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 強烈に本を読む気になれない気分の昨今、短い小説ならと思いつつ古書店で見つけた1993年の小説。
 坊っちゃん文学賞などという文学賞があったこと自体知らなかった。愛媛県松山市が主催する文学賞。

 

 

【姉の名前】
 美少女で才媛の姉を巡って、弟の語りで物語は進んでゆく。
 姉の名は清文(きよふみ)といった。(p.5)
 清文が女性の名前??? とのっけから躓いたこの小説。
 その後も何度か躓いたのは、少女の心理描写がスンナリとは理解できなかったから。
 17歳の少女の内面って、少年のそれとは “ぜんぜん違うなぁ~” と思いつつ読んでいた。自分自身の高校時代のことを思い出してみても、この小説に描かれている少女の内面世界は “まるで想像できない別世界“ である。

 

 

【女性は、少女の頃から心と言葉は裏腹】

 君子は姉の親しい友人。
 君子はね、 ”心と言葉が一緒” な生活をしているのよ。家でも学校でも。それをきいた時、私なんだか酷く悔しくなったわ。 ”心と言葉が一緒” な君子に “迷い込んでも引き返さなくていい” 安田君は必要ないわよ。」 (p.65)
 “えぇ~~、心と言葉って、ふつうに誰だって一緒じゃないの?” と、高校生の私だったらひっくり返ったことだろう。私は鈍感だったから、30を過ぎてから 「女心はいつも言葉と、裏腹な企み隠してる」 という竹内まりやの 『告白』 の歌詞を聞いて、「なるほど~、そうなのかも知れない・・・」 と薄々理解し始めた程度だった。

 そうか、だからに美少年は花になれるのに、美少女は花になれないんだな。
   《参照》   『オルフェウスの卵』  鏡リュウジ (実業之日本社)
              【花咲く美少年】

              【地球との音程のズレ】

 

 

【そんな女性だからこそ】
 そんな女性だからこそ、いずれは自縄自縛のステージに自らを立たせてしまうのだろう。
 「私は宮下君に嫌われたくなかったのよ。だから自分をさらけ出せなかったの。いつまでも好きでいて欲しかったのよ。」(p.69)
 助けられない。

 

 

【殉教者】
 姉には逃げ込む場所がなかったから、外的因子、または内面の葛藤からくる痛みは全てどこまでも殉教的に受け止めるしかなかった。(p.86)
 “殉教的” という表現はよくできているけれど、17歳の少女であった著者は、相応しい表現としてこの言葉がごく普通に出てきたのだろうか。
 もしもマウルブロンの修道院で生涯を過ごしている修道士が、この小説を読んだら何というのだろう。
 「そう、これこそ女という性が持つ、殉教の契機となる宿命的な心理ですね」 とかって言うのだろうか。
 カバーの折り返しに著者の写真が載っていて、もしかしたら殉教者になってしまいそうな顔で写っているから、こんなことを思ってしまった。
 タイトルが “魚のように” となっているのが偶然には思えない。魚はキリストの象徴である。
   《参照》   『図像学入門』  荒俣宏  マドラ出版
           【西洋の寓意:魚】
           【 「鮭図」 高橋由一・画 】
 著者に確かめてみたい気もする。文中 (p.43) にはプラトンの 『饗宴』 も言及されているのだから。
 

<了>