でも、その人が苦手意識を持つ分野には無理に取り組ませないほうがダントツで良いに決まっている。無理にやらせるから上手くできなくて、周りの人から「使えない奴」認定されていき、同僚からの当たりもキツくなっていく。そして当人がやらかしてもいないミスを「またアイツがやらかした!」という事実無根の罪を着せられて、当人は精神的に病んでしまい仕事が嫌になってしまって、職場に居場所がなくってしまうというお決まりのパターンに陥るのだ。これには心当たりがある人も多いのじゃないだろうか。

 

村人はみんなおっとりしている。すごく人間関係に恵まれている。社会人していた頃は、職場の人たちなんてみんなギスギスしていた空気が嘘みたいだ。だから、上記に書いてきたのとは裏腹な想いなんだが、たぶん働くのが好きになっている自分もいることは確かなのだ。

 

「仕事なんて内容は何だっていい。一番大事なのは人間関係だ。」

 

つくづく痛感してしまう。

 

俺は俺で苦手とする分野の仕事の依頼は引き受けない。特に苦手意識を持たない仕事だけをやっている。これがサイコーだ。そんな働き方で生きていけるなら、どれだけの多くの人が生きやすくなるだろう。