《前編》 より

 

【4月26日】
 アメリカでは、数年前から、一部の母親たちが4月26日を「娘を職場に連れていく日」と決めて、娘を仕事場に連れて行くようになった。母親の仕事を見て、理解し、実感し、誇りに思ってもらおうという主旨だそうだ。その上、娘が将来、仕事をしたいと感じるように小さいうちから職場を見せるという狙いもあるとも聞いた。(p.81)
 へぇ~。
 家族を誇りに思うという点でいえば良いことだけれど、伝統的な文化破壊を兼ねて広くから税金を徴収するという目的で女性の職業化を推進している勢力があるということは知っておいた方がいい。
   《参照》   『アエラ族の憂鬱』 桐山秀樹 (PHP研究所) 《前編》
             【アエラ族の憂鬱】

 

 

【肯定文で考える】
 自分が日頃口にしている約束事やものごとの説明の仕方が、肯定文なのか、否定文なのか、耳を澄まして聴き続ける訓練をすると、自分の無意識レベルの状態を確認できる。
 言葉を変えることで、意識をシフトさせることができる。そう信じているから、私は肯定文だけで話をするように試みている。・・・(中略)・・・。
 「明日の重要な会議には、絶対に遅刻しませんから」と言っている人の中にも遅刻する人は多い。だから私は、「明日の重要な会議には、30分前に来ていますから」と口にする。(p.133)
 「しかし~」「でも~」など、逆接の接続詞を使うと、前後のいずれかが否定文になってしまいやすい。
   《参照》   『「無邪気な脳」で仕事をする』 黒川伊保子・古森剛 (ファーストプレス) 《中編》
             【停滞するD音(だ・じ・ず・で・ど)】

 

 

【「責任」と「リスポンスビリティー」】
 同時通訳をしながら何度も使われる「responsibility」という単語を「責任」と訳していたら、日本人の集団が重苦しい雰囲気になってしまったという。
 責任とは、「責められることを任された」ということになる。ようするに、・・・(中略)・・・ 責任という言葉には、他の誰でもない、自分一人が背負っていく重荷というイメージが付きまとっているのだ。
 一方、英語ではどうだろうか。リスポンスビリティーという単語を同じように二つに分解すると、リスポンスという単語とアビリティという単語に分けられる。リスポンス(response)とは、対応、対処、反応、の意。アビリティー(ability)とは能力、可能性、の意味。そのまま訳すと「対応能力」となる。
 リスポンスビリティー=対応する能力、という考えなら、何か問題が起こっても、対処する方法を的確に見つけ出せればよいのだから、多くの人がほっとするはずだ。重苦しいイメージはなく、むしろ行動していくことをイメージさせる軽快な感じすらうける。(p.162)
 この単語だけに関して、比較文化として考えるなら、他罰より自責の方が真摯でいいと日本人は考えやすいけれど、ビジネスの現場で、アメリカ人発想で繰り返される「responsibility」を、日本人発想の「責任」に置き換えて理解すると確かに重くなってしまう。文化的背景を持つ用語に絡んだ翻訳の壁はけっこう大きい。
   《参照》   『榊原式スピード思考力』 榊原英資 (幻冬舎) 《後編》
             【日本人が文化の違いに鈍感になってしまう理由】

 

 

<了>