《前編》 より

 

 

【プネ市】
 インドではいま日本語を学ぶ若者が多いが、プネはとくに日本語教育がさかんで、約1万人の学生が日本語教育を受け、毎年開かれているJLPT(日本語能力検定)を受験するものがいちばん多い都市でもある。インドという国は全般的に親日的だが、そのインドの中でもとくに日本人に親しみを感じる人が多い土地だと言っていいだろう。(p.63-64)
 プネは、ムンバイの近くにある都市。
 プネ市はパソコン普及率が全国で一位で、インド国内で生活水準が最も高い都市としても知られている。岡山市と姉妹都市協定を結んでいて、2006年1月にはインド唯一の日本式庭園公園である「プネ岡山友好公園」も開園した。 ・・・(中略)・・・ 。
 この都市で日本語熱に火がついたのは、1971年「プネ日印協会」により、日本語教育が始められたことにある。(p.225-226)
 プネ市の施設には、さまざまな日本語の書籍がたくさん所蔵されているという。

 

 

【日本人向きは南部や東部】
 「インパキレバシリ」と形容されるタフなインド商人はこの地区(北部)の出身者が多く、インドの政治、経済、さらには映画俳優をはじめ芸能界で実権を握っているのも、この地区の出身者が多いようだ。
 一方、南部や東部はドラビダ系であり、日本人と同じように米の飯を主食としている。
 食文化が気質に影響を与えるのか、私たち日本人にとってインド南部や東部の出身者というのは、非常にとっつきやすい。とくにインド南部の出身者。具体的にはチェンナイ、バンガロール、ハイデラバードの出身者はなじみやすい。(p.116)
 北部出身者は「インパキレバシリ」だから、商人としての適性があって「マルワール商人」と呼ばれるようになった。

 

 

【マルワール商人】
(財閥の)多くはインド北部の出身で、ユダヤ商人、なにわ商人とともに世界三大商人にあげられている「マルワール商人」と呼ばれる人々だ。(p.130)
 世界の三大商人が、ユダヤ人と日本人とインド人・・・? ちょっと・・・ピンとこない。

 

 

【インドの企業文化 : Corporate Social Responsibility】
 マハトマ・ガンジーの、
 「最高の道徳とは、他人への奉仕、人類への愛のために働くことである」
 という言葉からもうかがえるように、この国ではCSRなどという言葉が登場する以前から、社会から得た利益は社会に還元すべきだとする企業文化があった。(p.140)

 

 

【インド人アドバイザーの必要性】
 企業を訪問したとき、相手とアドバイザーのインド人同士で、最初に何やら話していた。
 後で知ったことだが、彼らはあのときにヒンディー語で互いのカーストを確認しあっていたのである。インド人がビジネスするときの、一種の儀式のようなものという見方もできるだろう。
 おわかりのように、この儀式には日本人は加われない。(p.156)
 カーストだけじゃなく、ジャーティという職業上のややこしい区分もある。
      《参照》  『インドの正体』 藤本欣也 (産経新聞社)
                【民主主義とカースト】

 

 

【インド人の大卒のエンジニア】
 (日本企業であれば)大卒であれ大学院卒であれ、まずは現場に出て実践を叩き込むのだが、インドの多くの工場では、現場で汗を流すのは低学歴で低賃金の労働者と決まっている。大卒のエンジニアたちは現場を知らないのだ。(p.179)
 日本以外の国では、“職業に貴賎をつける”傾向が強い。
 韓国からアカスリの指導に来ていた女性が、「日本に来て『先生』と呼ばれるのでビックリした」と、顔を赤らめながら語っていたのを思い出すけれど、日本人は職業の貴賎に関係なく「道」を求める性がある。
 “現場主義”についても、日本人にできて外国人になかなかできない理由は、これと同じである。
 こんな意識で“高品質なものづくり”ができる訳がない。
   《参照》   『見る技術』 石岡裕邦 (PHP)
             【現場主義】

 

 

【日本のものづくりの精神性は、インド人に受け入れられやすい?】
 日本のものづくりは、精神性を尊ぶ文化だと思う。特に「匠」と形容される職人たちは、あらゆる分野で完璧を目指す。ここで言う「完璧」はゴールではない。こうした匠の精神性は、第三の目を持つとされるインド人には受け入れられやすいと思う。(p.184)
 多分無理だろう。
 日本人は、本来、“匠の技”を通じて“神に至る道”を実践してきたのだけれど、インド人は神になるとか神を目指すという目的意識はないだろう。

 

 

【インドの3アイ】
 会議で同席したインドの高名な科学者が、ソニーの3I<Innovation(革新)、imagination(想像力)、inspiration(ひらめき)>を引き合いに出したあと、インドの3eyeの説明をしたという。
 シヴァ神の「第三の眼」というのは心の目、いわゆる「心眼」だということだ。・・中略・・
 インド人は、この「第三の目」をしばしば口にする。(p.136)
 「心眼」と書けば「精神的」な感じがするけれど、「第三の目」とは、要は、アジナーチャクラのことだから、「霊性」に通ずる目である。
 下記リンク書籍には、「火と水の霊的弁証法の、工業技術への適用」という表現があるけれど、インド霊界は、日本のように奥深い神霊界を持っていない。だから、「第三の目」に言及するインド人であっても、その視野に霊的な奥行きや奥深さはない。「第三の目」と言ったって、インド人が見るそれは日本人が観る神霊界ではなく、割りと現実的なレベルだろう。
 世界中どの国であっても、日本に降りているほどの繊細な波動は降りていないから、日本のものづくりのレベルには決して到達できないのである。
      《参照》  『第三の目』 菅田正昭 (学研) 〈前編〉
               【火水=神 と 第三の目】
      《参照》   『古神道入門』 吾郷清彦・松本道弘・深見東州 (たちばな出版) 《後編》
               【無形の価値を尊ぶ日本神霊界の奥深さ】

 

 

【ジャガード(なんとかなるさ)】
 インド人の個人主義的な姿勢は、表面上は混沌として見えても、実は直感や間に合わせによってなんとかやりおおせてしまう世慣れた方法なのです。このことは、「Jugaad(ジャガード)」という言葉で例証されます。おおよそ「なんとかなるさ」という意味です。そしてインド人はなんとかやってしまうのです。この経済不況の時代に9%強という目覚ましい経済成長を遂げ、それを実証しています。(p.241-242)
 日本国内のビジネスで、間に合せによってやりおおせてしまったら、間違いなく次がない。
 インドの高成長は、途上国という経済発展の初期段階だからこそジャガードが嵌っているだけでだろう。

 

 
<了>