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 日清食品の創業者。2007年に亡くなられており既に故人であるけれど、存命なら百年目ということで、名前にちなんで日清食品が現在キャンペーンをやっているから、図書館の書架で目に入った。
 全て、短文の箇条書きで構成されている。

 

 

【逆境】
 人生に遅すぎることはない。
 私は事業に失敗して財産を失い、48歳から再出発した。60歳、70歳からでも、新たな挑戦はある。(p.11-12)
 自邸の庭に建てた小屋でチキンラーメンの作製に成功し、商号を 「日清食品」 としたのは、48歳だったという。ケンタッキー・フライドチキンのカーネルオジさんも確か遅咲きだった。
   《参照》   『帰化日本人』  黄文雄・呉善花・石平  李白社 《後編》
             【インスタントラーメン】

 

 

【発明】
 考えて、考えて、考え抜け。私が考え抜いたときには血尿が出る。(p.39)
 私は、行く先々で、人が集まっていればのぞきこむ。商品にさわってみる。さわって分からなければ質問する。質問して分からなければ買って帰る。(p.44)

 

 

【商品】
 消費者の健康を損なうような商品は絶対に売らない。
 私は毎日ラーメンを食べているから元気ですよ。
 私は生き証人。これ以上の説得力はない。
 もし私が体に悪いものを売っていたのなら、土下座して、すぐに会社をたたみます。(p.85-86)

 

 

【経営者】
 社員はもとより、社会全体がトップの姿勢を見ている。社長の座は十字架を背負っているようなものだ。(p.87)
 真のリーダーの資格は、人としての徳を持っているかどうかだ。(p.92)
   《参照》   『何のために働くのか』 北尾吉孝  致知出版社
             【徳ある者を・・・】
 

 

【組織】
 人間はすべて善と悪を持っている。全人格を信用することなどありえない。(p.122)
 私は会社を一つの人生大学だと考えている。仕事を通じて人間の生き方を学んでほしい。(p.132)

 

 

【着く時間は一緒】
 新幹線のグリーンに乗ることに何の意味があるのか。どこに乗ろうと、目的地に着く時間は一緒じゃないか。(p.139)
 「会社の交通費として出るからグリーン」 と当然のように思っているような社員で構成される企業は、基本的に狂っている。そういった企業の “幹部” は、自らが率先して “患部” となっている自覚がないのである。

 

 

【地位と仕事】
 絶えず自分の地位より1ランク上の仕事をするように。(p.143)
 『プロ・サラリーマン』 の著者・高橋忠之さんは、「常に2ランク上の立場で考えていた」 と書いていたような記憶がある。いずれにせよ、自分の現在の地位だけで考えている人は、視点を高く持つということをしないのだから、やはりそこに留まらざるを得ないだろう。

 

 

【賢食】
 私がコックか板前になっていたとしても、第一級の料理人になっていたに違いない。これだけは自信がある。(p.164)
 料理というのは、素材の味や組み合わせの妙なのだし、段取りとタイミングの成せる技なのだから、それは企業経営に通ずるはずである。優れた経営者が料理の道に進むなら必ずや優れた料理人になれるのではないかと思っている。

 

 

【地球自転 陰陽生息】
 平成14年(2002年)の年頭所感だそうです。
  ・・・(中略)・・・ 。
 今は陰の時代だが、これが永遠に続くわけではない。
 すくそこに、温かい日差しが垣間見えている。
 昨年12月、皇室に待ちに待った内親王が誕生された。
 孟子の 「仁ある者は人を愛し、礼ある者は人を敬す」 から、敬宮愛子様と名付けられた。このおめでたい出来事が、私には時代が変わる予兆のように思える。
 すべての人々が、東洋と西洋、富める国と貧しい国、あらゆる国境、文化、宗教のへだたりを超えて共存できる時代が生まれることを期待してやまない。(p.230)
 敬宮愛子様がお生まれになったのは、2001年12月1日。 さて、愛子様の祖母に当たる美智子妃殿下の父君は、「日清製粉」 の会長だったから、同じ “日清” を社名に冠する 「日清製粉」 と 百福さんの 「日清食品」 は関連会社と思いきや、違った。ウィキペディアには、以下のように記述されている。
 旧・日清食品は1948年9月4日創業、創業者安藤百福は世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を開発した。日清製粉グループ・日清オイリオグループ・日清医療食品株式会社とは過去も現在も資本・人材を含め一切無関係。3社とも著名な食品企業なので注意を要する。なお、これらグールプ側は"Nisshin"と英称に"h"が含まれている。一方日清食品は"Nissin"と"h"がなく、回文となっている。
 皇室の血筋に関連していようといまいと、日本国の企業家たちは、日本の繁栄を願っているから、皇室の慶事は日本国家の慶事であり、我が喜びとするところのはずである。このような思いに至れない人であるなら、畢竟するに日本国家の国運に関与するほどの枢要な企業の創業者にはなれないのだろう。
 
<了>