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先日何気なくツイッターを見ていたらこんなツイートを発見した。
「プロフェッショナル仕事の流儀で、主人公の編集者、7分間の動画編集のために6時間費やし疲労困憊」
とあって、そうした作業を映した番組のことがツイッターで驚きと化し、プチ祭りになっていた。
しかし、筆者はこの番組を見ていないが、全く驚く要素はなく、むしろ普通だと感じた。
プロの編集者とアマチュアブロガーを同列にする気はないが、筆者が今執筆しているこうしたブログ記事も、1日分を書くのに大体30分は最低でも必要で、長いと40分かかることもある。
しかし、そうした記事を逆に自分が読む側に回ると、そんな記事を30秒で読み終わってしまうのに愕然とする始末。
そのため、冒頭の編集者が短い動画を編集するのに多大な労力を費やして構成するということには、なんの驚きもなかった。
そうした上でそのツイートを見た同時期に読んだ女性作家のエッセイにこんな文章があった。
「最近お笑い芸人の知り合いが数人出来たのだけど、一番驚いたのは、いかに、人目に届いていない仕事が多いか、ということ。」
「(中略)テレビに出ている1時間のうち、喋っているのは正味5分、収録は移動時間と待ち時間含めて6時間。その前の打ち合わせが3時間。喋ることを考えるのに1時間。合計10時間。」
「そう、5分キラッとするための10時間です」
このエッセイを今までの一連の流れで思い出したのが、今回のブログタイトルにある「2分間の輝きと88分間の犠牲」である。〈②に続く〉