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 台風の夜、対馬沖で遭難していた韓国人少女をたまたま救出した日本の帆船・黒龍丸。両親の記憶を失い日本人として育てられることになった寿奈という女性の語りで、瀬戸内海にある六島という小さな島の、明治から昭和にかけての時代状況が語られている。

 

 

【銀作じっさまによって救出された寿奈】
 父親と漁に出ておったのだと思いますよ。ええ、韓国のどこかの島からでございます。その時、私は日本語がよく話せなかったそうでございますから・・・・。それに不思議なのは、私には父親はもちろん、母親の顔も思い出せないのでございます。海に投げ出されたショックで忘れてしまったのかもしれません。
 ・・・中略・・・。
 銀作じっさまが死んで、何年かたってからでございました。
「銀作兄ぃがな・・・、どうして、あんなにお前のことを連れて帰ろうとしたのか、今だに分からんのじゃ・・・・」 と、辰吉つぁんが私に話してくれたことがあります。
「日本語もようわからん、しかも10になったかならんかの女っこをな・・・。みんなの反対を押し切って、警察にまで掛け合ってなあ。」
 ・・・中略・・・。
 寿奈(スナ)という名前は、黒龍丸に助けられたとき、自分のことをスンナ、スンナと言って泣いておったことから、銀作じっさまが私を養女にしたときにつけてくれた名前です。
 ・・・中略・・・。
 私は身体が冷え切っていて、食物を受け付けるまでに丸2日もかかったそうでございます。その間ずっと、銀作じっさまは私を抱きかかえて、肌で温めてくれたそうです。「あんときは銀作兄ぃの血のぬくもりが、寿奈ちゃんを生き返えらせたのよ・・・」 (p.29-32)
 『ディングルの入江』 藤原新也 (集英社) の中で語られている、アンガス老人とプーカの話のようだ。おそらく世界中でこのような海難にあって見知らぬ人の手によって育てられる運命にあった人々は少なくないに違いない。

 

 

【寿奈、朝鮮人男性を救出する】
 寿奈は、船から海に飛び込んで六島の岸壁に泳ぎ着いた男性を助けた。
 若い男は、私が差し出した鍋から粥を啜るように食べ終わると、また何度も頭を下げて 「ミツカル・・・。コロサレル、タイホ・・・」 と繰り返し言うだけでした。はい、そうです・・・。その人はそれ以外何も言いませんでした。黙ったまま歯を食いしばって震えていました。(p.67)
 寿奈は、この男性を助けるには、真鍋島の網元である三田村家を頼るしかないと思い定めて、未明に男性を乗せて小舟を漕ぎだした。
 六島から真鍋島まで、そうでございます、海上6キロ、熟練した漁師でも2時間はかかります。・・・中略・・・。いくらたっても一向に島影は見えず、そのうち舟は濃い霧に中に入り込んでいました。私はいよいよ焦って、方向を間違えてしまったのではないかと思いました。すると急に恐ろしくなって、さらに焦るという具合でした。・・・中略・・・。小舟は波にもまれているだけのように思えました。次第に不安が募ってか、男は頭をかきむしるように、何度も唸り声をあげていました。私は知らぬ間に、口から念仏が出ていました。ばっちゃんが唱えているように、私は祈っていました。・・・中略・・・。阿弥陀様が助けてくださる・・・と思って、私は最後の力を振り絞っていました。それでも、またすぐに腕が動かなくなり、もうどうにもならないと思った時でした。男の人が叫び声をあげました。見ると流れる霧の中に、崖の松がよぎっていくのが見えたのです。 (p.71-73)
 こういう記述は、読み終わって本当に疲労困憊する。 『武器よさらば』 の嵐の夜の湖水逃避行と同じような・・・・。仮に岸に着けても見つかったら終わり・・・・。
 網元の長男・城太郎は、寿奈を助けんがために、男性に網元の使用人の袢纏を纏わせ、無事逃げさせることができた。寿奈によって助けられたこの男性については、この作品のプロローグに記述されている。
 父は22歳のとき、現在の韓国、慶尚北道の名もない村から北九州へ強制連行されている。・・・中略・・・。筑豊炭田の三井田川坑に連れてこられた。・・・中略・・・。過酷な労働につかされた。父は待遇改善を訴えたことから、政治犯として常磐炭鉱送りとなった。常磐炭鉱へ送られる途中、命の危険を感じた父は瀬戸内海航路の貨物船、伊予丸から脱走した。
 戦後になって、父は在日韓国人の地位を得たが、逃亡中の無理がたたって、わたしが3歳のときに病死している。
 生前、父は過去をあまり語りたがらなかった。しかし、母に話した数少ない証言によると、父を救ってくれたのは、わずか15歳ほどの少女だったというのだ。小さな島に泳ぎ着いた父を古い木造船の船倉にかくまい、さらに夜明け前に小舟を出して隣の島まで漕ぎわたり、逃亡を助けてくれたという。
 わたしは子どものとき、母からなんどもこの話を聞かされている。
 父の心残りは、その少女を探し出して一言、お礼が言いたかったということだ。(p.7-8)
 お茶を濁したくはないけれど、但し書きはつけておく。
 文中の第一行目に記述されている 「強制連行」 は、個人の心理からすればそうであったかもしれないけれど、国家の視点から言えば、本土内の日本人と全く同様な 「徴用」 である。日本国内に住んでいた純然たる日本人も戦時において 「徴用」 を拒否できなかったのである。用語の間違いは訂正していただきたい。
   《参照》   『時流を読む知恵』  渡部昇一 致知出版
             【「強制連行」ではなく「徴用」】

 

 

【黒龍丸】
 明治から昭和初期にかけて、瀬戸内海のほぼ中央に位置する六島は、大型の活魚船を所有して大いに栄えていたのだという。しかし、昭和になり帆船の時代が終わりつつある頃、六島はさびれつつあり、黒龍丸は輸送費の利益を求めてあえて外洋に出て、寿奈を救出するという機会に遭遇したのだという。
 戦争中のひどい食料不足に耐えられず、ヤミ米を運ぶために広島へ航行した時、黒龍丸は原爆に遭遇している。それ以来、銀作じっさまと辰吉さんの二人は、助けられなかった人々の情景に生涯苦しめられたという。そして、働く機会を全く失いうつけていた銀作じっさまは、残骸となっていた黒龍丸とともに命を閉じてしまった。
 辰吉つぁんは燃えた灰の中に銀作じっさまを見つけたとき、へなへなと砂浜に座り込んでしまったのでございます。黒龍丸は銀作じっさまと一緒に燃え尽きてしまったのでした・・・・。(p.121)

 

 

【この小説の趣旨】

 この短編小説の趣旨は、表紙カバーの横帯に認められているけれど、あとがきに書かれていることも書き出しておこう。
 ここ数年、在日韓国籍の友人たちとの親交の中で、とくにその2世たちが親の世代の想いを超えて、地域住民と融和して生きようとする新しい世紀に向けてこの作品を送り出したいと願った。そして両国にまたがる海峡をさまよった主人公の数奇な運命を黒龍丸の生涯に乗せて、戦争を知らない人たちにも聞いてもらいたいと思った。(p.129)

 

 

<了>