イメージ 1

 スピ系著作の中でもサアラさんの著作はちょっと違う。それは横帯にあるように「私自身の記憶は、この地球という惑星に生まれてくる前の宇宙文明の記憶を保持しているから」だろう。長い読書記録を書いてしまったけれど、それでも全体からすればごくごく一部、本書の全部を読まなければ意味がない。2018年7月初版。

 

 

【ヒューマノイド型人類の起源】
(ヒューマノイド型)人類が出現したのはこの琴座星系(リラまたはライラ)ベガ星です。ですからこの種族たちはもともとベガ人と呼ばれていましたが、後に生息エリアが拡大してライラもしくはリラと呼ばれています。(p.25)
   《参照》  『空なる叡智へ』 サアラ (ヒカルランド) 《前編》
            【琴座のベガ星系に文明を展開していたリラ人】

 誕生間もないころのヒューマノイド型人類は、ちょっとキモイというか、ちょっと可愛い外見だったらしい。
 ヒューマノイド型人類は、穏やかさを持った新しい生命体として生み出された種族だった(p.23)。
 ところで宇宙に存在する生命形態はヒューマノイド型だけではない。

 

 

【さまざまな宇宙種族】
 それまで存在していたのはゴジラのような格好をした、直立していても道具を使うことのできる長い手足を持っていない竜族、竜族の中には翼を持つものもいました。
 そしてクマ、獅子、オオカミなどの原型となる四つ足族、巨大なコウモリのような翼族、アリ、蜘蛛、カマキリのようなインセクトイド(昆虫族)、トカゲやヘビなどの爬虫類族、イカやタコによく似た軟体動物系の種族などです。
 こんな姿を想像すると、彼らはそんなに知的ではない生き物なのではないかと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。彼らの思考、感覚、感情、判断力などは、少なくとも当時誕生したばかりの人類の原型よりはるかに発達していました。
 今現在でもドラゴニアン(竜族)やオオカミ族から発達してきた種族のエリートたちに、我々地球人はまったく及んでいません。(p.25-26)
 地球人は、ヒューマノイド型の人類こそが進化の頂点に立つ最高度な生物であると勝手に思い込んでいるけれど、事実無根もはなはだしい。
   《参照》  『覚醒への旅路』 坂本政道 (ハート出版)
            【宇宙における生命形態】

 

 

【新種人類は、ドラゴニアンとのハイブリッド】
 さて、人類の原型がそれまでの生き物と大きく違う点は、生命維持や種族の繁栄のための戦いを知らないところです。
 リラ星系の隣はゴラコ星系です。・・・中略・・・。好奇心旺盛なドラゴニアン(竜族)たちは、もちろん新しい生命を見たくてたまりませんでした。(p.27)
 で、ドラゴニアンが新種人類を観察して分かったのは、「感覚器が未発達で刺激を感受しにくい」ということ。
 感じる力が弱ければ、何に対しても好奇心を持つことができないので、思考する力も創造する力も発達しません。
 また、好奇心が湧かないことに起因するのか、仲間に対する執着も自分たちのテリトリーに対する執着もなく、自分に関わる何かを奪われることに怒りを覚えることもありませんでした。
 今の我々のように、何事に対しても執着心が強いことは発達の妨げになりますが、反対に何に対しても執着心がなければ、愛情も育たないので、大切にすることややさしさを学習することもできないことになり、生きることに対するモチベーションが希薄になってしまうので、根本的な発達さえ見込めない状態です。
 結果的に人類が末長く繁栄するように、最初の試みとして人類種とドラゴニアンのハイブリッドが作られました。実はその最初のサンプルが私の魂でした。
 私は戦って生命を維持するという動機を与えられて、トレーニングと実験のために第8世界に送り込まれたわけなのです。(p.28-29)
 第8世界とは、サバイバルの学習過程を提供する弱肉強食の世界。
 そもそもドラゴニアンたちは、戦いに明け暮れる生存方法とは異質な生き方を創造したがったが故に、その想像によってヒューマノイド型人類が創造(想像)されたのに、その人類に宇宙での将来的存続の危機が見てとれたので、ドラゴニアン種族とハイブリッド化させて、彼らが生きていた世界に放り込んで成長させた、ということになる。
 宇宙というものの根本的なダイナモが“好奇心”であることを了解していれば、この過程もシブシブながら理解できる。
 しかし、そうでなければ、「ドラゴニアンのユートピア的な夢から生まれた人類を、ドラゴニアンの修羅的世界内で成長させなければならないなんて、メチャクチャじゃん!」って思うだけだろう。
 あるいは、「二元性の両極を体験してこその成熟」とスンナリ理解するのか。

 

 

【ドラゴニアン種族】
 そもそもドラコは種族間の結束が強く、自分の種族を守ろうとするモチベーションが高いので家族や仲間を大切にします。
 ですから地球人のように自分の責任をだれかに押しつけるなどということはありえません。ドラゴニアンは皆さんが思うよりもずっと情に厚く、卑怯なことはしない種族です。地球的に言えば「義理と人情」の世界はドラコの世界です。
 地球では「ドラコは非情だ」と言われることが多いですが、そんなドラコでさえしないことを、地球人はサラリとやっていますよ。私が皆さんにこんなことをお伝えするのは、今私たちは何より事実を正しく認識しておく必要があると思うからです。よいとか悪いとか評価するためではありません。(p.34)
 善悪の二元で表現すると、単純化された分、内的理由が無視されてグラデーション領域が不明になってしまう。
 日本人は本来ドラゴニアン系で、欧米人はレプティリアン系なのだろうけれど、その違いを戦の仕方で言うなら、かつての日本人(サムライ)たちは、敵の大将を射止めたら終わりで、戦に倒れた敵の兵士ですら懇ろに葬っていた。しかし、明治維新以降の戦では、戦場に屍ゴロゴロ状態で放置が普通になってしまったらしい。
 ただ、ヒューマノイドであれ、ドラコであれ、レプであれ、宇宙種族はみなハイブリッド(混血)である。いずれかの性格傾向が強いにせよ、単純な割り切りは意味がない。
    《参照》   『日本人はドラゴニアン《YAP(-)遺伝子》直系! だから、〔超削減〕させられる』 高山長房
              【ドラゴニアンvsレプティリアン】
                ~【人類がレプティリアンである証拠】
 ドラコたちの中には、自分たちの働きかけに対して無反応だった人類を大嫌いになってしまったものもいるのは確かです。
 しかし、その後も、お互いにたくさんの経験を通じて成長し続けています。ですから、成長したドラコやレプティリアンは、人類を深く理解しようとしてきました。そして、何より私たち地球人類には多くの智恵を与えてくれたことも揺るぎない事実です。
 日本でも多く見られる神社に龍神が祭られているのは、その何よりの痕跡です。(p.35)
   《参照》  『レムリアの叡智』 オレリア・ルイーズ・ジョーンズ (太陽出版) 《後編》
            【竜と人間】

 ところが、人間どもはいまだに私利私欲の貪欲な願い事ばかりするので、ドラコでさえ「いいかげんにせよ!」と言っているのが、下記の著作である。
   《参照》  『富士神界の龍神からの緊急初メッセージ』 アマノコトネ (ヒカルランド)

 

 

【ティアマトとテラ】
 もともと地球は「ティアマト」という女性性の大きな惑星でしたが、あるとき火星と激突してしまいました。粉砕されたティアマトのかけらは、チリとなって宇宙に飛び散りましたが、その中で最も大きなかけらがティアマトの探求しようとしていた「母性」というテーマを受け継ぎ、自分の意志で自転し始め、太陽系の仲間に追いつこうとしました。(p.36)
 地球(テラ)は非常に強い意志を持って、彼女自身が打ち立てた目的を達成するために奇蹟を起こす力さえ持っています。また、自分自身を育て、成長させる力を持ち、地球にやってくる全ての生命を受け入れ、またそれらの生命の成長を促す力も持っています。(p.37)
 地球(テラ)はこのような星だからこそ、多くの種たちが地球に生まれることに憧れていた。
 本書は、この後、地球に生まれるということはどういうことなのかが、「空」(ヴィオド)という概念に則して書かれているのだけれど、その概要については下記リンクで。
   《参照》  『空なる叡智へ』 サアラ (ヒカルランド) 《後編》
            【シフトした地球のヴィジョン】

 

 

【死の意味と、生きる意味】
 地球以外の世界では、これらのことを皆が理解していますから、死生観がだいぶ違います。死ぬことは惨事ではありません。また生きることそのものに価値があるわけではなく、生きてどんな可能性を開拓するか、何を探求するかが重要です。(p.50)
 地球人は、年齢が高ければ高いほど「社会意識に則して立派に生きることが最良の人生」と思っている割合が多いことだろう。チャンちゃんは多分先天的に社会意識に則した生き方ができないヘンテコな人間だった。だから、社会意識という檻を無視して生きることが普通にできたのは同年代の中ではかなり早かっただろう。
   《参照》  『アセンションの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド)  《前編》
            【社会意識(コントロール・グリッド)という檻から出る】

 スターピープルにとって生きる目的は、「人々が生きているうちに、コテコテ地球人としての意識をどれだけ解除し解放できるか、そのことに奉仕すること」だと思っている。
 地球社会に特有な愚かな思い込みをしている人は、永遠にその世界の外には出られないけれど、意識が変われば、選択が変わる。選択が変われば、タイムラインが変わるのである。これ以上に重要なことはない。

 

 

《中編》 へ