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 玉葱頭の黒柳さんはユニセフの親善大使。紺野さんは国連開発計画(United Nations Development Program)の親善大使。大使といっても報酬は年1ドルだから、仕事の合間を縫ってのボランティアである。
 日本人以外で国連開発計画の親善大使となっているのは、ロナウド、ジダン、ドロクバ、シャラポワというスポーツ選手4人と、ノルウェー国王のホーコン皇太子。計6人。
 著者が訪問した7カ国の状況が、写真と文章で報告されている。

 

 

【カンボジアのHIV】
 カンボジアで売られたり、誘拐された子どもたちは、おもに隣の国・タイに連れて行かれます。そこで小さいうちはキャンディーや新聞、花売りなどをさせられます。12,3歳になると女の子は歓楽街に連れていかれて、売春を強いられることが多いそうです。 ・・・(中略)・・・ 。無理やり性的な仕事につかされ、10代でHIV感染によってエイズを発症する少女も少なくありません。(p.15-16)
 カンボジアは1975年から79年のポル・ポト政権時代に、先生、医者、弁護士など知識人を中心に200万人が殺されてしまった。東南アジアの中でも国家の発展に加速が付かないのはそういう理由があるからである。
 貧困が原因で、カンボジアにHIV感染者が増えてしまった。現在は民間日本人からの経済支援で貧しい人々は無料でワクチンを投与してもらえるので、いくらか改善はしているらしい。しかし、カンボジアの教育レベルが高まって、自国を発展させることのできる若者たちが育つまでには、まだ暫く時間がかかる。
   《参照》   『一番下に潜れば、価格競争に勝てる!! 深見所長講演録23』 (菱研)
               【書籍の贈り魔】

           
 
【パレスチナ】
 イスラエルとの長年の抗争に明け暮れる中東の火薬庫地帯にあるパレスチナ。
 この(ガザ)空港は、日本の援助で建設されました。
 世界最古の町といわれるジェリコには、地元の人たちに 「日本病院」 と呼ばれ親しまれている、日本のODAでできた総合病院があります。(p.38)
 アメリカと太いパイプをもつイスラエスは、インフラなど結構整っているけれど、パレスチナはそうではない。ガザ空港も、2007年の秋以降、イスラエルとの紛争が再燃し、爆撃され、現在は機能していない状態だという。
 案内をしてくださった院長さんに 「今、いちばん必要なものは何ですか?」 とたずねてみました。
「自分のことはもういいのです。でも子どもたちの世代にはごく普通の、自由な生活を送らせてあげたい」
 温厚そうな院長さんは静かにそうおっしゃっていました。ぜいたくを望んでいるわけではない。安全に学校へ行って勉強ができること、友達と海や川や原っぱでのびのびと遊ぶこと。家族で夕御飯の買い物に行くこと。
 そんな当たり前の生活がパレスチナにはないのです。院長さんの言葉は、パレスチナの現実をひと言で表しているようで強く心に残りました。(p.38-39)

 

 
【ブータン】
 ブータン国王はGNP(グロス・ナショナル・プロダクツ:国民総生産)ではなくGNH(ハピネス:国民総幸福量)と唱えるほどだから、経済発展を必ずしも優先していない。鶴を保護するセンター付近の住民は、電線を張ると鶴が来なくなるかもしれないからと、電気をあきらめたという。
 標高が150mから7000mという極端な高低差をもつこの国のインフラを整えるのは容易なことではない。ちょっとした災害で陸の孤島になってしまう地域だらけ。
 そこで、日本とUNDPの協力で、ブータン全土の主要部に電話やインターネットの通信網が張り巡らされたのです。これで村と都市が繋がりました。個人のお家には端末がなくても、村役場に行けばインターネットを使うことができます。(p.58)
 環境先進国をうたうこの国に相応しいビジネスが、レモングラス栽培。
 レモングラスはイネ科の植物で、香水の原料になります。日本ではアロマオイルとして、お風呂に入れたりマッサージに使ったり。レモンのような、さわやかな香りが特徴です。
 ブータンにはその植物が、豊富に自生していることに着目したUNDPです。
 レモングラスの一大自生地である中央ブータンのブムタン県に、オイルを抽出する設備を見に行きました。工場というより、畑の一角に簡素な装置があるだけという眺めです。(p.53-54)
 数ヶ月前、NHKのテレビで見たけれど、経済発展の波が押し寄せつつある近年のブータンの都市部では、住人同士の間にいくつかの軋轢が生じつつあるらしい。

 

 

【ガーナ】
 ガーナには日本のODAによって建設された野口英世医学研究所があり、現在は博士の遺志をつぐガーナ人研究者が中心となり、感染症(HIV・エイズ・マラリア・結核等)の研究が進められています。
 私が子供のころ、初めて読んだ伝記は 「野口英世」 です。その偉大さを改めて感じました。(p.65)
 感染症で親を亡くした孤児たちが増えたガーナ。
 「地域の子どもは自分の子どもも同然。だったら、子どもたちを地域の力で救おう」
  ・・・(中略)・・・ 「クイーン・マザー」 と呼ばれるおばさまたちです。彼女たちは、経済的に少し余裕のある家庭の婦人会のみなさん。首長の相談をこころよく受け入れたそうです。
「私たちが、1家庭あたり6人のエイズ孤児たちを引き取りましょう」
 家には5人も6人もこどもがあるのに、みな、新たに6人の子どもの里親になり、自分の子どもと同じように育てているというのです。(p.68-69)
 こういうのを読むと、先進国に住み 「共生」 を語る人々に、「で、あなたは何をしているの?」 と言われて返す言葉があるのだろうか? 著者は正直にこう書いている。
 なんという太っ腹! なんというエネルギー! 私など、ひとり息子の子育てだけで、日々手いっぱいです。ひとりで良いから引きとって、といわれても自信がありません。(p.69)

 

 

【東ティモール】
 2002年にインドネシアから独立した、世界で最も新しい国。
 近年では、日本の自衛隊がPKO参加のためにイラクのサマーワに派遣されて話題になりました。あまり報道はされませんでしたが、東ティモールにも自衛隊が派遣されていたのはご存知でしたか? 半年交代で2年間、のべ2300人もの隊員が派遣されたそうです。
「今走っているこの道路もあの橋も、自衛隊の人たちが直したんですよ」
 UNDPの日本人スタッフがそう話してくれました。あちこちに穴はあるものの、幹線道路はきちんと舗装されています。2年の間に、およそ120か所の道路や橋が補修されたそうです。基本的なインフラ整備は国づくりの第一歩。自衛隊はいいことしているなぁ、と誇らしい気持ちになりました。
 もっとも頼もしく思えたのは、現地の人々に機械の動かし方や整備の手順などを指導した結果、100名近くのエンジニアが誕生したことです。(p.82)
 中国のように資源確保の目的などなく、ただ戦争で疲弊した町を復興して民衆の生活を助けるために行う援助。このような日本の援助は、世界の何箇所かで行われてきたはずである。
 現在、自衛隊は帰ってしまっているけれど、この国には日本の民間機関からも少なからぬ支援が継続されているし、国連の日本人スタッフなども大勢い残っている。著者は 「がんばれ!!ニッポンの国連人!」 と書いている。同感。
 著者が、みのもんたさんの番組 『ミリオネア』 に出演し、
 「1000万円取ったら、東ティモールに木を植えます!」 (p.87)
 と宣言したら、クイズに全問正解して、その言葉は実現した。
 東ティモールに関する本の読書記録   
   《参照》  『告 ― 真のつくり変え ― 』 日子八千代 (文芸社)
            【日本の原点があったトラジャ】

 

 

【ベトナム】
 今、ベトナムのエネルギーの大部分は石炭に頼っています。同時に炭鉱での事故もしばしば起こります。 ・・・(中略)・・・ 。その事故をきっかけに、炭鉱の安全を守る技術を教えてほしい、という依頼がベトナムから日本に寄せられたのです。
「戦後、日本の炭鉱事故は300件余りあり、1700名もの方がなくなられています。炭鉱の安全を守る技術は、その方たちの犠牲の下に進歩してきたのです」 (p.98)
 かつての日本には、九州の三池炭鉱や、映画 『フラガール』 で描かれた福島の常磐炭鉱など、いくつもの炭鉱があった。そこで亡くなったのは、日本人ばかりではなく、朝鮮半島から徴用されてきた人々も少なからずいたはずである。 『フラガール』 の制作監督は在日の方なのであろう。字幕の最後に日本人名ではないその名前が表示されていなければ、私などは在日の人々の炭鉱にかかわる歴史の一端に気付くことなどなかった。
 国籍によって命の重さが変わるということはない。
 下記は、筑豊炭田の三井田川坑に連れてこられた後、常磐炭鉱送りなった朝鮮人を契機として書かれた小説である。
   《参照》   『黒龍丸の挽歌』 高橋健 邑書林

 

 
【モンゴル】
 モンゴルの大草原にはトイレはありません。言いかえればどこでもトイレです。モンゴルでは 「用をたす」 ことを 「ちょっと馬を見に行く」 と言うそうです。

 日本では小学校の国語の教科書にものっているモンゴルの民話 「スーホーの白い馬」。私も大好きです。少年と白い馬の深いきずなを描いた馬頭琴誕生の物語は、涙なしには読めません。 (p.106)
 「スーホーの白い馬」 はお薦め絵本として書評で紹介されているのをしばしば見るけれど、読んだことはない。今度、図書館で読んでみよう。
 そして今、モンゴル最大の援助国は日本です。1991年以降の外国からの援助のうち、およそ7割が日本からの支援です。火力発電所の修理をしたり、水道、鉄道など国づくりに必要な援助から、学校や病院、環境保護対策などの人々の生活に必要なものなどまで、幅広い支援が行われています。(p.110)
 白鵬や朝青竜の看板があちらこちらにあるウランバートルの町の様子は、テレビでも良く紹介されている。そして、急速な発展に伴う大きな歪みも伝えられていた。
 世界中どこであれどの国であれ必然的なことだけれど、この過程を上手に乗り越えないと国は順調に発展しなくなる時が来る。
 
 
<了>