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 現在、日本経団連の会長でもある著者。今回の世界同時不況の中でも、キヤノンは、おそらく最も早く業績を回復することだろう。
 『キヤノン 「人づくり」 の極意』 水島愛一朗 (日本実業出版社) の内容にかなり重複している。

 

 

【パソコンの損益分岐生産台数】
 キヤノンのパソコン事業撤退の決め手。
 東芝の西室泰三専務(当時)に、「どれくらい売ると採算が取れるのですか」 と聞くと、「世界で280万台出荷しているが、200万台を割ると採算が取れない」 とおっしゃるのです。この数字が決定的でした。当時のキヤノンのパソコンの販売台数は、全世界でわずか70万台にすぎなかったのです。(p.35)
 競争力を確保するのに必要な具体的数値が書かれていたので書き出しておいた。
 日本人の10人に1人がパソコンを使っているとして、約1200万台である。すでに8割がた行き届いているのだろうから、決戦地は国内メーカーと競わなくていい海外にならざるを得ない。しかし、そこでも、米・中・台・韓の激安PCが溢れている。

 

 

【パソコン技術者の配置替え】
 撮った写真を見るのにパソコンが必要となれば、パソコン利用者だけが主な市場になってしまいます。しかし、パソコンレスでいいのなら、・・・中略・・・、市場がさらに広がるのは当然です。
 この方法は、その後 「ピクトブリッジ」 という業界標準にまで発展し、デジタルカメラとプリンタの普及に多いに役立っています。(p.39)
 パソコン技術者は、PC機能を内製化すべく複写機事業部に配置替えされたということ。
 「キヤノンの高収益経営」 は、キヤノンにとって不得意なPC部門の人材を、得意な複写機部門に投入することで実現していった。つまり、これが典型的な “選択と集中“ である。

 

 

【経営スピードの速さを決める要因】
 アメリカ勤務時代と今を比べてつくづく思うのは、スピードの速い経営をするためには、やはり人心が安定していることがとても大事だということです。自分が望むならばずっと一つの会社に勤めて自分の能力を発揮することができ、いたずらに雇用不安が生じない、そういった制度が下地にあることは、経営スピードの速さに反映されると思うのです。(p.76)
 “雇用不安を生じさせないこと” という結論であるけれど、その中間解は “コミュニケーション” である。雇用の流動化が常態となっているアメリカで、長年キヤノンUSAの社長をしてきた著者の結論なのだから、理にかなっている。
 キヤノンでは、コミュニケーションを非常に重視している。著者は、「会議に来てからものを考えるのではなく、会議には結論を持ってくるように」 と言っているそうである。また、社員が出勤する前、役員たちは出欠早退御随意の朝会で、テーマも御随意なコミュニケーションを常にとっているという。
 職責の範囲が限定され、雇用が流動化するアメリカでは、日本のように、会社として統一した思想や方針を浸透させることが、なかなかできないという。

 

 

【日本企業のコア・コンピタンス】
 このように、日本の企業にはコミュニケーションがよく社員全員が力を発揮できるという特徴がありますから、その基礎となる終身雇用は 「時代遅れ」 とか 「グローバル社会に合わない」 などと言って簡単に捨て去るべきものではないのではないでしょうか。むしろ、現在のグローバリゼーションの中では、これは日本企業独特の 「コア・コンピタンス(中核となる競争力)」 となりうるのではないでしょうか。(p.82)
 今回の不況でキヤノンも人員を減らしているが、これは契約による期間採用者の延長なし分である。
 契約による期間採用者までを、終身雇用の対象に含めて考慮しているのではない。

 

 

【統一コード】
 調べてみると、信じられないことに、キヤノンには全世界で統一された製品コードがありませんでした。(p.108)
 キヤノンは世界中の150社以上の販売会社があり、製品コードの数は約20万種類に上ります。(p.109)
 具体的な年数は書かれていないけれど、統一コードのシステムが完成したのは1990年代の後半らしい。統一コードがなかったことと、その実現時期が今から僅か10年ほど前だったという事実が、信じがたい。

 

 

【3D-CADの効果】
 その結果、設計の質が向上して、加工不良は三分の一以下に減りました。設計スピードが速くなり、開発期間は平均18カ月から12カ月へと、6か月も短縮しています。(p.111)
 究極の目標は、試作レスです。そのために3D-CADでの設計が完璧に近づくよう、解析技術や測定技術、シミュレーションの精度を上げるといった基礎技術を磨くことに力を入れています。こういう点が競争力を左右すると考えています。(p.112)

   《参照》  『デジタルプロセス・イノベーション』 秋山雅弘・原口英紀 (日経BP)

              【2次元CAD】 【3次元CAD】 ~

 

 

【セル生産方式】
 今日、業界では、セル生産方式は “キヤノンのお株” 的に思われているけれど・・・。
 セル生産方式とは、・・・中略・・・。これはPEC産業教育センターの山田日登志さんが、トヨタ生産方式をヒントに開発したものです。(p.132)
 えっ、本家本元はソニーじゃ・・・なかったの?                 【ライン生産からセル生産へ】
 キヤノンは、2002年9月までに、国内外のすべての工場がセル生産方式に変わったという。
 セル生産方式は、ライン生産方式の3倍生産性が上がるという。つまり理論上、人員も3分の1に減らせることになる。当然減らした。つまり派遣や請負作業者の契約満了時をもっての終了 (p.138) である。

 

 

【経費削減】
 2002年に完成した新本社の机、椅子をはじめオフィス家具類は、すべて管理部門の社員が各々の専門業者に出向いて発注しました。
 以前ならば建物を作ったゼネコンに一括納入してくれと頼んだものです。・・・中略・・・。当然、費用は、一括納入と違いかなり削減できました。ハイテクではありませんが、こんなところにもけっこう大きなコストダウンのタネは見つかるものです。
 丸投げは、ボラれる。

 

 

【 “コダックの大平原” アメリカ 】
 著者がアメリカで働いていた、1960年代後半から1970年代にかけての頃・・・
 アメリカでカメラといえばコダックの普及型カメラであって、・・・中略・・・。アメリカ市場での日本製のカメラと言えば、高級機では 「ニコン」、普及機では 「ヤシカ」。「ミノルタ」 も頑張っていました。(p.178)
 当時のアメリカでは、一眼レフは趣味の世界で、成熟した一眼レフ市場はなかったらしい。つまり、普及機 “コダックの大平原” と例えられる状況だった。
 この記述を読んで思い出したのだけれど、サイモン&ガーファンクルの曲に、 『僕のコダクローム』 というのがあった。 “ I gat a Nicon camera . I love to take a photograph , so mama don’t take my Kodachrome away.” この歌詞を最初に聴いた時は、ナイコンと発音されていたからニコンとは分からず、コダクロームってペットの犬なのかと思っていた。本当の処はどうか分からないけれど、これはニコンとコダクロームがジョイントで作成したコマーシャル・ソングだったのだろうか。

 

 

【キヤノンの一眼レフ】
 著者がアメリカに赴任した1966年当時、キヤノンは、キャノン(CANNON)という高級タオルメーカーに間違われるほどに、無名だったのだという。著者がキヤノンUSAの社長になったのが1972年。そしてついに、キヤノンが、高性能一眼レフカメラ<AE-1>という大砲をぶっ放す時が来た。
 全米での一眼レフカメラ全体の年間売上は、それまで60万台くらいでした。それが1976年には、キヤノンのAE-1だけで、50万台近く売れたのです。一眼レフ市場が急速に広がり、1978年にはアメリカ一眼レフカメラ市場で、キヤノンがトップに上り詰めました。(p.184)
 キヤノンの源名は観音。英名:大砲だけど、50万台という売れ方はまるで散弾銃である。

 

 

【 「国際人」 とは 】
 キヤノンでは自ずと 「国際人とは」 という問題に突き当たります。
私の経験では、国際人として、海外でも社会の良き一員となれる人は、マルチカルチュラル(多文化的)な人だと思います。国際人は決して無国籍人ではありません。たとえば日本人であれば、日本人として自国の文化、発想、行動様式などを身につけており、その長所も短所もわきまえている。さらに相手国の文化、発想等々を理解して、それも自分のものとして消化している。そうした人は海外ではその国の人として行動でき、社会にも無理なく受け入れられますし、日本に帰ったら日本人として行動できます。それが真の国際人だと思います。
 経営においても同様なことが言えるのではないでしょうか。日本の経済社会の文化、歴史を十分理解して基本に据えること、そのうえで海外の経済社会を知ろうとすること、これがスタートです。(p.218-219)
 企業家のみなさんは、数十年前から世界に出て、実地体験しているからこそ、このようなことを書いてくれている。
 私も当初、ブログを書き残しておこうと思ったのも、著者の記述に似た思いがあったからだった。日本文化は奥が深くて学びに終わりはなく、また、私自身学びの途中ではあるにせよ、国際社会を生きようと志向する若者達の誰かしらに、せめて少しは役に立つだろうと思いつつである。

 

 

 
<了>