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 文明世界から離れて、あえて断捨離的に生きる基本を感じられるかのようなタイトルだけれど、単に英国の中で、経済発展から取り残された特殊な地域の盛衰状況を描いたルポルタージュ風の著作という感じ。2003年11月初版。

 

 

【セント・キルダ島の位置】
 グーグルマップで「セント・キルダ島」と入れて検索すればどこかすぐに分かるけれど、周辺の地名認識作業を兼ねて、著作に従って書き出しておくと・・・、
 オバーンは大西洋に浮かぶアウター・ヘブリディーズ諸島へ向かう港として、スコットランド有数のにぎわいを見せる地域経済の中心の町である。(p.14)
 セント・キルダ島は、スコットランド本土の西にあるヘブリディーズ諸島からさらに西へ60kmほど沖にある島。
 どの本にも副題で『The Edge of the World』―― この世の果て、と書いてあったのはセント・キルダが絶海の孤島だったからだ。(p.18)
 セント・キルダ島は正式にはセント・キルダ群島で、最大のヒルタ島、隣接するソアイ島、やや離れたボアレイ島の3つからなる。ボアレイ島のそばには、スタックアーミン、スタクリーと呼ばれる突き出た岩礁がある。

 

 

【リクエスト】
 宿泊したオーバンのB&Bで、セント・キルダ島に関する著作を手にとり、読んでいると・・・
 私は時間が経つのも忘れ、島民の映った写真に見入っていた。
 その時、床のきしむ音がした。 (p.21)
 私の部屋を歩き、床を踏みならしているのはこの世の果て、セント・キルダの島民に違いない。・・・中略・・・。それは声なき声を発していたのだ。
「Write us」 ―― 私たちを書いて。 (p.22)
 この幽霊じみた話は、実話なのか、著者の勝手な脚色なのか分からないけれど、イギリスではこの手の話は普通。
    《参照》   『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』 村上春樹 平凡社
              【死んでも変わらない生活】

 

 

【スコットランド人】
 スコットランド人がいかに屈強な心を持っているか。マクドナルドにマッキントッシュ。Macで始まる名前こそはスコットランド人の証だ。ハンバーガーからコンピューターまで、この世界の大切な流れはスコットランドから始まっているのだ。
 そういえば私はオーバンで最初に見つけたセント・キルダの本の表紙に描かれた幸福そうに笑う老人の名はフィンレー・マックイーンで、実在の人物だった。(p.20)
 フィンレーさんの顔写真が本書の冒頭に掲載れているけれど、鳥猟師として、またロッククライマーとして、セント・キルダ島の住民の中では一番名の知れた伝説の人だったらしい。

 

 

【子どものような人々】
 子どものようなセント・キルダの人々はどんな場合も素直だった。だが、知らない事柄にはとても用心深く、それはこっけいに見えた。彼らは簡単にからかわれ、時には無礼な態度であしらわれた。
 だがそれで何かが変わるわけでもない。
 プライドや繊細な悩みは文明に支えられて生きる人々のものだ。セント・キルダの人々は笑われようが馬鹿にされようが、そのこと自体に気付かない。ありのままを見つめて生きてきた彼らにとって「今、見えるもの」「聞こえる会話」の裏側を探る発想などないのだ。(p.36)
 文明と隔絶した孤島で、いつも同じ数十人の人々だけで共に生活をしていると、言葉の裏を読む文化や差別的分類など生じないのだということを思いつかせるこの記述に、そうかと思いつつ、まさに子どもって、そうだよなぁ~~と思う。
 ということは、文明下で生きる我々は、成長する過程で、裏切られたり騙されたりお世辞を言ったり取りつくろったりして、当たり前のように魂の音程をずらすことで、魂の純度を下げつつ生きてきたことになる。
 貨幣経済文明生活圏とは、避けようもなくそういう趨勢の場なのである。しかし、そのような場で生きていても、すべての人々が一様に魂の純度を落としているのではないだろう。
   《参照》  『22を超えてゆけ』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット)
            【地球との音程のズレ】

 

 

【住宅:ブラックハウスとクラブ】
 ブラックハウスの壁は強い潮風から住人を守るため、その厚さは2メートル近くもある。料理や暖を取るため部屋の真ん中ではいつも泥炭が燃え、もくもくとした煤で室内は名前通りまっ黒になっていた。
家の中は積み上げた石で二つに仕切ってあり、片方の部屋は家族が住み、片方は牛が住んでいた。凍りつくような冬でも牛の体温で家の中はいつも暖かかった。住民は寝るときには別棟のクラブと呼ばれる、パン屋のオーブンのような小さな部屋で、一家全員パフィン(角目鳥)のように折り重なって眠った。服を丸めて枕にし、薄い毛布をかけるだけで、どんな冬の夜も家族の体温が伝わって凍えることはなかった。(p.42-43)
 壁の厚さ2mから、いかに強風が吹く土地であるかが分かる。
 この他に、クレイトとよばれる貯蔵庫が島内に1260もあったと書かれている。ここには乾燥させた泥炭やトウモロコシや鳥肉を保存していたと書かれている。
 ただ、ビックリしたのは、セント・キルダ島の住民たちは、魚はほとんど食べなかったということ。畑で採れる農作物以外の主食は、なんとフルマカモメの鳥肉である。寒さ対策として淡白な魚より、脂肪タップリなフルマカモメの肉が必須だったということらしい。(p.82)

 

 

【文明化の波】
 島民はなぜ外部の人間が次々にいろんなものを取り変えていくのか、再び理解に苦しんだ。島民全員が身内のようなこの島で、あてがわれた家の鍵もいつ、どんなふうに使うのかよくわからないままだったからだ。(p.46)
 島民全員に新しい家が提供されたけれど、当時の建築技術ではセント・キルダの環境には耐えられなかったらしい。
 新しい家具と一部の生活道具が変わったこと以外、結局何の進歩もない。こうなってみて初めて一体何のために家を建て直したのか、地主のマクラウドですら分からなくなってしまった。(p.47)
 元に戻った理由はやや違うかもしれないけれど、ベドウィンの話を思い出してしまった。
   《参照》   『人と火』 最首公司 エネルギーフォーラム
              【砂漠の民、ベドウィンの生活文化】

 中途半端な文明化の押し付けは、完全に余計なお世話である。

 

 

【セント・キルダ特産】
 こうしてセント・キルダ特産となったフルマカモメの羽毛と脂肪は、19世紀には本土でも人気が高まった。シラミや南京虫の防虫効果があるフルマカモメの羽毛は軍用のマットレスと枕の材料として政府が大量に買いつけ、たちまち需要が拡大した。
 ・・・中略・・・。そのため鳥猟は島の子どもたちにとってさえ以前にも増して憧れの仕事になっていた。(p.61)
 鳥猟は、岩山に登る危険な仕事なので、島民の何人かが命を落とし、そのたびに島内は深い悲しみに包まれたことが書かれている。
 「何かを求める時は七人の友と強い革のロープがあればいい」 (p.66)

 

 

【飛んでいく】
 フィンレーも若い頃からたくさんの死を見続けて生きた。
 そのたびに島の老人たちは「あの人たちは飛んでいったんだ」と言った。海鳥によって生活が成り立つセント・キルダでは人が死ぬことを「飛んでいく」と表現していた。(p.72)
 これを読んで、『sailing』 の歌詞を思い出した。この意味を含んでいるというより、この意味だろう。

 

 

【英雄伝説の凋落】
 こんな英雄伝説によって、島民は努力を促され成功は誇りになった。
 ところが、こんな偉大な先祖に追いつこうとする熱意は永遠には続かなかった。
 ・・・中略・・・。
 小さな島には言い訳が蔓延し、不満と愚痴の中で不思議な伝説や物語の価値も薄らいでいった。(p.77)
 神話の英雄伝説が殆ど効果もたない今の日本人は、不満や愚痴すらも言う気などないだろう。とことん、醒めている。
 銀幕のスターも、かつては遠くに輝く星だったかもしれないけれど、今日の日本において、スターは隣のお姉ちゃんお兄ちゃんとさして変わらない。地に落ちているのである。
 文明化とは、英雄伝説などの脚色が効かなくなる想像力減衰化なのだろう。
 しかし、現実的な想像世界への減衰化が、底を打つことで転じて、仮想現実的な想像力へと向かうなら、むしろ正しい進化の流れに乗っていると言えるかもしれない。想像力がこの地表世界を超えて、地底や宇宙へと連なって行くのなら、それは正当な進化経路に乗っていると言えるのである。

 

 

【ハイエナの群れの遠吠え】
 宗教音楽を歌う才能に恵まれなかった彼らは、信心深かったにもかかわらず、日曜日の教会からは調子っぱずれの大声が響くだけとなった。
 彼らはハーモニーには一切構わず、讃美歌をそれぞれ独自の旋律で歌ったからだ。かつては「豊かで音楽的だ」と評された歌声は「ハイエナの群れの遠吠え」とまで言われるようになった。(p.102)
 それって、かえって一度聞いてみたくなる。

 

 

【飽きられた島、崩れゆく心】
 島民の殆どはますます自分たちに手で日々の食料を「確保したり、作物を育てたりという情熱を失っていった。彼らが手にしたお金で食料品は蒸気船に乗ってやって来る人々から分けてもらうことが出来たからだ。誰もフルマカモメの肉より缶詰をほしがった。
 だが、それも一年のうちの三カ月だけのことだった。夏は短く、すぐに厳しい冬がやってきた。(p.138)
 最果ての孤島が、原住民ツアーの観光地として観光地化された後は、このようになってしまう。
 この過程に続くのは、壮年と若年の流出と老齢化による人口減。
 大局的に見た“日本の現状”、及び“日本の近未来”と同じである。

 

 

【本土移住】
 1851年には110人いた島民は、1930年には36人になっていた。
 この人数では、もはや自給自足は不可能。
 そこで、島民全員が本土に移住することになった。
 ところが、島民は不慣れな環境に、しかもバラバラな場所に移住させられたらしい
 もともと年をとっていた島民の多くは、本土に到着してまもなく環境の変化についていけず次々と死んでしまった。(p.182)
 フィンレーさんも失意のどん底。
 そんな彼のもとに夢のような話が舞い込んだ。裕福なツイード商人となった島民、アレキサンダー・ファーガソンがグラスゴーから島への船旅を年に一回手配しようと言ってきたのだ。・・・中略・・・。
「神は私たちを見はなさなかった!」 フィンレーは震える両手をしっかり組み、跪いて感謝の祈りを捧げた。(p.188)
 かつての島民たちは、夏の観光シーズンの間だけ島に戻って生活することができた。


 

<了>