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 人事にまつわる総論・各論から、具体的な事例まで記述されている。具体的事例に関しては、露骨な人間模様に辟易するものが多いけれど、人事課の人でも、普通の社員でも読んで知っていたほうがためになるかもしれない。
 ただし、この著作にあるのはほとんど大企業の事例らしい。中小企業ではない。

 

 

【人事が見ている基本姿勢】
 能力よりも前に、普段からの仕事への集中力が試されているわけだ。これは職種を問わず、社会参加の基本姿勢。ただ、この当たり前のことを継続して実践できる人は少ない。(p.15)
 若者は、「集中できるような楽しい仕事がしたい」 と思うらしい。なるほどそのような職場に属している若者もいるかもしれないけれど、全職業人口の中でそのような環境に恵まれている人はあまりにも稀である。そんな稀な世界に憧れ続ける人は、幼稚というか現実を弁える知性が欠如していると人事の担当者は考えるらしい。

 

 

【つまらない仕事を完璧にやる】
 「つまらない仕事を完璧にやる」 社員も、人事の信任は厚い。
 この点、京セラの創業者、稲盛和夫さんはこう述べる。
 「ビジネスの仕事は一見、平凡ばかりに見える。しかし、その平凡な仕事を完璧にやれる者は実に少ない。だから、平凡なことを完璧にやると、それが人に感動を与える」( 『稲盛和夫語録にみる京セラ・過激なる成功の秘密』 国友隆一著・こう書房) (p.22)
 仕事なんてそれがいかなる仕事であろうと、8割方つまらない仕事のオンパレードである。そのつまらない8割を完璧にこなせたら、それはもう国宝級の人材なのだろう。
 「自分探し」だとか言いながら、やりたい仕事だけに拘っているようでは、その「やりたいこと探索期間」自体が人生の無駄だろう。

   《参照》  『本当に読んでほしい本150冊』 三浦展&勝間和代 (プレジデント社)
              【本来の「天職」】

 

 

【日本的経営】
 「日本的経営の特質は合理性・能率性の原理と納得性・合意性との二重の原理の絡み合いを基本原理にしているところにある・・・・(中略)、合理性、能率性が理性から発するとすれば納得性は心情から発するのであって、日本的経営の特質は、構成員が参加することによって全人格を投入する性質を持つ共同生活体というところにある」 (p.44)
 アメリカ人に “(企業は)全人格を投入する性質を持つ共同生活体(である)” などという記述を読ませれば、「バカバカしい」 という感じで頭を横に振るに違いない。国籍、言語、文化のことなる移民で構成されるアメリカのような国家は、いずれかの民族の文化的指標を選らばねばならず、理性にもとづいて数量化できるものを人事の評価指標とするしかなかったのである。
 日本企業がアメリカ的経営に習ったのは明らかな失敗である。日本人の目に見えざる特質は、数量化できないところにある。
   《参照》   『「見えない資産」の大国・日本』 大塚文雄・Rモース・日下公人 (祥伝社)

 

 

【外資系の人事】
 人事というものは、組織の最適化を図ることから、コンピューターの基本ソフトとであるOS(オペレーティングシステム)作りに例えられる。
 OSの基本機能は、製造メーカーによって微妙に作動状況の違うコンピューターを、どのメーカーのものであっても同じように作動させることである。そのうえで、複数のソフトウエアを管理し、その利用効率を上げるよう設計する。
 人事部の仕事もまさにこれと同じで、全社共通の人事制度を作り、それを公平かつ厳正に運用しながら、社員の能力を管理し、社内全体の最適化を図る。しかも、コンピューターのバージョンアップ同様、時代の変化とともに人事制度を進化させていかなければならないものだ。(p.45)
 メーカー毎にやや異なるハードウエアを企業や企業の部署に、OSの上で作動するソフトウエアを社員に譬えているのであろうけれど、この考え方自体が徹底的に外資系由来である。
 人事=OSというのは、マネイジメントしオーガナイズする立場の見解であって、納得性や合意性といった社員の心など最初から視野に入ってなどいないのである。これも支配者側の理性に元づく機能的な見解と言うだけである。

 

 

【腐ったミカン】
 仕事ができないだけでなく、会社の批判ばかりしているような社員や、バックに広域暴力団がついている怪しげな宗教活動をするような問題社員は、閑職にまわすか子会社に出向させる。(p.50-51)
 職業の縁を私的に信仰する宗教の布教にもちいるのは、明らかに 「公私混同」 である。良いわけがない。しかし、都内には、巨大宗教団体に属してグループを形成しているような弱小企業群が実在している。勿論、そのことを公にしてはいないから、さんざん営業した結果、ただの徒労だったという経験を持つ人は何人かいるはずである。
 人によらず宗教によってビジネスを囲い込むような企業経営者こそが、最大の腐ったミカンだろう。

 

 

【 『好き嫌い』 に基づく評価 】
 松井証券経営者の著作にある記述。
 「(わが社の人事)評価にあたっては、定量的に数字を積み上げるだけのスタイルを排除して、面接を重視した、きわめて感性重視の手法で行われる。
 誤解を恐れずにいえば、 『好き嫌い』 に基づく評価である。 ・・・(中略)・・・ 。そもそも、どんなに精緻な定量的・評価基準を導入したからといって、完璧に客観的な人事評価制度など存在しないのである。ある意味、評価とは実に感情的・主観的なものである」
 奇をてらったかのようなこの主張は、しかし多くの人事担当者たちの共感を集める。彼らがけっして口にできない本音を述べているからだ。(p.68-69)
 この考え方を実行しても、ある程度の規模になれば、好き好き同士だけのグループなど構成できないという事態に直面することになる。それが唯一の欠点である。両隣同士なら好き好きといえても、それ以外の斜め前や真正面の人とは好き好きとはいかないのが普通である。そこを上手にやりくりするのは個人の修身的な課題なのだろう。
 そのような訓示的?修身的?人格陶冶的?教育は、人事ではなく経営者の仕事なのかもしれない。

 

 

【人事部は、組織の矛盾やひずみを引き受ける部署】
 どの部署でもミスを繰り返す人がいた。
 その結果、仕方なく、人事部で預かっているのが現状だ。
「いまは、私の隣に座らせているのですが、他の部下から 『刺されないように注意してくださいね』 といわれています」
 「雇用を守る」 という観点から、この会社では 「できる限り解雇しない」 という趣旨の就業規則が定められていて、社員はそれに守られている。
 人事部は、組織の矛盾やひずみを引き受ける部署でもあるわけだ。(p.85-86)
 人事部って、重犯罪刑務所行きの予備軍みたいな人を預かる場合もあるらしい。単なる読者の視点で読んでいるだけだから、ちょっと笑える。

 

 

【人事がいちばん頭にくる管理職】
 「管理職で頭にくる人というのは、自分のことしか考えていない人です。要は、部下を育てようとせず、自分が評価されるために目先の数字ばかりを追わせる。部下がつぶれても平気で、やたら部下をこき使うひとですね」(メーカーの人事部長)(p.149)
 これを読んで不思議に思うのは、「だったら何で人事課はそんな人を管理職にしたのか」 ということである。管理職になったとたん悪い方へ豹変したなんて、そうそうあるものじゃないだろう。
 おそらくこれは、トヨタのような巨大企業の下請けとして出向させられている社員が属する企業の人事課の見解なのだろう。下記のリンク書籍にあるデンソーのような下請け側である。
   《参照》   『トヨタの正体』 横田一・佐高信 (金曜日)
             【雇用】

 

 

【人事に相談する】
 「人事に相談に行くということは、職場が抱えている問題を明らかにすることですから、管理職の中には、管理者としての能力を問われるのではと心配する人もいる。だから、問題があっても隠そうとする人が現れたりする。しかし隠せば隠すだけ、事態を悪化させてしまうわけですから、こういう人が一番困る。人事としては、問題があるならその芽を早く摘みたいわけです。相談に来た管理職の弱みを握ろうなんて考えは毛頭ない」
 しかも、持ち込まれた問題がいかに深刻であっても、相談に来てくれたことをむしろ評価するという。(p.159)
 一般社員には基本的な心得として 「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」 の大切さは第一に教育されるのだし、まともな企業ならば、悪い情報ほど率先して収集して即座に対応することの大切さが共通認識事項となって実践されているものである。
 しかし、意に反して、こういったことは有名企業の管理職ともなればより恣意的になり実践されていない傾向が強くなるのだろう。近年のトヨタなど、国内においてもリコールの遅延は、他社と比較しても一番多かったはずである。
 物作りの現場における 「問題を吐き出させる “しくみ”」 の実例が、物作り企業の管理職の行動や人事問題において活かされていないというのであれば意外である。
 一般企業も、物作りの現場の実例を人事に当て嵌めて考えておくべきなのだろう。人事の範囲のみで人事を考えていても良案など出てこないものである。
   《参照》   『トヨタのやり方とその舞台裏』 相模兵介 (新生出版)
            【 問題を吐き出させる “しくみ” + 改善 】

 

 

<了>