おそらく多くの人々がこの映画に涙するのだろう。見ていて辛いけれど幸いな映画である。


【いろんな立場で学ぶ】
 加害者(犯罪者)、被害者の家族、加害者の家族、それぞれの心が一通り学べるのがこの映画の優れたところ。親族の中に犯罪者など、一人もいない人々であっても、それぞれの立場にある人の心境はよく分かる。
 加害者の家族という具体例が自分にあっていなくても、社会的な疎外感を抱いている人々なら、主人公の立場に涙を寄せてしまうのではないだろうか。しかし、この映画の重要なポイントはここではないはずである。


【許すということ】
 社会的な差別を受け続けた弟は、ついにプッツンして兄に絶縁の手紙を出してしまった。しかしその後、刑務所へお笑いの慰問に出かけ、「私の兄は・・・やっぱり血が繋がっているのだから・・・」 と言っていた場面では、私の頬にもひとすじの涙が・・・。兄の涙の意味は誰でも分かる。弟の瞳を濡らしていたのは、“許すことで許された” 涙であることが大切。兄を許したことで、弟は(神から)許された。それゆえの涙。
 このエンディングの場面に先立って、被害者の家族は、加害者の家族(弟)を “許し” ている。少なくとも、この映画は正しい人間精神のあるべき姿を示している。
 最近の実際の犯罪ニュースで、裁判を優位に進めるための演出であるにせよ実際であるにせよ、怒りを露にしている被害者の会見を見ることが非常に多い。人生に対する深い教養が無いのである。輪廻転生に関わる正しい知識がない人々が多すぎる。
 おそらく、今世、被害者となる人は、過去世で加害者の立場にあった人なのである。被害者から許されず十字架を背負い続けた加害者が、生まれ変わって、被害者に立場を変えて学んでいるのである。過去世で許されなかったからといって、今世で許さなければ、来世も許されることは無い。これが法則の必然である。永遠に負の連鎖(輪廻)が続くだけである。
 許すことだけが、負の輪廻を脱出する唯一の方法なのだけれども、この理(ことわり)をこの映画から学べた人々はどれほどいたのだろうか。「汝の敵を愛せよ」 という有名なバイブルの言葉がある。ここでいう “愛” とは “許し” のことであると私は理解している。
 「許すことで許される」 と 「愛することで愛される」 は全く同じ表現である。


【沢尻エリカ】
 流行に疎い私は、沢尻エリカという女優さんをCM以外で始めて見た。お人形さんのような女優さん。女神のような役割を演じていた。こんな女性がいてくれたら、「グレテヤル症候群」の男性は誰だって救われるだろう。
 「運命に臆病なボクを、支えてくれた手を繋いで、・・・・・、君を女神と呼ばせて・・・」
 グローブの 『女神』 という曲の歌詞なのだけれど、この映画の沢尻エリカにピッタリ。 
 たいていの人間は誰だって強くは無いから、女神のような人に愛されないと、なかなか嫌な奴は許せないかもしれない。なればこそ、せめて女神はいると信じる。それが大切なのかも。

 

<了>