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 お母さんが日本人で、鎌倉に生まれたハーフの著者。1956年生まれ。東京FMのパーソナリティー。 読書傾向に偏りが生じないように、この様な本を読んでみた。


【『怒りの葡萄』】
 ルート66を舞台にした作家ジュン・スタインベックの『怒りの葡萄』は僕の大好きな一冊だ。高校の頃一度読み、再度読み直したのは30年以上経ってからだが、・・・・ (p.25)

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 高校生のとき読んだのは同じだけれど、チャンちゃんは再読していない。当時読んだ本があまりにも少なかったから、印象には残っているけれど、移民たちが主役であったこと以外、ストーリーの詳細は覚えていない。
 この本ではない、スタインベックの小説の中に、馬鹿力の大男が、小動物を愛でていて、その馬鹿力ゆえに殺してしまうという、なんともジレッタクいたたまれないストーリーの本があったと思うのだけれども、そのタイトルが思い出せない。(しかし、今はインターネット時代なので直ぐに調べられる 『二十日鼠と人間』だ。)
 ところで、著者は、『怒りの葡萄』に描かれている、“人生や仕事、夢を求めて旅をする様子” が印象に残っていたようだ。チャンちゃんの印象とは角度が違うけれど、このような印象を抱く人々がいることは良く分かる。ハーフである著者の文章全体には日本人的な感受性が感じられるけれど、行動様式は、定住型の日本人ではなく移住型の欧米人のDNAを多く受け継いでいるんだろう。


【サーフィン】
 著者はかなりなサーフィン・フリークのようだ。波の大きさによってボードのサイズが違っていること等等、サーフィンを全然知らないチャンちゃんには、いろいろ勉強になる。
 絶好のサーフ・ポイントは、海底がサンゴであることが多く、波に乗りそこなって叩きつけられた場合、無傷はありえない、と書かれていた箇所を読んで鳥肌が立ってしまった。社員旅行でタイのプーケットに行った時、その海岸は砂ではなくサンゴの破片で出来ていた。もちろん波打ち際から3mも行けば海底はギザギザのサンゴだった。海に入っても痛くて素足で立ってはいられなかったのである。こんなリスクを冒してまでこういった所でサーフィンをしたがる人々って、きっと完全に波に魅せられた人々なのだろう。


【チャレンジでなく、波と一緒になる】
 元世界チャンピオンのマーク・マーチンソンが僕にこういったことがある。「僕はコスタリカのゆったりした波が好きだよ、もうバリのハードコアな波なんて必要ないんだ」。そんな言葉を思い出しては、うなずく僕だ。・・・ピークが終わってこそ、わかることがある。・・・・ チャレンジでなく、波と一緒になる。海を見ているだけで、サーフィンをしている僕がいる。 (p.100)

 著者は、音楽に対してもサーフィンと同様な考え方で接しているようだ。


【「自由さ」を感じる書籍】
 音楽と海、二つを人生の両輪として生きてきた著者の記述であるから、普通のサラリーマン的な日本人であるチャンちゃんには、このような 「自由さ」 に対して、憧れとも嫉妬ともつかぬ想いが生じてしまう。情熱を失うことも怖いけれど、自由さを失うことも致命的な人生の喪失に違いないのであるから・・・。

 

<了>