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 霊能者である著者さんを頼って来る方々の相談事の中から、多くの読者にとって学びになるであろう6つの事例が、無駄のない綺麗な文章で記述されている。タイトルにある「気づき」はとても大事なことだけれど、霊能者や宗教団体の教祖の霊力に期待するだけの御利益依存傾向が強い人々は、「案外、気づいていないだろう」という内容ばかりである。悩み事を抱えていようといまいと、誰であれ読み始めたら瞬く間に読み終えてしまうはず。2008年10月初版。

 

【カルマ解消と「気づき」】
 ここで大事なのは、前世で何か現世に影響を与えるような悪いカルマをつくってしまったとしても、「気づく」ことで、そのカルマは解消できるということです。
 悪いカルマをウィルス(病原体)と考えましょう。このウィルスが最も怖いと思う薬が「気づかれる」ことなのです。これは自分のことだけではなく、子どものこと、夫のこと、友達のこと・・・・さまざまなことに気づき、それを正していくことで、悪いカルマは解消されるのです。(p.16)
 この本は、この目的のために著されている。
 読者は6つの相談事例の全てから、「気づき」を得られるだろう。

 

 

【「気づける人」と「気づけない人」】
 もちろん、私の透視力や説明する力の不足と言えば、それまでのことです。しかし、そうとばかりは言い切れないものを次第に感じるようになりました。
 そしてわかったこと、それは、「気づける人」と「気づけない人」では、スピリットの状態が異なるということです。
 長い経験の中で、私は気づいていない「スピリット」(心・魂・精神)の状態には2種類あることに気づきました。(p.19)
 その2種類が、下記の2つ。

 

 

【「熟眠しているスピリット」】
 ひとつめは、「気づくべきことがある」ということにも気づいていない人の状態です。私はそのようなスピリットをこう呼びます。
「熟眠しているスピリット」
 このタイプの方は、「自分は正しい」の一点張りで、自分の心の不足や欠点に気づいていません。そして、人がその不足を指摘しても、一切聞く耳を持ちません。失礼ながら、俗にいう“馬の耳に念仏”の状態。いくら私が神からの声をお伝えしても、理解しようという気持ちがないどころか、それを否定したいがゆえに、怒り出したり、泣き出したりと感情的になって、話をまったく聞き入れません。(p.19-20)
 人の話を聞かないどころか、人の話をさえぎって自分の言い分ばかり言いたがる男女は少なくない。これは覚醒のレベルが余りにも低い証拠だけれど、高齢の男性にこのタイプが比較的多いだろう。外ズラは良くても家庭では頑固者のこのタイプは、子どもからも愛想をつかされているから、親子間の会話も全くない。疑心暗鬼となれば妄想の暗闇をほじくって周辺に迷惑をばらまくだけである。

 

 

【「寝ぼけているスピリット」】
 もうひとつのスピリットが、
「寝ぼけているスピリット」
 これは、きっかけさえあれば、「気づく」可能性が高い状態です。
 本人が「気づきたい」という思いを強く持って、自分と向き合いながら心の不足を補う努力を続けることによって、そして、第三者が根気強く理解させることによって、自分を反省し「気づけるスピリット」です。(p.21)
 「熟眠しているスピリット」は、多分この本に出会わないだろうけれど、「寝ぼけているスピリット」ならば出会えるかもしれない。この本を手にするのは、大抵、この2つのタイプ以外のややマシな人々だろう。

 

 

【「気づく」ことによって・・・・】
 私は、どうしても悪いカルマを解消するためのお手伝いをしたいのです。なぜなら、「気づく」ことによって、人を憎むことも、人を苦しめたいという気持ちも、「許す」心に変わり、自らの心が楽になるからです。そして、それは幸せに繋がります。(p.21)
 「気づく」といことは、「“因果応報の実相”、即ち、“カルマの法則の必然”を知る」ということ。そして、「因果応報やカルマの法則のダイナモ(動因)となる因子は、ささやかな心の機微(スピリット)の中にあることを知る」ということ。

 

 

【被害者と加害者】
 4歳の子供を事故で死なせてしまった方が相談に来た。
 まず事故の様子を透視しました。・・・中略・・・。
 なんとも気の毒な事故で、ベテランの運転手がどんなに注意深く運転していても、避けられなかったでしょう。(p.79)
 このような事故であったにもかかわらず、加害者は誠意をもって被害者の両親に接したけれど、被害者の両親は「加害者が憎くてたまらない」という状態を続けていた。
 それから5年後、かつて被害者だった人が、これもまた避けられない事故を起こし、相手の男性を死なせてしまった。
 ところが、亡くなった男性のお母さんは、涙をぬぐいながら “酔ってふざけていた息子が悪いんです。・・・中略・・・。むしろ迷惑をかけたのは、うちのほうです。・・・中略・・・。” そう言ったのです。
 この若者の母親を透視すると、カルマというものについてよく勉強された方で、鍛え抜かれた精神をお持ちの方でした。(p.82)
 4歳の子供を失ったことで、加害者を責め続けてきた被害者は、5年後に今度は自分が加害者の立場になるに及んで、漸くこの言葉で「気づき」を得た。
    《参照》   『転生会議』 光明・池田整治 (ビジネス社)

               【被害者/加害者ゲーム】

    《参照》   『手紙』 日本映画

 

 

【あきれた相談】
 相談者の中にはひどい人になると、
「おじいちゃんおばあちゃんは、いつになったら死んでくれますか」
 と聞きに来る人がいます。私は腹立たしい思いでハッキリと伝えます。
「あなたは元気でいる自分の子どもがいつ死んでくれるのかと聞かれたら、どう思うでしょうか? それと同じことをあなたは聞いているのですよ。神にとってはおじいちゃんおばあちゃんも、案ずるわが子なのです。たとえ年老いて、姿かたちが年とともに衰えても、あなたと同じ時代を通ってきた大切な方々ということを忘れてはいけないと思います」 (p.78)
 物が豊かな時代に生きつつ、「カネが全て」に近似した人生観を持つようになり、魂の本質からずれた生活を続けていると、自らのあさましい心をあさましいとすら自覚できなくなってゆくのだろう。そういう人々は、アセンションするどころか、より一層、輪廻転生の深い轍に嵌ってゆくのである。

 

 

 最後に、類書をリンクしておきます。
   《類書》   『ネガティブを愛する生き方』 伊藤美海 (総合法令)

          『転生会議』 光明・池田整治 (ビジネス社)

 

<了>