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 三菱商事と矢崎総業の経営で長期間タイに在住していた方の著作。BP(バック・パッカー)では語れないタイの本質が多く記述されている。1999年3月初版。

 

 

【東南アジア最大の日系社会】
 いま、タイの在留邦人は一説に約4万5千人、進出日系企業は2千5百社ほどともいわれ、東南アジア最大の日系社会の出現を見ている。
 こんなご時世だから、邦人のバンコク参りは年々つのる一方だ。観光客だけではなく、近年は「研修旅行」や、「~調査ミッション」と銘うった企業人のグループツアーがふえている。・・・中略・・・バーツ切り下げ後のタイ経済が混迷化にあっても、逆に円は使い出があるから「何のその」である。(p.17)
 日本のバブル崩壊前後に、「研修旅行」という名の「社員旅行」で、タイに行った人々は少なくないはず。チャンちゃんもそのうちの一人。バンコクとプーケットに行かされたのは91年。
 タイ・バーツを狙って引き起こされた東アジア通貨危機(96年)後、為替は1B=3.5円程度に安定しているらしい。だから、昔も今もタイには日本からの外籠りBP達がたむろしやすい。
   《参照》  『マーク・モビアス』 マーク・モビアス (パンローリング㈱)
            【東アジア通貨危機】

   《参照》  『日本を降りる若者たち』 下川裕治 講談社現代新書
            【カオサンで “外こもり“ する方法】

 

 

【タイ経済の推進者】
 タイの経済は70~80%までを中国人がにぎるといわれるが、見わたすかぎり、主だった日系企業の合弁相手先や取引先のオーナーはほとんどが中国系といえよう。・・・中略・・・。
 人口構成比では少数民族ながら、華僑・華人とよばれる中国人の存在を抜きにしてタイは語れない理由がここにある。(p.19)
 タイの華僑・華人の数は把握しにくいが、一説に、約5百万人、その60%弱が潮州(広東省の一部)系といわれる。5百万人といえばタイの人口の1割にちかいが、・・・中略・・・、混血まで入れた中国人の血は、タイ人口の3分の2に及ぶというから驚きだ。(p.20)
 東南アジアは華南文化圏だから、タイに限らず全ての国の経済的主力は華僑・華人である。故に、タイ人の行動様式という場合も、東南アジア諸国人の行動様式に似ている。本書に書かれているタイ人の文化的な様相は、下記にリンクしたベトナム人の文化とほとんど同じである。
    《参照》  『ハノイ式生活』 飯塚尚子 (世界文化社)
 日本人がタイの古都アユタヤに行けば、おそらく日本人村に行くのだろうけれど、日本人が来る以前から隣接した場所に中国人村があったことの説明も受けることだろう。
 よく、華僑と日本人は「パートナー」か「ライバル」という議論があるが、私は答えたい。「どちらでもない。その中間だ」と。文字通りのパートナーになるには文化、習慣、言語の壁が高すぎるし、ライバルとするには強力過ぎるからである。
 日本人が、タイの華僑と入れ替わることなど、未来永劫あり得まい。せめて同列に並び「イクオール・パートナー」となるにも、タイの地に落地生根の「日僑」の誕生を待たねばならないが、それは遠い道のりである。(p.200)

 

 

【「タイ」とは】
 「タイ」とは自由を意味するだけあって、タイ人の自尊心、独立心の強さは折り紙付きだ。政治介入の動きなど見せたら只ではすまないと心得るべきだ。シニカルな言い方をすれば、戦後の日本の大々的なタイ進出を可能ならしめたものは、ほかならぬ日本の長期「ノンポリ」にあったと私は信じる。(p.28)
 企業人だからこそ、このようなことを語れるのだろう。
 BPや観光客なら、オカマ量産国やカリプソ・キャバレーのイメージから「タイは、柔なアンちゃんばっかなんじゃないの」くらいだろうか。

 

 

【日本とタイの相性がいい訳】
 ずばりキー・ワードをいえば、日本人もタイ人も「ものごとの白黒をはっきりさせることを好まない」“アバウト”な国民性の持ち主だ。これが相性の根底にあるものと見ることができる。(p.29)
 世代が変われば、ビジネスの現場では、日本もタイも白黒はっきりの欧米式が大勢を占めるようになるだろう。

 

 

【カップとカー】
 (カップ)は語尾に付する男性の敬語。女性のばあいは「かー」と山形に発音され、多用されると「カーカー」言ってまるでカラスが泣いているようだ。(p.29-30)
 このカラス話、前に別の本で読んだ記憶がある。

 

 

【音楽の共通性】
 「ラックンカオレーウ」(タイの代表的恋歌)や「ロイカトーン」(灯篭流しの歌)など、よく歌われているタイの民族歌謡をきくと、じつに日本の演歌に感じがよく似ていることに気づく。「星影のワルツ」や「矢切の渡し」などの演歌を口ずさめばピンとくるであろう。
 それもそのはずだ。どちらの歌も、ともに五音音階の旋律であり、・・・中略・・・ファ(第4音)とシ(第7音)を抜いたもの。(p.34)
 いわゆる “ヨナ抜き” のこと。「五番街のマリー」。
   《参照》  『谷村新司の不思議すぎる話』 谷村新司 (マガジンハウス) 《後編》
            【和音階と琉球音階】

 

 

起き上がりこぼし】
 タイ人の特性として、章の見出しになっている語。
 しなやかさと迂回性により、けっして潰れることのない「起き上がりこぼし」だといいたくなる。(p.37)
 その例として挙げられているのが、第二次大戦の過程。
 戦局の推移とともに、あたかも占領軍のごとくふるまう日本軍の行動に反発を高めたタイの国民感情は抗日運動の「自由タイ」となり、さらに日本軍の旗色が悪くなった末期には米、英、中(重慶)と密かに通じ合う関係となる。
 そして終戦。ここでとったタイの対応が世界史にものこる鮮やかなものだった。・・・中略・・・。
 タイミングを得た絶妙の根まわしと折衝の所産というべく、躍如たる「起き上がりこぼし」ぶりをここに見る。(p.37-38)
 タイは敗戦国にならずに済んだ。

 

 

【サヌック・サバーイ】
 これがなければ人間、生きている甲斐がないと、タイ人ならば誰しもが言う。
 ここに“サヌック”とは「面白い」の意。主として、映画やショーなどを観、聴きすることにより、または、ゲームや旅行などを行うことにより味わう面白さを言う。
 “サバーイ”は快適な状態をあらわす言葉で、・・・中略・・・、じつに用途が広い。(p.40)
 簡単に言えば、「サヌック・サバーイ」=「おもしれ~~~~」。

 

 

【国王崇拝】
 92年の5月騒乱事件のおり、・・・中略・・・。国王の前に呼び出された両陣営の代表、・・・中略・・・は床に長々と身を投げ出す「五体投地の礼」(両膝・両肘を地につけた上、合掌〈ワイ〉して二度、三度と頭を地につける恭順の礼)をとり、TV映像をみた全世界の目をあっと言わせたのであった。
 なお、国王崇拝の陰には、極刑もありうる不敬罪のあることも忘れてはならない。(p.46-47)
 最後に一文に、「なるほどね」と思ってしまった。日本人は、天皇を崇拝しなくても、何の罪にも問われない。タイ人は、全部が全部、タイ(=自由)ではない。
 五体投地は、仏教徒がする礼拝様式。タイは仏教を国教としてはいないけれど、国王は仏教徒たるべしと憲法にうたわれているという。
 なお、ワイの位置は、眉間、顔、胸と相手によって変わる。

 

 

【タイ人が最も好む数字】
 九はタイ語で「ガウ」と発音されるが、「前進」を意味する語のガウと同音(ただし異綴)であるところから吉数とされる(逆に嫌数の代表は六。水が「落ちる」のと同綴・同音であるため)。・・・中略・・・。九のつく日以外は契約書に調印しない、などというタイ人もいるから厄介である。(p.49)
 数値の好みは、中国系とは違う。
   《参照》  『台湾人のまっかなホント』 宮本孝・蔡易達 (マクミラン・ランゲージハウス)
            【 「八」 】