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『遊牧民生活』というタイトルに魅かれて読んでみたけれど、この本は、旅系の体験記本ではなく、ビジネス系の自己啓発書だった。「なぁ~~だと」思いつつやや興ざめ気味に読んでいたのだけれど、時代に適応した新たな生き方を提案した著作であり、無駄のない簡潔な記述が連続していたので、サクサクと読み終えてしまった。2012年3月初版。

 

【世代間の意識格差】
 右肩上がりの経済成長がもはや過去のものとなり、今までのライフスタイルや働き方を実践しても幸せになれない時代。より自分らしく、より生産性の高い生き方を模索したときの一つの答え。それこそ、「ノマドライフ」だと私は捉えているのです。 (p.7)
 “生産性”という単語と“ノマドライフ”という単語が、不釣り合いに思えるけれど、本書は都市型ビジネスマンが綴っている、新しいライフスタイルとしての“ノマドライフ”だからである。
 かつて、“経済の成長”と“物の増加”は連動していたけれど、ハイテク化された時代である今、仮に右肩上がりであったとしても、モノは持たなくても生活できるようになっている。ハイテク化が未熟な段階でバブル時代を経験してきたような世代の人々ほど、このことが分かっていない。
 車もブランド品も欲しがらない若い人たちが「草食系で欲がない」と非難される風潮もありますが、彼らは時代に合わせて進化しているのではないでしょうか。持とうと思えば持てるけれど、いらない。たくさん持ってもかっこよくないし、楽しくない。その発想だとわたしは思います。(p.142)
 本来のノマドは移住の妨げになるモノなど持たないけれど、現代のノマドも、IT機器を使えばモノなど必要最小限でこと足りる。故に、若者たちはノマドライフの素質を備えている。
 スピリチュアルな側面から言えば、若い世代ほど、物質より非物質への嗜好傾向が強い。大人ほどコテコテ地球人の“鈍重な魂”傾向が強いけれど、若者はブッ飛び宇宙人の“軽快な魂”を有しているのである。彼らが富を得たとしても、モノより体験に使うはずである。

 

 

【年収と労働時間が減少する社会】
 北欧では経済成長が頭打ちになり、企業に給与を上げる体力がなくなった結果として、労働時間の短縮が進んでいます。・・・中略・・・。
 日本でも早晩、同じことが起こるでしょう。・・・中略・・・、近い将来、年齢や役職、業種を問わず日本のビジネスパーソン全体の年収と労働時間が減少することは明らかです。(p.22)
 年収と労働時間が減少するという前提で生きるなら、生活に必要な固定費を極力小さくすべき。これはノマドライフを促進する要因になるだろう。残業代で従来の生活が維持できると考え、多額のローンを組んでまで家を買うというのは、時流が読めずしかも従来通りの固定観念に縛られた愚か者のすることである。
 「持ち家など、当然、なし」
 これをベースに、以下のように発想する。
 場所と時間に縛られないで働く。
 これが恒常的に、誰にでもできる時代が来ています。(p.33)
 蓄積された経験を、多様な発想でビジネスにつなげることが可能なのは、主に都市部。人口の少ない地方都市では、難しい。多様な発想を生かせるのは、国内よりむしろ海外である。
 故に、生まれた時から地方に住みながらローンを組んで新居を建ててしまった人は、ビジネス発想の蓄積などほぼないだろうから、生きるだけでギリギリの生活にならざるを得ないだろう。誰であれ、家のローンという負債があっては、ノマドライフはほぼ完全に無理。単なる負債奴隷生活になるだけである。

 

 

【“ヒツジを飼う遊牧民”】
 縛られることのないノマドライフを選択することは、“会社に飼われるヒツジ”から“ヒツジを飼う遊牧民”に変化するということです。ノマドに欠かせないツールやテクノロジーが発展した今、誰もがヒツジから卒業できる時がってきています。(p.34)
“ヒツジを飼う遊牧民”という表現から、“人を雇用する経営者”を想像するけれど、それは違う。ノマドの第一要件は身軽であることだから、企業を経営するのであっても、人は雇用しない。テクノロジーを使えば、秘書業務や財務業務など、IT機器の使いこなしやアウトソーシングでできてしまうことである。
 ところで、ヒツジから卒業するには、それ相応の蓄えが必要。この場合の蓄えとは、おカネを意味するのではない。ノマドライフ開始までの6つのフェーズが、10ページ割いて記述されている。これらがある程度揃っていないなら、ノマドライフは幻想で終わってしまう。

 

 

【ノマドライフ開始までの6つのフェーズ】
 具体的には、知識やノウハウの蓄積、濃密な労働体験、人脈などを蓄積することの重要性が、6つのフェーズに分けて書かれているのだけれど、これらは、企業家を目指す人々が蓄積すべきものと全く同じ。
 ビジネスの現場で働いてきた40代以上の人々なら、これらに該当する蓄積がいくらかはあるかもしれないけれど、若者が著者のようなノマドライフを目指すなら、目的意識を明確にした上で、蓄積すべきことを真剣に読み取る必要があるだろう。

 その中で、一番重要なのは「その仕組みから何かを学び取る」という習慣をつけることではないだろうか。
「会社を愛するだけでなく、その仕組みから何かを学び取る」という貪欲さを持つことをおすすめします。(p.69)
 バイトをするにしても、時給が高いからという理由で選ぶのではなく、目的の業界でバイトしながら、その業界の仕組みを学ぶ。時給で選んだのであっても、その業界・業種の仕組みから何かを学び取る。そのような人生態度が必要。
 この場合、視点は高くとればとるほど良い。単なるバイトの視点ではなく、店長の視点とか経営者の視点で見るということ。

  《参照》   『人生で大切なこと』 松下幸之助 (PHP)

            【人生は “経営” である】

 

 

【「引き出しにものを一切入れない」】
 いったん「引き出しにものを一切入れない」と決めると、どうやっていくかを考えざるをえません。すると必要最小限のものを持ち歩く、あるいはクラウド上で書類を保管するなど、工夫するようになります。
 からっぽというと極端に感じるかもしれませんが、一回極端にやってみないと、さまざまな制約から永遠に開放されません。(p.84)
 もう15年以上前の現場体験になるけれど、埼玉県和光市にあるホンダの社屋では、「机上に、PC以外置かない」という不文律があり、机の引き出しも、中段は帰社時にノートPCを格納するスペースで、下段は通勤カバンを置くスペースだった。会議は各自のPCを同期させることで画面上で同じものを見ることが出来るから、書類なしで仕事は普通にできてしまう。エクセレント・カンパニーは、おそらくどこもこうだろう。
 個人的にも、PC内のデータ整理を工夫するだけで、同時に自分の頭も整理できるもの。それが身につくと、仕事用のカバンの中身もどんどん少なくなってゆく。
  《参照》  『佐藤可士和の超整理術』 佐藤可士和 (日本経済新聞社)
            【思考回路を整理する】
            【整理と問題解決は、同じ・・・】

 公務員の職場は、今でも書類がワンサカ積み上がっているけれど、これこそ仕事ができない人材(人罪)集積地であることの何よりの証拠である。やることがないと、逆に仕事があるかのように見せたい心理が招く風景でもあるけれど、疲弊した地方を立て直すために、公務員がやるべきことなどいくらでもあるはずである。しかしながら、公務員には、問題を解決するために学ぶという基本的な習慣がないから、仮に地域をよくしたいと思っていたとしても、具体的にすべきことなど何も思いつかない。そうして無駄に時間を持て余して給料という公費を食いつぶしているだけである。これぞ、民を食い物にする『パラサイトライフ(寄生虫生活)』である。
   《参照》  『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《中編》
            【読書集団の「集団知」】

 

 

【効率化の目的】
 効率化の目的は、自由になることです。しばられない楽しい時間を増やすために、無駄な時間を効率化していくということです。(p.147)
 ビジネスにおいて効率化を追求するなら、IT化、ロボット化、人工知能化を促進させることになるから、必然的に雇用は目に見えて減る。これは現在の経済システムの上で考えれば、社会全体としては非常にヤバイことだけれど、いっそのこと、ロボットや人工知能にできることは全部それらに任せてしまおうと発想すれば、一挙に自由時間を謳歌する楽しい生活形態を、社会全体で実現できるのである。実際のところ、正しい社会進化の方向はこれである。但し、この場合の、過渡期段階における唯一の問題点は、「“富の分配”ないし“貨幣経済”を、どうするか」ということ。
 貨幣経済の維持者は、現在の地球文明の支配者だから、被支配者側の一般人はますます格差社会の底辺側に押し込められるのは必然である。だからといって、この状態下で、支配者が維持したがっている貨幣経済システムに捕縛されているようでは、埒が明かないし、全く自由になれない。
 著者のようにビジネスでの蓄積がある人なら、「ノマドライフ」を実現できるだろうけれど、そんなことができる人の数はかなり限られている。
 ビジネスの蓄積がない人々なら、権力者たちが築いてきた貨幣経済システムなど足蹴にして、電力もオフグリッドの自給自足農園生活を小集団で実現することの方が、遥かに現実的だろう。この場合は「ファーミング・ライフ」になる。
 まあ、大多数の人々がそれを実現しようとするのは、いずれ都市部が機能しなくなることが明確になったような場合だけだろうけど、そうなってからでは、もう遅い。

 

<了>