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 真実を求めていくつもの宗教団体巡りをしてきた人々が、著者の本をどれか一冊でも手にすると 「何だ、そういうことだったのか!」 と思うはずだけれど、特にこの 『神霊界』 はそう思う人が多いのかもしれない。
 近頃流行りのアセンションに嵌っている人も、日本神霊界の視点で語られたこの著作を読んでみれば、得るところは多いだろう。
 十数年ぶりの再三読。この愛蔵版は平成3(1991)年初版だけれど、元の版は 1986年頃に出ている。

 

 

【修験道の御本尊となっている蔵王権現】
 修験道の御本尊となっている蔵王権現は、 ・・・(中略)・・・ 神道の次元でいえば、実は、天之御中主大神の権現相化身の姿なのである。そして、神力と姿の実態とは、金龍神なのである。(p.56)
 修験道も日本神霊界の一つの現われである。
 上記の書き出しは、「龍の時代は去った」 という小見出しの章に書かれているごく一部の記述。タイトルの神霊界にあわせて言えば、神界の命をうけて霊界に現れる中間役の神々が龍神なのだから、「龍神を持て」 などと言って信仰を勧めているような宗教家の霊力は、そもそもからして危ういものであり、時代の先進性を発揮することなど到底できないということだろう。

 

 

【浅草(あさくさ)浅草寺(せんそうじ)の観音様】
 また、浅草の観音様のあらたかな霊力とは、人々の真を受け取られた聖観音様が、金龍に命を下し、お与えになっておられる力なのである。
 それゆえ、お祭りで龍の舞を行ったり、「金龍山浅草寺」 と命名されている。
 ところで、ちょっと話は横道にそれるが、この際いっておこう。
 浅草の観音様の 「ほおずき市」 のあるとき、・・・(中略)・・・ その日の観音様は、いつもの聖観音様ではない。富士山頂高くにおわす大神霊・正観音様が来ておられるのである。(p.56-57)
 観音様にもいくつかの次元界があることを示唆している。
      《参照》  『人類が生まれた秘密をあかす』 深見東州  たちばな出版
               【日本神界の特異性 と 次元界スライドシステム】

 今年の浅草の 「ほおずき市」 は、つい先日(7月9日10日)終わってしまったばかり。来年ど~~ぞ。

 

 

【青龍】
 これには、天体や惑星から起きるものと、空風から起きるものと、海から起きるものとの、三種類がある。その起源によって、それぞれ天空を支配したり海を支配したりする。・・・(中略)・・・。また、この青龍は、いわゆる青龍刀の語源にもなっている。
 それは、至誠全き武士が青龍の働きであり、楠正成公などは、この青龍の働きを行っていたのである。毘沙門天に化身することもできる龍なのである。(p.58)
 毘沙門天といえば 「毘」 を軍旗としていた上杉謙信公。戦国の世にあって、宿敵、武田信玄に塩を送り、至誠を全うした武将である。
 「青龍刀」 が関与する映画を見ると、覇権争いの趨勢を決する、「武威の拠り所」 としか感受できないのだけれど、本来は、
 本当の青龍の働きとは、橘先生曰く、「天界から使命ある御霊を運ぶ」 役なのである。(p.58)
 著者名は深見青山(現在は深見東州)とあるけれど、“青” は “誠” に通じる言霊である。
 「多くの若者たちが、早い時期に著者に出会って、生き方を習い学び確立させるならば、圧倒的に素晴らしい人生になるだろうに・・・」 と、現在96歳の老いぼれチャンちゃんつくづく思う。

 

 

【先天の修行の奥義】
 四書五経の中でも最高位にある、『易経』 と 『中庸』 のエッセンスを凝縮すると、この 「誠」 の一字に帰結するのである。
 神道や聖徳太子の人生観に、最も影響を与えているのが、『中庸』 と 『易経』 の順ではないかと考えている次第である。
 また誠とは、真心から発するところの口と心の行いの総称でもある。
 この誠の道を貫き通せば、難行苦行をしなくても、神仏のほうから霊能力や超能力を与えてくださるようになるのである。これが、ほかならぬ先天の修行の奥義なのである。(p.195-196)
 人に超能力を与えるチャクラ開発法や密教や山伏の修行などは後天の修行といわれる。労力の割りに効果が少なく、また悲惨な結末に至る場合が少なくない。
 日本神霊界は、昔から、積徳と至誠を基とする先天の修行法を第一としてきたのだろう。
 神となって太宰府天満宮に祭られた菅原道真は、真(誠)の道を貫いて生きた方であり、
 「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神は守らん」
 と詠んでいる。誠の道にかない、揺るぎなければ、神はその人を守るどころか、世の中を良くするための様々な超能力を与えてくれる、と書かれている。著者自身が、そのまぎれもない生きたサンプルなのだろう。

 

 

【龍の落とし穴】
 権力志向の強い人、何でも俺が俺がという人、人の上に立たなければ気が済まない人、こういう宗教家や霊能者には大方、龍がついている。もちろん、天狗や狸も合体していて、狐も霊視能力を与えているだろう。そして、そのような人はたいてい心の修養ができていないので、恋愛欲に走って、人に道を踏みはずしてしまうのである。
 人の道を踏み外す原因には、大きく分けて3つある。(p.66)
 その3つとは、お金、権力、女性問題。いずれも龍の落とし穴である。ある程度規模の大きな宗教団体の教祖は、たいていこの穴に嵌っているらしい。
 中間役の神々である龍神の落とし穴に嵌るのは、修養ができていない人、つまり正神界の神々に接霊できるだけの修養レベルに達していない人々、ということになる。

 

 

【天狗】
 現世を跋扈する中間役の神々として、龍のほかに天狗とUFOが書かれているのだけれど、天狗に関する霊力の特徴が書かれた後、
 結局、全てが術と力であり、肝心の愛と真心がなく、自然でおだやかな幸福感や御魂の覚醒による、真の意味での霊的進歩がないのである。
 だから、眷属にしかなれないのである。こればかり信仰して死ねば、当然、天狗界の住人となるのである。(p.72)
 “真の意味での霊的進歩がない” これが重要なポイントだろう。
 源義経がそうだった。「判官びいき」 という言葉があるくらい義経ファンが多いので、まことに言いにくいことではあるが、彼の一生は天狗に支配されていたのである。天狗に支配されていたために、あまりにも高慢になり、結局、あたら才能を役立てることなく陸奥の露と消えてしまったのである。(p.74)
 天狗や龍の霊力を得た上でなお、至誠を保てないと、神使にはなれない。 「欲心」 なら誰だって普通にもてるけれど、愛と真心に基づいた至誠の道を歩み続ける 「道心」 を保てる人は極めて稀だろう。

 

 

【仙界】
 仙界とは、仙人などの隠遁者が入る霊界である。ここは、地獄界、中有霊界、天国界とも違う、一種独特な行者界のような霊界で、山の頂上のような清涼感に満ちている。
 そして、一旦ここに入れば、二度と出てくることはできない。その理由は、ここには苦しみがないからである。そして苦しみもない代わり、喜びもないのがこの仙界なのである。
 その意味で、まだ地獄に落ちたほうがましである。激痛から逃れようとして、このままではいけないと必死になって努力、向上するからである。
 ちなみに、仙界と神仙界とは似て非なるものである。仙界は、愛のない四次元の別界であり、神仙界は正神界の一部である。(p.77)
 中国で描かれている水墨画の風景は、明らかに仙界。
 役行者(役小角)さんがいるのは、ほのぼのとした愛のあたたかみがある神仙界。

 

 

【新時代のニュー中間役の神 : UFO】
 UFOは実在する。そしてその正体は、新時代のニュー中間役の神である。(p.78)
 神界も霊界も現実界も時代の流れとともに絶えず発展する。これが神霊世界の真相なのである。
 それゆえ、これまで主神と人間との間をとりもってきた中間役、つまり、龍や天狗や狐などは次第に後退し、科学時代を迎えた現代の実情に合わせたかたちで、ニュー中間役としてUFOが出現し始めたのである。(p.80)
 しかし、著者は、UFOに関心を持つことをすすめていない。その理由がいくつか書かれている。
 もともと電磁波と霊波とは性質が似かよっているため、よく感応し合うのであるが、UFOのあの電気的波動は本当の神霊より波動ずっと荒く、霊的にはマイナスになることが多い。本当の高級神霊を体で受けたことがない人は、「これは本当の神なのだ」 と思い込んでしまうかもしれない。(p.81)
 また、別の理由として、UFOの9割は凶党霊団の化身である、と書かれている。凶党霊団とは、霊界のギャング団のような存在なのだという。

 

 

【日本を守る人々】
 中丸薫さんが以前から指摘している世界の闇の権力こそが、凶党霊団に支配されて人類を支配する行動計画を立てている勢力なのであろう。
    《参照》  『闇の世界権力の「日本沈没計画」を阻止せよ』 中丸薫/レオ・ザガミ (ヒカルランド)
 中丸薫さんのように、現実界に直接働きかけて闇の勢力が画策する 「世界の終末」 を防ぐという役割の方もいれば、著者のように、神界ないし霊界レベルで凶党霊団の作為を未然のうちに封じて日本と世界を守るという役割の方もいるのである。