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 意味不明なタイトルに惹かれて手にしたこの本は、ホ・オポノポノの導入本みたいな内容だった。2010年4月初版。
 ホ・オポノポノに関しては、下記リンクで。
    《参照》   『二つの真実』 船井幸雄 (ビジネス社)

              【トラウマ=カルマ=業を消し去る方法】

 

【バラバラの三人が一つになると】
 ホ・オポノポノによると、ふだんたった一人で思っていた「自分」は、じつは全部で三つのものでできているんだって。一つは「ウハネ」、“表面意識”のこと。ふだんの自分は、こっちに多くいるみたい。もう一つは「アウマクア」、“超意識”のこと。ディヴィニティっていう、とても大きな存在に、唯一つながれる父親みたいな部分。
 そしてこの本の主人公、「ウニヒピリ」。子供みたいな存在だけど、それはそれは沢山の情報を持っていて、私たちの人生に、とっても大きな影響を与える存在なんだって。そして、このふだんはバラバラの三人が一つになると「ほんとうの自分」というのに出会えるそう・・・・。 (p.7)
 用語を、まとめておくと、
 父親 アウマクア 超意識  (ディヴィニティに繋がっている意識)
 母親 ウハネ   表面意識 (通常、自分と自覚している部分の意識)
 子供 ウニヒピリ 潜在意識 (通常、自分と自覚していない部分の意識
 ウニヒピリとは、従来の潜在意識(インナーチャイルド)の定義となっている個人の幼少期のトラウマ的な記憶だけではなく、地球の誕生から現在まで、陸・海・空に存在するすべての動植物を含む生命体から鉄のような無機物までが体験した、すべての記憶が保管されているところを指します。ウニヒピリは、あなたのなかに必ず存在し、いつでもあなたからの愛を待っています。(p.1)
 一般の(閉鎖系地球内)心理学では、“表面意識”・“潜在意識”・“深層意識”に3分類しているけれど、この中にディヴィニティに繋がる“超意識”に該当する意識はない。
 ウニヒピリは、一般の(閉鎖系地球内)心理学で言うところの“潜在意識”と“深層意識”の両方を包括した意識と捉えていいだろう。

 

 

【人間が問題と感じるものは“すべて”ウニヒピリが再生する記憶にすぎない】
 ウニヒピリのなかでは、一秒間に1500万ビットの記憶が立ちあがっています。ところが、あなた(表面意識)が日常において知覚し、認識できるものは、一秒間に15ビット記憶です。その差は歴然としています。つまり一瞬一瞬、ウニヒピリのなかでどのようなことがおこっているのか、ほんとうんところ、私たちはまったく気づいていないのです。
 あなた(表面意識)が体験することは、なんでもウニヒピリが記憶として保管しています。
 わたしたち人間が問題と感じるものは“すべて”ウニヒピリが再生する記憶にすぎません。これは皆さんに理解してほしい重要なポイントです。 (p.20)
 表面意識と比べた場合、潜在意識が有する情報容量の大きさは歴然している。ということは、当然のことながら、その処理速度も圧倒的に速いし、立ち上がりも実質的に先であることは、既に科学的に解明されている。
 このことを知識としてきちん押さえておけば、表面意識(ウネハ)の背後にあるウニヒピリ(潜在意識)こそが、最重要カ所であると理解できる。
 あなたにできることは、絶えずウニヒピリとの交流を通してお詫びすることです。(p.32)
 もしも自由に生きていきたいとほんとうに願うのであれば、ウニヒピリの存在を認め、話しかけていくことを始めてください。(p.33)

 

 

【ウニヒピリをクリーニングするために必要なこと】
 自分の側から働きかけてかかわりを持たないかぎり、永久にクリーニングできないということがポイントです。(p.45)
 日頃からウニヒピリに話しかけるように習慣付けするといいらしい。
「ウニヒピリと自分(ウネハ=表面意識)が交流を持つ」とは、ウニヒピリを愛し、大切にすることですから、ウニヒピリを心から大切にすれば、すべてはうまくいきます。ほんとうに、すべてがうまく流れはじめます。(p.46)
 ウニヒピリ内に溜まっているゴミ(悪しき記憶)をクリーニングするために必要なのは、愛情を持って接してあげること。

 

 

【“自分を愛する” の真意】
 ホ・オポノポノ的に説明するならば、“自分を愛する”とは“ウニヒピリを愛する”ことで、ただ自分の欲に従うという意味ではありません。(p.56)
 すべての自己啓発系およびスピ系著作にある、“自分を愛する”の意味は、本来、この意味であるべき。ネガティブな記憶も、“愛して受け入れること”で、初めて本当の統合がなされるのだから。
    《参照》   『ネガティブを愛する生き方』 伊藤美海 (総合法令) 《前編》

              【陰陽を表現し味わう】

 

 

【ウニヒピリと交流する過程で現れる課題】
 クリーニングを続けて交流できるようになってきたとしたら、何かウニヒピリに直接質問すると答えてくれるようになります。 (p.45)
 記憶を消去させるためにウニヒピリはあなたに対してあらゆる表現を使ってそのことを気づかせ、クリーニングできるチャンスを与えてくれます。(p.66)
 病気もウニヒピリが示唆する記憶の一つ。
 問題をからだ、つまり表面的にのみ解決しようとすると、あなたのなかの大切な一部、つまりウニヒピリが置き去りにされてしまいます。せっかく問題に対して働きかけができるチャンスを逃してしまいます。(p.67)
    《参照》   『地球人革命』 松久正 (ナチュラルスピリット) 《前編》

              【人生の課題と病気の治癒】

 

 

【「記憶」 ⇔ ゼロ(無)の状態 ⇔ 「神聖なる存在」】
 クリーニングのカギとなるのは、あなたがウニヒピリとともに自分の歴史に変換を与えることです。
 なぜならば「歴史」とは、自分と他を縛り付けている過去のことだからです。
 自分と他とのつながりを消去するのは、あなたが想像しているような悲しいことではありません。それぞれがクリーニングされてゼロ(無)の状態でいれば、いつでもそこには記憶による執着とは無縁のインスピレーションによる、素晴らしい関係が存在するからです。
 自分と他との歴史をクリーニングすれば、あとは神聖なる存在がすべきことをしてくれます。記憶を消去し、歴史を調整し、あなたと他がそれぞれ完璧な存在として未来へ進めるよう、すべての仕事をしてくれるのです。(p.125)
 “ゼロ(無)の状態”で現れる“神聖なる存在”とは、“デヴィニティ”のことか。
 意識の世界には、多くの階層性(モンロー研の用語でいうならフォーカスレベル)があり、それぞれの階層にはそれぞれの役割をもった存在たちがいる。地球という物質過程の生命形態の星に住んで、意識の進化を全く遂げていない人は、そういうことが分からないだろうけど、そういう人は、そもそもこの様な著作を読まないはず。
 インスピレーションはあなたがゼロのときだけに与えられます。インスピレーション以外で与えられる情報は、すべて過去の記憶です。わたしたち(宇宙)を動かすのは、ふたつのエネルギーだけ、「インスピレーション」か「記憶」、そのどちらかです。(p.143)

 

 

【平和は自分から】
 多くの人が誰かを心配して、「自分がその人を助けてあげるのだ」と思い込んでいます。しかし、あなたがウニヒピリと絶えず交流して、クリーニングすることによって自分を救うことができていなければ、他人を救うことはできません。・・・中略・・・。
 そこであなたは、悩んでいる人が現れたら、その人を分析する前にクリーニングを一緒にしてくれるよう、あなたのウニヒピリにお願いしてください。
 そうすることで、ウニヒピリは、その問題となる記憶に焦点を当ててクリーニングを始め、神聖なる存在は喜んで記憶そのものを消去してくれます。
 あなたのなかの記憶も、他の人の記憶も消去されるのです。(p.146-147)
    《参照》   『予言』 江原啓之 (講談社)

              【世界情勢とスピリチュアリズム】

 多くのセラピストは「問題は相談者自身にある」と思い込んでいますが、そのように思ったり、言ったりするたびにセラピストのウニヒピリはどんどん犠牲になっていきます。(p.147)
    《参照》   『地球人革命』 松久正 (ナチュラルスピリット) 《前編》

              【「すべてはひとつ」という認識】

 

 

【クリーニングの継続】
 ある男性が、モーナにビジネスの提案をしてきました。
 わたしはとてもよい条件だと見ましたが、彼女はすぐにクリーニングをし、結果的には「その話は断ります」と言いました。わたしは彼のビジネスパートナーになりたくないし、彼にとってもそれがベストだというのです。
 ところが仕事を断ったにもかかわらず、彼女はその男性に対して1日3回、なんと25年間もクリーニングを続けたそうです。モーナは、こう話してくれました。
「もし、彼と道ですれ違ったとき、お互いに気づかなくなるまで、そこまでクリーニングをつづけるのよ」
 これはクリーニングのプロセスにおいて、とても良い例です。
 今世でわたしたちは幸せになるためだけにクリーニングをするのではありません。よくも悪くも出会ったり、目の前に現れた人とは何らかのカルマ(記憶)をクリーニングしてゼロに戻すためにクリーニングをしつづけるのです。 (p.152)
 悪しき印象(記憶)を残した相手に拘り続ける人は少なくないだろうけれど、それって思いっきり逆効果。許し、愛を送ることが出来ないのなら、せめて、考えない、想起しないに限る。

 

 
<了>