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 受験界のカリスマ講師という著者。人生の生き方指南を含めて英語を教えていることが、人気の秘訣らしい。

 

 

【英語に 「未来形」 はない。未来をつくるのは自分の意志(will)だけ】
 中学校の英語の授業で、「未来形」 という言葉に触れたかもしれないが、本当の意味では、英語には 「未来形」 という時制はない。・・・中略・・・。
 「 will 」 は未来形ではなく現在の主体の意志なのだ。
 未来を作るのは、今の環境でも条件でもない。
 ただ、現在の自分の意志だけ。主体の意志だけが未来を形作っていくのだ。(p.39)
 欧米を 「意志」 の文明、日本を 「情緒」 の文明と分けることができる。
   《参照》   『アイ・アム・パワー』 エハン・デラヴィ  心泉社
              【 intention : 意図】

 

 

【 make a difference 】
 「 make a difference 」 という熟語を、「違いを作る」 と間違って訳す人は多い。・・・中略・・・。 この熟語は 「重要だ」 という訳が正解となる。
 英語の世界では、「違いがある」 つまり、「ほかとの違いがあること」 が、イコール 「重要」 なのだ。
 ・・・中略・・・。
 英語を学ぶということは、英語圏と日本の、言葉の背後に広がる文化や思想を学ぶということでもある。
 ・・・中略・・・。
 人と自分の違いを見つけたとき、それは自分が重要な人物になれるチャンスなのだ。(p.46-47)
 私にはあり得ないことであるけれど、 “人と違う自分を好きになれない日本人“ が多いらしい。
 人との違いを、日本人さながらにマイナスに捉えるくらいなら、欧米人の文化的発想でプラスに考えた方がいい。日本人と欧米人のどちらの文化的発想が正しいか? ということは本質的なことではない。どちらの文化的発想を採用すれば、自分自身にとって幸いであるか? ということが重要なのである。
 グローバル化する現在の世界では、自国固有の文化的発想だけではうまくゆかないことが、どんな場合であれ、どの国であれ、ありうる。自分で自分を支えることを可能にする側の発想を採用し、その中でなんとか生き抜くべきである。

 

 

【好き嫌いを排除して・・・仕事に没頭してみよう】
 同じ得意とする分野でも、伸びる人と伸びない人がいる。伸びる人は、自分自身が人生というゲームを指揮する監督として、相手のいい処は自分に取り入れ、自分の悪い処は改める作業をしているからだ。
 好き嫌いという感情を排除してまわりの人間を観察すると、思いがけない発見があるものだ。(p.92-93)
 “人と違う自分“ を好きになれなかったり、 ”自分と違う人” を好きになれなかったり、日本人の人間関係は、成熟した大人にとっては良いらしいけれど、成熟未満の人間にとっては結構シンドイ。そんなシンドイ人間関係の中にありながら、他者の長短、自分の長短、他国との文化的発想の違いによる長短、いずれをも弁別しつつ活かして取り入れようとする作業は、やはり成熟した(甘えを排除)した精神でなすべきことなのであろう。やはり結構シンドイ作業なのである。
 けれど、著者は、それらのシンドさを一挙に棚上げする方法を記述している。
 「負」 を認めてみよう。自分はうじうじした、どうしようもないヤツなんだと開き直ってみよう。そして、そんな自分の負を思いわずらう暇がないほど、仕事に没頭してみよう。すると仕事は、いつのまにか自分を癒していることに気づくだろう。(p.98)
   《参照》   『人を敵にまわすか味方にするか』  小山政彦  大和出版
            【3年間の集中があなたを天才にする】
   《参照》   『こんな恋愛論もある』 深見東州  たちばな出版
            【没入、忘我で顕現する動中の静】

 

 

【好きなことと嫌いなことを分けてはいけない】
 好きなことと嫌いなことで物事を分けてはいけないと、私はいつも生徒に話す。
 好きなことだけは頑張れるが、嫌いなことには頑張れないというスタンスでは、決して何事も成し遂げられはしないから。
 というのも、好きなことを追い求めているうちに、必ずそのなかで嫌いなことで、できればやりたくないことというのが出てくるのだ。好きなサッカーを頑張るなかでも、シュートの練習は好きだが、基礎体力作りのトレーニングは嫌いということが出てくる。
 そんな、嫌な、できればやりたくないという否定的な物事に正面からぶつかり、それを乗り越えない限り、成長はない。逆に、それに対して真正面からぶつかっていくことで自分が鍛えられ、自分なりの型が作り出されて、自分本来の夢が見えてくることが多い。
 とにかく、目の前の一つの壁を、好き嫌いに逃げずに超えてみることだ。 (p.112-113)
 「長所伸展法」 を適用して解釈するのに、上記の記述でいうと、 “好きなサッカーのシュート練習だけの上達を目指すもの“ と安易な解釈をしている人々が多い。それでは、現実逃避になっていることにすら気付けていない “チョ~~~~~未熟な解釈“ である。美味しいケーキ(を食べるの)が好きだから、「ケーキ屋さんになりたい」 と言っている幼稚園児と同じである。
             【「好きなことをやりなさい」という大人の不見識】

 

 

【教える側が気をつけるべきこと】
 教師としてもう一つ気をつけていたことは、
「どうして、こんな簡単なことができないの」 という態度は絶対に見せなかったことだ。相手は、教える側の気持ちをすぐに見抜き、反感を抱き意欲を失ってしまう。できない子ほど相手の態度に敏感だ。これは自信がないからだろう。
 自分が精通していることを、相手もわかっていると思いがちだが、私は今の自分に相手の年齢の頃の自分を重ねる。シロウトの自分とプロの自分。二つの視点から教えている。
 この視点はすべての仕事において必要なのではないだろうか。(p.120)
 赤面の至り・・・・。まったくである。

 

 

【BOPの 「西谷ノート」】
 著者は、20代の頃、自分が将来何をして生きていくのかに迷い、4カ月以上も北海道を放浪していたという。高等遊民として詩を書きながら働かずに生きてゆくことを考えつつ、函館のBOPというジャズ喫茶に長逗留している時、マスターに 「贅沢だ」 と言われて肩の力が抜けたのだという。
 そんな話を予備校でするうちに、ある日マスターから電話があり、「先生の教え子さんがBOPに来てくれましたよ」 という。・・・中略・・・。
 一人、二人と生徒達が店を訪れるようになり、生徒同士がそのお店で会って友達になったり、運命の再会をしたりするようになった。
 ・・・中略・・・。そうしていつのまにかBOPには通称 「西谷ノート」 と呼ばれる専用のノートが11冊以上にもなった。
 当時に私にとっては、後ろめたい出来事だったことが、その後の人生を跳躍させる基礎になったのだ。(p,142)
 著者が高等遊民を続けていたのは30歳までだったという。こういった青春時代の話は、生徒にとって興味深い話なのは間違いない。自分の出生の隠れた部分や悩みの負の部分をオープンにして学生に対面していることが、何と言ってもカリスマ教師の魅力の第一なのだろう。
 
<了>
 

  西谷昇二・著の読書記録

     『何があっても、生きていろよ。』

     『壁を越える技術』