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 1960年に渡米し、ニューヨークでユダヤ系作家と結婚し、二人の子ども(一人は脳障害者)をもつ著者の作品。 『遠来の客』 と 『過越しの祭』 の2編が掲載されているけれど、いずれも家族との実生活を描いた作品。アメリカ人の妻となった日本人女性の異文化に対する体験的見解が好評を博して芥川賞を受賞したのだろう。1985年初版。

 

 

【岩乗・大童】
 このフードの付いたスキー用の特別に岩乗に出来た暖かいオーバーを ・・・(中略)・・・ (p.83)
本来は “頑丈” なのだろうけれど “岩乗” でも意味は分かる。出版社の誤植ではなく1930年生まれの著者のような世代の方々が、普通に使っていた当て漢字なのかもしれない。
 “大童(おおわらわ)” という漢字も使われて (p.48) いる。こちらは辞書にある言葉だけれど、使われているのを見たのは初めてのような気がする。

 

 

【ニューヨークの日本食レストラン】
 初めてニューヨークに日本から船と汽車で2週間かかってやって来た時のことが脳裏に蘇って来た。20年も前のことであった。1960年。日本人なんてめったに出喰わさなかった。(p.88)
 日本のレストランはコロンビア大学の前に一軒と、マンハッタンの真中辺りに一軒あっただけであった。(p.89)
 マクロビオティック の普及で、いまやアメリカにおける日本食は一般常識みたいなものだけれど、わずか半世紀前はこんな状態だった。
 このレストランの名前は、ミヤコ、スエヒロ、チドリのいずれかだったのだろう。
   《参照》   『私の見た日本とアメリカ』 三浦昭 (東京図書出版会)

              【当時の日本料理店】

 

 

【自由な国の束縛】
 アメリカ社会は自由なんだ。あの因習的な男尊女卑の日本の社会からやっと飛び出して来て、これから自分の好きなことさえしておればよいのだ。(p.88)
 このような希望を胸に、旦那のアルとニューヨーク生活を始めたけれど・・・、
 今考えてみると、アルも心の底ではシルビアに手をやいていたのだと思う。で、わたしが日本人だからイン・ロウへの仕え方を知っている従順な女だと概念化したのが間違っていたのだった。一人で海を渡ってアメリカに来るような女は何国人であっても独立心があるものだ。独立心がある女は人の言うことをきかない。(p.151)
 「一人でアメリカへ来るような日本人女が “大和撫子” であるわけがない」 と自らを言い放っている。大和撫子的な従順とは違った価値を、独立心という言葉に託して自由な国へとやって来たけれど、実は、歴史的に根深い階級構造を持つ欧米社会は、日本人が思い描くような自由を、根本的に保有していないのである。
 日本で信者でもないのに、偶々行ったバイブル・クラスでお祈りを言わされたのを思い出した。あの無理強いされた偽善的な言葉がたまらなく厭であった。
 ここに座っている人々は、どうしてわたしが、マリリン・モンローやエリザベス・テイラーのようにユダヤ教の改宗しないのだろうと思っているに違いない。この人々にとっては他宗教は存在しないのだ。こういう排他性がユダヤ教からキリスト教や回教に受け継がれ、その末はお互いに殺し合うようになったのだ。人の主義を黙って放っておけない御節介な西洋。それが植民地主義であり、宣教であり、ナチズムである。(p.155-156)
 欧米人は、おしなべて教条主義的で強固な観念と排他性を持ち、それを貫徹させようとする。
 宗教的排他性までを許容している自由なんて自由とはいえないと思うけれど、欧米人にとって、自由という価値は、おうおうにして宗教という価値の下に置かれているのである。
 欧米社会は、長らく教皇権と王権が覇を競ってきた歴史がある。いずれも覇権主義であり強固な階級性をもっている。どちらが覇者になろうと社会の基本構造は変わらない。そのような根深い歴史の中で培われてきた自由は、日本人の魂が欲する高次元な本質的自由とは根本的に違っているのである。
   《参照》   『新ミレニアムの科学原理』 実藤遠 (東明社) 《後編》

              【自由と必然性】

 今日でもまだ、「自由を求めてアメリカへ行きたい」 などという女性がいるとは思えないけれど、もしもそうであるならば、自由に関する文化的・次元的差分を実体験から学びとることを魂が欲しているからなのだろう。
   《参照》   『女性たちよ、アメリカへ行ってどうするの?』 樹田翠 (PHP研究所)

 

 

<了>