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 在日朝鮮人一世を両親にもつ著者の戦後間もない頃の家族生活が書かれている。言語上のハンディキャップらしきものが原因となっての不自由さはまったく描かれていないし、「車輪を出した飛行機が轟音とともに羽田方向へ飛んでゆく」 (p.4)、と書かれているから、場所はおそらく、朝鮮人が多く住んでいた川崎付近なのであろう。「多摩川べりの家族」 なのかもしれない。

 

 

【家業】
 私の家は ・・・(中略)・・・ <銅鉄高価買入 星山商店>という看板を立てかけてある。くず鉄やさまざまな金属類を買い入れる古物店である。 (p.5)
 しかし、お父さんが亡くなってから、盗品と知りながらもそれらの流通にまで手を染めていった商いの様子が、少女の目を通して感じられるままに記述されている。
 狂気と紙一重のお母さんの挙動。そんなお母さんの毒気にあてられて、ふと、死を思うそれぞれの家族たち。それでも、幼い子どもたちの多い家族を養うために 「友達の家に行く」 と言いながらバーで働いていたお姉さん。
 在日の家族に特有な風景というよりは、生活苦に追いやられた家族ならどこにでもありえたであろうような、家族風景なのだろうと思って読んでいた。
 蛇足ながら、朝鮮人は社名に 「星」 を入れることが多いらしい。

 

 

【在日朝鮮人の境遇】
 金さんは酔っては日本人に袋叩きにされていた朝鮮人。半死半生の状態をお父さんに助けられた知人。
 酔うと、店にいる他の客にけんかを吹っかけたり、道端で失禁したまま眠り込んだりしていた。酒屋に買い物に行って彼を見かけると、私は何となく怖かった。金さんは酔うと決まって、「おまえ等が毎日使っている電気だってなぁ、ダムを作った朝鮮人の汗の結晶なんだぁ。道路だって、鉄道だってそうだぞぉ。くそ、分かってるのか。このチョッパリやろう!」
とか、
「日本のために戦争にまで行ったんだぞぉ。くそ、そんな朝鮮人を何でここまでいじめるのよ。えーっ、言ってみろよぉー。言ってみろってんだよぉ、この糞っ垂れがぁ」
 などど、いつも同じことを大声でわめいていた。そんな時、気色ばった他の客から殴られたりするが、鼻血を流したりしりもちをついたりしても、そのままふにゃふにゃ言いながらどこにでも眠ってしまう。
 それでも金さんは立ち飲み屋の 「顧客」 だったから、酒屋の主人もむげに彼を追い出したりはしなかった。目に余る時は、客の方が追っ払ってしまうのだ。
 客も黙ってはいなかった。
「文句があるんだったら、とっとと国へけえれ! 誰もいてくれって頼んじゃいねぇよ」
「叩き出しちまえ。酒がまずくなる」
などと口々に言い、周囲の酔漢もやれやれと煽り立てるので、店内は一触即発の空気に包まれる。 (p.74-75)
 戦前、戦中は日本人が威張りくさり、終戦間もない頃は朝鮮人が威張りくさり、その後は、帰国するより在日を選んだ人々と日本人の間で、ここに描かれているような状況が、長いこと続いていたのだろう。

 

 

【 “国” や “民族” ではなく、 “人間” として】
 お母さんは盗品販売の共犯として警察に連行されてしまい、不安な心境の子供たちの所へやって来た金さん。
「い、いや、これは、おじさんの勝手な推測だからね、当てにゃならないよ。・・・・オレも日本の警察にはずいぶん痛めつけられてきたけれど、中には話の分かる良い人間もいるからね。悪いほうばっかり考えちゃいけないよ。それにおばさんがさっき横浜に向かったから、少しはお母さんの力になれると思うよ」
「えっ、横浜まで?」
「うん。中華料理屋に電話して事情を報せたら、『姉さんの体が心配だ』 って飛んでっちゃたよ」
「・・・・・ありがとう。おじさんも、おばさんも・・・・・」
 姉の声は少し涙ぐんで、震えていた。
「おばさんはそういう奴なんだよ・・・・・。結局、国なんかの問題じゃないんだよな、人間てのは・・・・・。おばさんと一緒になってオレはしみじみそう思うようになったよ。おばさんは日本人だけど、あんな気の善い奴はどこ探したってそういないよ。・・・・・おばさんに会わなかったら、多分オレは一生 『日本人は嫌いだ!』 って決め付けていただろうな・・・・・」  (p.8-87)
 自分には金輪際手に入らないような、相手の地位や肩書きを吹聴するために、外国人の知人がいることを自慢げに語る輩がいるものである。そういった輩に限って、相手を訪問するに及んでさんざん恩恵を受けておきながら、訪問された時は、笑顔だけでシャアシャアとしている。
 こういう輩は、相手が困っている時には、真っ先に行方をくらますものである。この小説のおばさんとは真反対の人物とその家族が私の近親者にいる。私は近くに住んでいて欲しくないから、「家と土地を売って、遠くへ引っ越せ」 と勧めている。徹底的に恥しらずな日本人の見本である。
 
<了>