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 『22を超えてゆけ』 シリーズを著したスピリチュアル系著者として、熱い注目を集めていた辻麻里子さんの未完の遺作。2019年3月初版。

 

 

【命の灯火と交換してでもやる価値のあるもの : 魂の仕事】

「よく聞くがいい。お前は獅子の心臓から放たれる光を使って惑星地球へと突入した。獅子の心臓には、情熱と冷静が共存しているのだ。・・・中略・・・。
 宇宙的見地に立てば、人類最高峰の創造とは、冷静と情熱の聖なるバランスを保ち、共存したときにあらわれるのだ。見える世界と見えない世界が出合い、その狭間で創造がなされるといってもいいだろう。・・・中略・・・。
 半分は人間の力をもって、半分は目に見えない宇宙の叡智が介在して『青の書』は書かれるだろう」(p.32-33)

 『青の書』を書くという約束を反故にさせないために、ガイドが辻さんの誕生日のホロスコープにある獅子座に関する内容を語っている部分。
「それでは、もっと直接的な理由を示そうではないか。
 お前はかつて、星の扉の翻訳作業にあたった際に、星の扉から見た8月23日を『情熱と冷静の間』と訳した。
 さらに、お前は8月22日と23日の星の扉が反転していることに気がついてしまったのだから、『青の書』をやってもらわねば」  (p.34)
 この記述は、下記リンクにある。
    《参照》   『宇宙の羅針盤(下)』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット) 《後編》

              【8月22日と8月23日の間の見えない鏡】
 それでも嫌がっている辻さんに対して、ガイドはこう言っている。

 「・・・中略・・・。星の配置を教えたあの者たちは、死の直前まで魂の仕事を嬉々として行っていたのだよ。命の灯火と交換してでもやる価値のあるものが魂の仕事なのだ。・・・中略・・・」 (p.40) 
 辻さんのように特別な使命を持って生まれたのでもない我々凡人であっても、この生において、本当にやる価値があるものは、“魂の仕事” だけだろう。それぞれの学びの段階によって、やるべき仕事は違っているだろうけど、最終的には “魂の仕事” に殉じたまま、この命を終えたいもの。

 

 

【夢見の技法】
 夢はコントロールできるものなので「夢を見ない」という設定も可能である。夢見の秘訣は、目醒めている時にいかにプログラムを設定するかにかかっている。もし誰かに夢見の方法を伝授する機会があるとしたら、そのポイントは、「どのように夢をプログラムするか」この一点に尽きるだろう。(p.52)
 夢見をプログラミングする技法を具体的かつ詳細に書き残しておいてほしかった、と思う読者はたくさんいることだろう。本書内には、以下のように記述されているだけ。
 その方法は、座標軸を設定して、時間軸と空間軸に数値を代入、そして特定のコードである夢の題名を。名前がわかっている相手はアクセスしやすいが、名前がわからない相手は座標軸を設定して外枠から埋めていくしかない。そして夢の中で「あの人物」を捕まえようとしていると、まんまとターゲットとなる人物が特定の時空領域を通過している。座標軸の中心点をターゲットのハートの中心に固定すれば、捕獲成功。(p.63)
 PCで遊ぶことができる異次元サバイバル・ゲームさながらである。

 

 

【ツェー・ゲー】
 辻さんは、夢見の技法を用いて、ある人物を捕獲した。

「待ってださい。あなたは誰ですか?
 ユングさんですか、それともユングさんのガイドですか?」 
 ・・・中略・・・。
「夢を探求するものよ」 その人は少し改まった表情で、おもむろに振り返った。「そう、ツェー・ゲーも夢を探求するものだった」
「ツェー・ゲー?」 ・・・中略・・・。
「C・G と書いて、ツェー・ゲーと読む。・・・中略・・・お前の魂はオーストリアと深い関係にあるのだから、何度生まれ変わってもドイツ語の響きくらいは覚えているだろう」 (p.63-65)
 日本語の書物において、ユングは、カール・グスタフ・ユング、ないし、C・G・ユング、と表記されているだろう。

 

 

【C・G・ユングと東洋人女性】
「ツェー・ゲーとは、夢の世界に踏み込んだ人物である。
 ・・・中略・・・。
 時を経て、その本が金庫から取り出され一般公開される頃、時は革命前夜。20世紀から21世紀に生きる一人の東洋人女性に白羽の矢が立てられたのだ。・・・中略・・・。
 両者の共通点は、『夢の領域を探求する者』である。
 ・・・中略・・・。
 しかし、もう一度言うが、私が誰であろうと関係がない。我々は夢の領域に特化した作品が欲しいのであって、求められるのはその純度、すなわち透明度なのだ。
 かつて、西洋の男性が『赤の書』を書いた。その対極にある『青の書』を東洋の女性が書くことになっている。それが宇宙のバランスというものだ。・・・中略・・・」 (p.65-66)
 『赤の書』は、ユングが残した書物。そして、『青の書』は、東洋人女性、すなわち辻麻里子さんが書くべきであった書物。それが未完のまま『藍の書』として出されたのが本書。

 

 

【 『紫の書』 】
「最終的には、赤と青の奥義を用いて一人ひとりが『紫の書』の完成させることだ。ようするに情熱と冷静さをもって、『紫の書』を精製するのだよ。(p.67)
 『青の書』を書くことになっていた東洋人女性が、日本人の辻さんであったことに不思議はない。辻さんの著作を読んでいる日本人は、日本語という共通言語基盤の上に立っているのだから、誰であれ自分なりの『紫の書』を精製することはできるはず。
 仮に、『青の書』が、日本人(辻さん)以外の東洋人女性によって書かれていたとしても、色彩の周波数において『青』より繊細な周波数である『紫』は、最終到達点を示す色であり、“日本の色” である。
 そして、『青』と『紫』の中間色である『藍』の字を用いて、本書が『藍(あお)の書』と題されているのは、『紫』へ向かう道標が少なからず示されているからなのだろうと思ったりもするのだし、“出藍の誉れ”という諺から、本書を読んだ後続の日本人の誰かが、未完部分を補って余りある内容の著作を著してくれるであろうという期待が込められているようにも思える。
 ところで、
 下記リンクを辿れば、意識ワークにおいて色彩が持つメカニズムが分かるでしょうし、西洋オカルティズムにおける中心人物名(セント・ジャーメインとマーリン)も出てくるので、参考になるかもしれない。
    《参照》   『プレアデス・メシアメジャーとエドガー・ケイシーの未来リーディング』 白鳥哲・小川雅弘・村中愛

              【祈りと色】

「結局は・・・あなたがたは『紫の書』がほしいのですか?」 
「そういうことだ」
「ゴールは『青の書』ではなく、その先に『紫の書』があるとでも?」
「その通り。・・・中略・・・。
 さらに、書物がひもとかれ、地上に降ろされる時期に関しては、人間の集合意識の進化と大いに関係があるのだよ」  (p.67)
 ということは、
 “書物(本書)がひもとかれ、地上に降ろされた時期” は、今年、2019年3月。
 今、現在の “人間の集合意識の進化状況” は、「青」より「紫」に近い「藍」、即ち『青の書』ではなく『藍の書』を読むに相応しい周波数状況になったということなのだろうか。
 あるいは、迫っているイベントの時まで、時間がない、もう待てないから、加速させるために、本書が出されたのだろうか、と思ったりもする。

 

 

【「革命前夜」】
 この人物が言ったある言葉が私には気にかかっていた。「革命前夜」とは何を指しているのだろうかと・・・。 (p.68)
 「革命前夜」とは、上記の 【C・G・ユングと東洋人女性】 に書き出した中に出てくる言葉なので、その文脈からすれば、辻さんに白羽の矢が立った時期のことを指していることになる。
 しかし、辻さんが未完のまま『藍の書』を遺して宇宙に帰ってしまった現時点において、「革命前夜」の意味を読みかえようとするなら、「革命前夜」とは、地球人類の集合意識が、宇宙に向けて放たれる時代の直前、ないし次元上昇(アセンション)の直前を指していると考えることもできる。

 

 

【自由度の高い電子】
 そう、夢の探究者には守らなければいけない原則がある。大前提とでも言えるような根本的なルールがある。それは「必ずここに戻ってくる」というルール。夢の世界を探求すると次元の仕組みや魂の仕組みを垣間見てしまうので、その仕組みの一端を知れば、このサイクルから安易に離脱を試みるものもいるだろう。それを防ぐためにも夢の世界にはヴェールがかけられ、生きているうちは全てを見ることを阻んでいるのかもしれない。それは生命を維持するために必要な生命維持装置のようなものだろう。
「自由度の高い電子」とはその生命維持装置が一旦外れてしまって、それを無理矢理つなぎとめているのかもしれない。誤解を恐れずに言えば、私はつなぎとめてはいない。フィールドを形状記憶しているだけだろう。きっとリミッターが振り切れてしまっているのだ。自由度の高い電子について私は直感的に理解した。(p.72)
 ここで言っている「自由度の高い電子」とは、『22を超えてゆけ』シリーズの中で、ガイドが辻さんを評して言っていた比喩表現のこと。

 

 

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