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 一般的には心理学的な説明で記述されるものでさえも、右脳と左脳という割り切りの良い説明で記述されている。正しいか否かという読み方よりも、対比的な記述によって右脳の長所を強調する方法は、それなりに効果があるだろう。2003年2月初版。

 

 

【マニュアル通りでは・・・】
 いつも「何名様ですか」と聞いてはいけないのです。
 この人は持ち合せ出来たのか、店の中のどの人を探しているのか、すぐに感じ取れなければいけません。
 こうしたことがわかるようになれば、トイレを探す人の動きも、すぐわかります。(p.41)
 “右脳を目覚めさせるには、直感力が大切だから、マニュアル通りの接客に則するようではいけない”という主旨の記述。
 「いちいち聞かなくたって分かるだろう」というような場面でも、マニュアル通り「何名様ですか」と聞いてくる愚の極みみたいな店員ってけっこういる。店員本人もさることながら、それを徹底させる経営側の資質を疑うけれど、これが単なる飲食店ではなく病院だったらドン引きである。そしてそんな病院が実在するのである。
 山梨県立中央病院では、あらゆる部署にならんでいる女性職員たちは、マニュアル厳守を命じられているのだろう。心こそが大切な病院で患者の心を無視してシステムに従わせようとするのである。「とことん融通が効かない“心のブス女”だけで病院を運営せよ」、というのが病院経営側の指令らしい。こういうヒドイ経営方針の病院は日本中にいくつかあるんだろうけれど、山梨県立中央病院の魔界ぶりは突出している。山梨において日本文化破壊の中枢となっている魔界ぶりは下記リンクのコメント部分に書いておいた。
   《参照》   『日本人が世界に誇れる33のこと』 ルース・ジャーマン・白石 (あさ出版) 《前編》
             【危険なシグナル:権利意識】

 ついでに書いておけば、山梨県甲斐市は、市費を使って男女共同参画推進協議会に多量の物品を供給しており、ワクチンの国費補助を全国に先駆けて議会採決して要請した《悪魔の市議会》をも擁している。「人口削減を国費で推進しろ」と厚生省の悪辣な意図を後押しをしているのである。単なる不勉強で済まされる問題ではない。そこまで無能な市議会と市政なら、消滅してしまった方が遥かにマシである。国政経験者の市長だからこそ、「甲斐市議会に、人口削減計画の旗振り役をしろ」という上からの命令を忠実に実行しているんだろう。
 日本全国で爆増しているアルツハイマーも、おそらくワクチンに混入されていたものが原因だろう。国費補助で無料だからと言って、どこも悪くないのに受けたら、終わりである。

 

 

【根拠なしに信じる力・・・?!】
 左脳は、見えているものしか信じません。
 空気を読むのは、右脳です。
 根拠なしに信じる力は、右脳が持っているのです。(p.45)
 石橋を叩いて渡るのが左脳だとすれば、右脳は石橋を叩かずに渡ってしまう。
といっても右脳が活性化していれば、直感的に危険を察知しているから、もしも橋が危険なら「渡るな!」というヒラメキを受け取っているはずである。右脳は、「根拠なしに信じている」のではない。
 著者は、タイトルに則して、右脳を目ざめさせる端緒としてこのような書き方をしているのだろう。

 

 

【右脳型人間と左脳型人間】
 右脳型人間は、スポーツをやっていて、それが上手にならなくても、やること自体が楽しいので、続けます。
 楽しいことで、もとが取れたと考えます。
 ところが、左脳でスポーツをやると、「負けた。悔しい。もうやらない」になります。
 左脳は、勝つことが好きです。
 でも、行為自体を楽しみません。
 好きでやるわけではなく、勝つため、儲けるため、自分が成功するためにやっています。(p.75)
 左脳は、分別知の拠点だから、必然的に「エゴ」を起点とする。故に勝ち負けや優劣に拘るようになってしまう。だから行為自体を楽しめない。左脳自体が、欲望に基づく資本主義のダイナモとなっていた。
 左脳は、全ての人々に共通する尺度のない幸福よりも、他者との比較における相対的な成功に執着するから終着点がない。未だに多くの人々が左脳主導の、爆裂に至るしかない社会を維持したがっている。だから、格差社会を終わらせることができない。エゴだけがあって、愛がないのである。

 

 

【パターン認識の枷】
 花もたいていの人は花びらから描きます
 これはパターン認識で描いているのです。
 でも、右脳で描く人は、雄しべや雌しべから描いていきます。・・・(中略)・・・。
 絵は、自分がその時一番関心があるところから描いていきます。
 これだけで、圧倒的に絵の描き方が変わります。
 魚を口から描いてもいいのです。
 パターンで描いている人は、口を意味する線を入れるだけで終わりです。
 魚にも唇はあります。
 描く順番は決まっていません。
 輪郭から描くのは、関心のある部分がひとつもないということです。
 よく見ようとしないで絵を描く人は、人をほめる時も、「きれいだね」「美人だね」「若いね」という表現になってしまいます。(p.106)
 黄金比とか八頭身とかいう全体的に美しく見える均整美の指標はあるけれど、そのような指標に則して描かれた絵なんて美しくてもつまらないだろう。先に全体的なパターンに目が行く人は、無難派の平凡な左脳病かも。
 ウチの毛むくじゃらの桃太郎は4頭身くらいだけど8頭身の美人よりズット可愛い。
 同列に比較できないものを比較してはいけないと言うのは左脳型人間のクダラン言い草である。

 

 

【優れた芸術作品】
 映画で省略された部分をつないで味わうのは、右脳です。
 説明の部分は左脳で見ています。
 分かりにくいところを「説明不足だ」と怒るのは、左脳型人間です。
 難解といわれるものは、説明がヘタなのではありません。
 さまざまな解釈の余地を残してあるのです。
 見た人、読んだ人に、さまざまな解釈の余地を残せるのが、いい芸術作品です。
 この記述を読みながら思い出したのが 『嫌われ松子の一生』 という映画。余白なきゆえに鑑賞後にイライラがつのってしまったという意味で印象深い映画だった。
 日本文化における余白の意味は常識的なことだけれど、一応リンク。
   《参照》   『 時宗・狂言 “日本の心” を求めて 』 高橋克彦・和泉元彌 徳間書店
             【簡素化と余白】

 日本人は、清冽な気が満ちている空間(余白)は美しいと感じている。ところが、ロゴスの文明を基として、支配者の財力によって培われてきた西洋美術にはそのような余白などないのである。余白など全然なくコテコテに塗りたくられ、しかも血塗られたような宗教画ばかりが並んでいるプラド美術館なんかに入って観たら、たいていの日本人は、気持ち悪くなってしまだろう。

 

 

【数学も美術の授業】
 僕の場合、数学も右脳を鍛えるトレーニングのひとつでした。
 数学の解き方を覚えるのではありません。
 この先生の板書はレイアウトが猛烈にきれいだと思いながら、数学の授業を聞くことで、美的感覚を鍛えていたのです。(p.128)
 さすが、美術の得意な人は違う。著者は、タクシーに乗っている間に運転手さんの絵を描いて渡していあげることもあるらしい。『人生の錬金術』には美呪術をなす右脳の活性化が必要である。
   《参照》   『人生の錬金術』  荒俣宏・中谷彰宏 メディアワークス
             【美呪術】

 「板書はレイアウトが猛烈にきれいだ」という記述を読みながら思い出してしまった。学生時代、教育実習をしていた時、頼んでもないのに担当の先生が、実習中の写真を撮って渡してくれた。その写真に写っている自分の板書の酷さを見て、思わず、人ごとのように「馬鹿か!」と思ったものである。チャンちゃんの字は今でも幼稚園児並みで、字の大きさを揃えてまっすぐ書くことが出来ない。今でもそうである。PCで済んでしまうから、手書きの時はよほど注意して書かないとバラバラクネクネである。

 

 

【「難しい」ではなく「面白い」】
 左脳型の人の口グセは「難しい」です。
 始める前から「難しい」と言います。
 左脳型の人にとって、簡単なことはひとつもありません。
 でも、始める前に「難しい」と言わないことです。
 右脳型の人は、「面白そう」と言って始めます。(p.154)
「難しい」が口癖の人って・・・ねぇ。「疲れた」と同様、その言葉、聞きたくない。
 ビジネスの現場だったら、言ってはならない用語だろう。それを何とかするのがプロフェッショナルとしての仕事なんだから、「難しい」は「私、アマチュアでいたいです」と言っているのと同じで、職業放棄みたいなものである。右脳型か左脳型かは関係なく、なんとかかんとかやり遂げようとする人は、決して「難しい」という言葉を口にしないだろう。「難しい」を口癖にしていると、サーボ機能が働かなくなってしまうからである。
 「難しい」と言いたくなったら「面白そう」に置き換える訓練から始めよう。
   《参照》   『「並の人生」では満足できない人の本』 ロベルタ・シェラー  三笠書房
             【サーボ機能】

 

 

【右脳で目的、左脳で手段】
 日本の教育、日本の社会トレーニングは、左脳だけで動いています。
 左脳で強制して、左脳で勉強しています。
 本当は、右脳で動機づけられたことを左脳で援護射撃していくのがベストなのです。
 目的は右脳でつくり、手段を左脳で考えます。
 左脳の中から目的は生まれません。
 この組み合わせ方が大事なのです。(p.166-167)
 「右脳」を「魂」にまで拡張して理解するなら、ピッタリその通りだろう。
 「左脳」で目的をつくると、大抵はモノ・カネ・名誉といった永続性なきこの世基準の目的になってしまう。
 左脳は、プライド、誇り、保険、メンツ、世間体にこだわります。(p.174)
 左脳は、21世紀初頭までの欲心経済に相応しい機能を担ってきた。
 そろそろ地球は、“エゴ”から“愛”へと精神の基底が異なる世界に移行してゆく。
 右脳関連の著作が20世紀末あたりから世に出てきたのは、進化してゆく地球にあわせたプロローグだったのだろう。これから変革されてゆく世界は、この本の右脳が表現している発想基準程度のものではないだろう。

 

 

<了>