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①では何かの世界で表現をする側の立場の存在が一瞬のきらめきのために多大な労力を惜しまないという話をしたが、②では筆者の世界で言うスポーツの話に切り替えていきたい。


冒頭のタイトルにある「2分間の輝きと88分間の犠牲」とあるが、この言葉にピンとくる人はかなりのサッカー通だ。

サッカー選手は1試合で90分間プレーするが、その内ボールに触れる時間は正味2分しかない、という話である。

少し考えれば分かるが、90分間で22人の選手がボールを奪い合い、なおかつボールの滞空時間も考慮すれば、1人の選手がボールに触れる時間に限りがあるのは当然だ。

少年ジャンプの名作サッカー漫画「ホイッスル」でもマラドーナがたった2分間のボールタッチで世界的なスターに上り詰めた、という話があった。

あんなゴリゴリ縦にドリブルを仕掛けるようなマラドーナでさえ、ボールに触れる時間はそのくらいである。

そうなるとその域まで才能が及ばない選手は、残りの88分間でいかに献身的に汗をかき、泥にまみれた潰れ役を果たせるか?というのが、チームの勝利のために重要になってくる。

①で述べたお笑い芸人や動画編集者・エッセイストでも、2分間のきらめきのために88分間泥臭い努力を厭わないのである。

筆者のような底辺を這いつくばっている零細ブロガーはもっと泥臭くいかないといけない。

つまるところ、どれだけ一見すると華やかで楽しそうな仕事でも、基本的な部分としての仕事の本質はさほど変わらないのかもしれない。

仕事の中のたった数%の輝きのために、残りの大半は地味にキツく逃げ出したいような犠牲のもとで、世の中の仕事は(華やかな仕事を含めて)回っているのである。

楽しそうな仕事ほど、実は裏で献身的な努力が必要なのだ。