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 著者は、ある日突然精神的異常とも思える異変が起き、テレビで見る霊能者と呼ばれる人たちと同じ能力を持つようになってしまったのだという。しかし、霊能者とは一線を引くために「ビジョン・カウンセラー」という呼称で自らの活動を行っているそうである。


【霊的なものが宿る石】
 世の中には石をコレクションで集めている人もいるが、石というのは軽々しく拾うものではないというのが私の持論だ。前にも言ったように石には霊的なものが宿っている場合が結構あり、どういうわけか人の心をつかむ石というのはそのタイプが多いのである・
 原因がわからないまま本人や家族が病気になったなどの災難に見舞われた場合、どこかで石を拾ってこなかったかちょっと周囲を見回して欲しい。 (p.45-46)
 神社では、石が御神体になっていることが少なくない。神社の石はプラスの波動を発するものなので問題はないけれど、不幸を招く石もある。人の心をつかむ特定の宝石を手にした富豪や王族達が次々に人生を暗転させていったという話は、歴史的事実として今日でも興味深く伝えられている。
 石以外でも、樹木や井戸や池やペットなどが原因となって人体に影響を与えている霊的な話が、具体的な実例としていくつも記述されている。すべて医者では直らない事例である。

 

 

【ま、いいか】
 誰もが持っている平均的寿命を引き伸ばすことができるかどうかは、その人が心の中庸を保てるかどうかにかかっている。
 その証拠に、ちょっと回りの老人たちを見て欲しい。平均寿命をはるかに超え、それでも肉体的にも精神的にも健康な人達というのは、一つの共通した雰囲気を持っているはずである。穏やかで、人に温かく、笑顔が可愛く・・・・何が起きても “ま、いいか” と笑いとばせるような。 (p.168)
 きんさん、ぎんさんは、性格的に案外頑固な処があると聞いた記憶があるような・・・。であるにせよ、自己防御的な頑固さなのであろう。それさえ守られていれば、周辺のことには “ま、いいか” という態度で応ずるのが相応しいようである。

 

 

【別に宗教の信者にならなくても・・・】
 私自身は宗教それ自体は否定しないが、別に宗教の信者にならなくても物事の本質を見ることはできる。それは「えっ、何? そんなこと」 といわれてしまうくらいある意味では簡単なことなのだが、自然への感謝、神への感謝の心を取り戻すことに尽きる。 (p.218)
 この考え方は、私も同様である。特に現代という時代は、どのような人々であれ、宗教の枠を超えて正しい生き方に気付けるようになっている。むしろ教義・教学を持つような宗教団体にならば属さないことの方が良いのは確実である。
 著者のようにある日突然、霊能力を持つようになったことで、人々から様々な相談を受けるようになり、普通の人の何百倍もの早さで人生と神霊界の実相を知ることができるようになった人は幸いである。
 普通の人でも、高度な審神力を持った霊覚者の傘下に入ることができるならば、著者と同じように人生と神霊界の実相を速やかに知ることができる。しかし、政治活動や勢力拡大にうつつを抜かしているような創価学会のような宗教団体に属しているだけなら、120%無意味である。三輪さんや江原さんやこの著者の本から学ぶ方が遥かに有益である。
 創価学会がいかなる組織か分かっていないのなら、下記リンクを。
 
<了>