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冒頭のタイトルにある「天・地・人」。これは何なのか?といえば、1990年代の三国志の曹操孟徳の漫画「蒼天航路」で出てきた張角の黄巾党の教えの一節である。


黄巾党の闘いは三人一組になり最初に身を犠牲にして囮(おとり)となる役割(「人」と呼ぶ)、次に敵の武将が囮を倒す間に、その武将の身動きを抑えてしまう役割(「地」と呼ぶ)があり、そして「地」が敵の動きを抑える間に最後の1人が、その敵を確実に仕留めて殺す(この役割を「天」と呼ぶ)、という戦法を主とした。

順序は前後するが、①囮の役割、②敵の動きを制限する役割、③その敵を仕留める役割、この3つが合わさって「天・地・人」という最終的な目的遂行を果たせる、とあった。

翻って、現代の日本である。もちろん今の日本ではこんなことをする機会というのはないし、あったら困る。

しかし、現代の日本には戦争自体は放棄されているが、擬似的な勝負事として(戦争と同じ土俵にしてはいけないが)プロスポーツというモノが存在する。

そうしたプロスポーツの世界で昔、野球の野村克也監督がプロ野球で勝つには①親会社が金を出し、②編成と呼ばれるスカウトが靴底を減らして日本中を歩き回っていい選手を探し、③現場の監督・コーチが選手にたっぷり土を舐めさせて鍛え込む、という三位一体の重要性をご自身の著書で述べていた。

しかし、筆者はその三位一体ではないが、今のプロスポーツにはそれとは別の「天・地・人」が必要なのでは?と思う。〈②に続く〉

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①では何かの世界で表現をする側の立場の存在が一瞬のきらめきのために多大な労力を惜しまないという話をしたが、②では筆者の世界で言うスポーツの話に切り替えていきたい。


冒頭のタイトルにある「2分間の輝きと88分間の犠牲」とあるが、この言葉にピンとくる人はかなりのサッカー通だ。

サッカー選手は1試合で90分間プレーするが、その内ボールに触れる時間は正味2分しかない、という話である。

少し考えれば分かるが、90分間で22人の選手がボールを奪い合い、なおかつボールの滞空時間も考慮すれば、1人の選手がボールに触れる時間に限りがあるのは当然だ。

少年ジャンプの名作サッカー漫画「ホイッスル」でもマラドーナがたった2分間のボールタッチで世界的なスターに上り詰めた、という話があった。

あんなゴリゴリ縦にドリブルを仕掛けるようなマラドーナでさえ、ボールに触れる時間はそのくらいである。

そうなるとその域まで才能が及ばない選手は、残りの88分間でいかに献身的に汗をかき、泥にまみれた潰れ役を果たせるか?というのが、チームの勝利のために重要になってくる。

①で述べたお笑い芸人や動画編集者・エッセイストでも、2分間のきらめきのために88分間泥臭い努力を厭わないのである。

筆者のような底辺を這いつくばっている零細ブロガーはもっと泥臭くいかないといけない。

つまるところ、どれだけ一見すると華やかで楽しそうな仕事でも、基本的な部分としての仕事の本質はさほど変わらないのかもしれない。

仕事の中のたった数%の輝きのために、残りの大半は地味にキツく逃げ出したいような犠牲のもとで、世の中の仕事は(華やかな仕事を含めて)回っているのである。

楽しそうな仕事ほど、実は裏で献身的な努力が必要なのだ。

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先日何気なくツイッターを見ていたらこんなツイートを発見した。


「プロフェッショナル仕事の流儀で、主人公の編集者、7分間の動画編集のために6時間費やし疲労困憊」

とあって、そうした作業を映した番組のことがツイッターで驚きと化し、プチ祭りになっていた。

しかし、筆者はこの番組を見ていないが、全く驚く要素はなく、むしろ普通だと感じた。

プロの編集者とアマチュアブロガーを同列にする気はないが、筆者が今執筆しているこうしたブログ記事も、1日分を書くのに大体30分は最低でも必要で、長いと40分かかることもある。

しかし、そうした記事を逆に自分が読む側に回ると、そんな記事を30秒で読み終わってしまうのに愕然とする始末。

そのため、冒頭の編集者が短い動画を編集するのに多大な労力を費やして構成するということには、なんの驚きもなかった。

そうした上でそのツイートを見た同時期に読んだ女性作家のエッセイにこんな文章があった。

「最近お笑い芸人の知り合いが数人出来たのだけど、一番驚いたのは、いかに、人目に届いていない仕事が多いか、ということ。」

「(中略)テレビに出ている1時間のうち、喋っているのは正味5分、収録は移動時間と待ち時間含めて6時間。その前の打ち合わせが3時間。喋ることを考えるのに1時間。合計10時間。」

「そう、5分キラッとするための10時間です」

このエッセイを今までの一連の流れで思い出したのが、今回のブログタイトルにある「2分間の輝きと88分間の犠牲」である。〈②に続く〉