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 副題にある通り、「日常生活の中にある日米文化比較」。この手の本はテンコモリ出版されているけれど、比較的内容の濃い本だと思う。
 著者のプロフィールには、教育・異文化コミュニケーションで哲学博士号取得。1983年よりオレゴン州のパシフィック大学教授とある。2002年12月初版。

 

 

【褒めることと感謝すること】
 私がアメリカへ来て学んだことの一つ。それは 「褒めること」。 (p.35)
 ある調査では、日本人とアメリカ人の褒める回数は1対13だと言う。それほど日本人は人を褒めない。(p.42)
 チャンちゃんが年老いた母親と一緒にハワイのダイアモンドヘッドに登った時、すれ違ったり追い越したりするアメリカ人は、ほとんどすべて母親に対して 「good job(すごいね!)」 とか 「good fou you(いいことだ)」 と言って声をかけてくれた。国際的な観光地だから、半分は東洋系の人々だったけれど、母親を励ましてくれるのは、みなアメリカ人だった。アメリカ人は、本当に誰であっても頑張っている人を称賛し褒める。
 同質社会の中で突出した個性を良しとしなかった日本人は、褒められても謙遜を美徳としていたのだけれど、最近の日本人の若者の中には、アメリカ的になっている子が多い。「ありがとう」 の方が気持ちいい。
 かつてチャンちゃんは、外国人の女子学生さんに 「日本人らしく振舞うには、どうしたらいいですか?」 と質問されて、「褒められたら、顔の前で手を小さく振りながら 『いいえ、いいえ』 と言えばいい」 と答えていた。
 多くの人種が混じり合う異質社会のアメリカでは、家族間であってすら、「褒めること」 と 「ありがとう」 がペアのように用いられている。そんなに頻繁に褒めたり感謝したりしていたら、形式的なものになりはしないかと思うけれど、それは日本人的な余計な心配なのである。個人主義、独立心といった一連の価値観の中で生きているアメリカ人は、さっさと子供を巣立たせるために、一貫したポジティブ・シンキングという流れの中で、褒めることは定式化しているである。


【ありがとう】
 アメリカ人に何かしら協力して上げた日本人は、後日会った時、「この間はどうもありがとう」 くらいのことは聞きたいと思う、しかし、その期待は実現しない。
 それもそのはず、アメリカ人としては、 “Thank you” を言った時点で、もう貸し借りは清算済みだったのだから。
 アメリカでは 「恩」 で長い友情を築くことは余り期待できない。それは受けた恩を返す義務の様なものが存在しないから。親切は感謝されるが、その見返りは期待されていない。返すときは、返す方が返したいから返しているのだと、割り切っている。独立した人間はできるだけ社会的な借りはつくらないものだそうだ。だから、アメリカでの人間関係は、良く言えばさっぱりしているが、反面、淋しい人が多いことも事実。(p.47)
 大人になってから日本からアメリカへ渡った人は、 「日本社会の供応関係の煩わしさがなくていい」 と言い、学生としてアメリカに留学した日本人は、 「親切にしてあげても、なかなか友達ができない」 と言う。

 

 

【 “I’m just a housewife” 】
 アメリカの女性は、仕事を持ってないと、なぜかとても卑屈な感じで、 “I’m just a housewife” という表現を使う。この “just” というのは、かなり自分を卑下した表現で、「何も仕事がないから家にいるのよ」 といった含みがある。 ・・・(中略)・・・ 。これはアメリカの女性の9割以上が働いているという事実にも関係あると思うが、私はアメリカの家庭の成り立ちにもその根源があるような気がする。(p.134)
 かつては、アメリカにも専業主婦が多かったけれど、アメリカの主婦は日本の主婦のように、かつても現在も家計の財布は握っていない。だから ”just” 。

 

 

【女性の独立?】
 アメリカの貧困層は、20%もあり、その多くが母子家庭なのだ。私は日本がそんな風になってほしくない。
 女性の独立と離婚と母子家庭。完全に独立できるだけの経済力をもてるようになるということはアメリカでも易しいことではない。中途半端な独立は困難をもたらす。自立できる術をもつことは男女同権のためには不可欠だ。しかし、これを離婚、母子家庭、貧困という図にならないようにするにはどうしたらいいのだろう。(p.138)
 女性が自立と言って職業を求めているとき、経済が拡張せず雇用が限られているのだから、当然のごとく男が失業する。どちらかが失業するのである。女性が自立を目指して職業をもちたいなら、男が専業主夫を目指さなければならないのである。
 そもそも体力的にも脳科学的にも性差がハッキリしているのだから、男女同権は基本的に不可能なのである。性差に基づいた役割分担こそが真実であって、家庭を持ちながら男女それぞれに職業的経済的自立というのは、論理的矛盾なのである。
 経済が成長せず雇用数の限られた社会では、 “男女それぞれの自立” ではなく “家庭単位での自立” を目的にしなければ成り立たない。つまり、 『共働きを法的に禁じる』 以外に手はないのである。そうしなければ、育児、老後、失業問題に関して、国家の負担は増えてゆくばかりである。ただただアメリカ社会の後追いをするだけなら家庭も国家も窮乏するばかりである。
 女性の自立、男女同権を目指した社会は、離婚 ⇒ 母子家庭 ⇒ 貧困という既定のレールに乗る女性を増産する社会になる。それは必然である。
    《参照》   『中国人の99.99%は日本が嫌い』 若宮清  ブックマン社
              【中国女性の野心と野望:夫婦別姓は男女同権か?】
              【『男女同権は女性を幸福にしない』】
              【「アエラ族」改造講座】
 

 

【高校のデイケアセンター】
 妊娠中絶に対するキリスト教的観点、民主主義の機会均等の原則、そして、個人の選択を尊重、優先する個人主義、これらすべてが、この高校のデイケアセンターとなって具体化されているのだと思う。
 日本からの訪問者がこのデイケアセンターを見たときは目を丸くしていたけれど、 ・・・(中略)・・・ 個人の選択を尊重するのは、お金のかかることでもある。アメリカの教育には学科教育以前のところにとてつもないお金がかかっている。(p.143)
 主義主張を何でも許容すれば、途方もないお金が必要になる。
 「違いを明確にし、主張をせよ」 と教育してきたのだから当然の帰結であって、アメリカの自縄自縛である。