《前編》 より

 

【研究者になってよかった】
「この論文を書いたのは、あなたですか?」
 外国人は化学の研究では有名な、アメリカのプリンストン大学教授のP・フォン・シュライヤー先生でした。(p.110)
 大村先生が、東京理科大学時代に書いた英語の論文を読んで、北里研究所に会いに来たのだという。
「研究者になってよかったと思ったのは、このときが最初でした」 (p.110)
 日本国内では、優れた研究や技術であっても、それを素直に評価する人や企業はない。大抵は外国人か外国企業である。
 下記リンクは、アルモニコスを見出した日本IBM、シコー技研を見出したインテルの例。
    《参照》   『デジタルプロセス・イノベーション』 秋山雅弘・原口英紀 (日経BP)

              【エンジェル:日本IBM】

 

 

【アメリカでの研究】
「アメリカの研究風土は刺激的で合理的であり、絶対に自分のためになる」(p.119)
という先輩のアドバイスを聞き、大村先生は、さっそく自分で売り込みの手紙を書き、5つの大学に郵送したところ、5つすべての大学から「受け入れる」という返事を得た。で、給与面は、最大と最小で2倍の差があった。
 しかし、大村先生は一番給与が低かったけれど、最初に電報で返事をくれたウエスレーヤン大学のティシュラー先生のところに留学することに決めました。(p.120)
 1971年のこと。ウエスレーヤン大学は、コネティカット州ミドルタウン市にある。
 ティシュラー先生は、その後ほどなくしてもっとも大きな学会である全米化学学会の会長になるのです。(p.124)
 ティシュラー先生の人脈は、その後の大村先生の人生にとって、大きな財産となっていった。
 アメリカでは、既にノーベル賞を受賞していたコンラッド・ブロック先生とも共同研究を行っていたけれど、2年目に、北里研究所の所長から「帰国命令」が出て、やむなく帰国せざるをえなくなった。

 

 

【大村方式】
 大村先生は、帰国する前に、企業を回って研究費の助成を依頼してまわったけれど、なかなか思うような額にはならなかった。これを聞いたティシュラー先生は、自分が以前、研究所長を務めていたメルク社と話す機会を作ってくれた。
 研究費用としてメルク社から年間8万ドル(当時の日本円にして約2400万円)を3年間提供するとう提案をいただきました。とんでもない額の研究費の提案です。(p.135)
 この他に、
〈新しい化学物質の発見は自分たちがしますが、特許の権利は企業で取ってください。ただ、薬にして売り上げたら、研究費をください〉 
 これには企業も大賛成でした。アメリカの企業はこれを「大村方式」と呼ぶようになります。(p.134)

 

 

【OS-3153】
 ゴルフ場近くから大村先生が取って来た土の中の微生物が、何かいい化学物質を作っているかもしれないデータが出てきました。大村先生は分析されたデータを見てこう言いました。
「これは何か、役立つ化学物質を作っている微生物かもしれないよ。メルク社に送って、向こうでも調べてもらおう。
 大村先生らは「OS-3153」という整備番号を付けて、メルク社に送りました。整理番号の冒頭の「OS」は、「Omura Satoshi」のイニシャルの「OS」からとったものでした。
 この微生物が作っていたある化学物質が、世の中を変える大発見につながっていくのです。(p.152-153)
 メルク社では、ウイリアム・キャンベル博士がトップで研究していた。
 後の2015年、ノーベル生理学・医学賞は、大村先生とキャンベル先生が共同受賞することになる。

 

 

【エバーメクチン】
 日米双方で、OS-3153を研究した結果、以下のようなことがわかった。
 この培養液の中には、寄生虫やダニを殺してくれる化学物質があるのです。そこで研究員たちは、この物質を見つける研究をしてついに特定の化学物質を発見します。その化学物質をエバーメクチンと名付けました。(p.156)
 大村先生のもとで業績を残していた高橋洋子先生は、エバーメクチンを作っている放線菌を分類して、「ストレプトミセス・アベルメクチニウス」と名付け、大村先生らと共同で論文を書いて海外の雑誌に発表していた。

 

 

【新薬がもたらした富】
 もしも、この時点で、エバーメクチンの特許をメルク社に売っていたら3億円。「大村方式」に従って、薬剤の売り上げ額に応じたロイヤルティ(特許使用料)支払いでは、結果的に200億円以上になった。
 北里研究所は3億円で売る考えだったけれど、大村先生は薬剤としての応用範囲の広がりがあることがわかっていたから、「大村方式」にこだわった。そして、それは大正解だった。

 

 

【イベルメクチン】
 動物実験で驚異的な成果を上げていたエバーメクチンなら、人間にも使えるだろうということで、
 人間に投与した場合は、体に副作用をおこさないようにエバーメクチンをさらに改良し、イベルメクチンという薬を開発していました。(p.164)
 東南アジアで感染症者4000万人の患者がいると推定されていた糞線虫症が、イベルメクチンで治った!
 疥癬という皮膚病もイベルメクチンで治った!
 アフリカや南米の熱帯地方には、古くからオンコセルカ症(河川盲目症)という恐ろしい病気があり、毎年27万人が失明し、50万人が目に障害をもつようになるという危険な病気。これもイベルメクチンで治った!
 リンパ系フィラリア症も、イベルメクチンで治った!
 しかも、抗生物質なら新たに耐性菌を生んでしまうけれど、イベルメクチンでは耐性菌は生じない!
 大村先生とメルク社は、1988年から無料で必要なだけ、イベルメクチンを蔓延国に提供していったのです。(p.173)
 かつて、ロックフェラー傘下の製薬企業が、ポリオのワクチンにHIVウイルスを混入させて、莫大な利益を上げつつアフリカ中にばらまいて人殺しをしていたのは明白な事実。今もやっている。
    《参照》   『これが[人殺し医療サギ]の実態だ!』 船瀬俊介×ベンジャミン・フルフォード 《2/3》 

              【HIVは理想的な病気】

    《参照》   『この地球を支配する闇権力のパラダイム』 中丸薫 (徳間書店) 《前編》

              【ワクチン接種は、「闇の権力」が目論む人口削減計画の一環】

 しかし、大村先生とメルク社は、無料で多くの人びとを救っていたのである。
 ロックフェラーと大村先生の違いを、明白に理解して知るべき。
 人類のために、これだけ偉大な貢献をした大村智先生のような人は、そうそういない。
 さらに、大村先生の、日本国内での社会貢献は、他にいくらでもある。

 

 

【ガーナにて】
 大村先生は、オロコセンカ症の多いアフリカの国・ガーナを訪問した。オロコセンカ症が蔓延すると、人々は安全地帯を求めて他の土地に移住するため、建物の残骸が残った地域になってしまう。このような状況を見つつ、大村先生は、とある集落にある学校に案内された。
 大村先生は、好奇心をいっぱいにした子供たちの目を見ながら問いかけてみました。
「メクチザン、知っていますか?」
 途端に大きな叫び声が上がりました。メクチザンとはイベルメクチンの製品名です。すかさず通訳が「この先生はメクチザンを作った先生です」と紹介しました。
 またもひときわ高く叫び声があがりました。
「メキチザン、メクチザン」と子どもたちは口々に声を上げています。大村先生は、子どもたちの目の輝きと、全身からはち切れるように出てくる若いエネルギーを感じて、感動で身震いしました。
 この子どもたちが大人になるころは、オルコセンカ症やリンパ系フィラリア症は昔語りになっているでしょう。この集落も大勢の働き手たちによって活気ある地域へと変わっているでしょう。
 案内役がカメラを持ってきて構えました。すると子どもたちが大村先生をわっと取り囲みました。大村先生がVサインを見せると、子どもたちも大声で笑いながらVサインをかかげます。(p.180-181)
 オルコセンカ症に罹ってしまっている大人たちは、残念ながらメクチザンをもってしても治せない。しかし、罹患していない大人や子供なら、年1回のメクチザン服用で完全に罹患を免れることが出来る。罹患者がいなくなれば伝染しないので、数十年でオルコセンカ症を完全に終わらせることが出来るのである。

 

 

<了>