暦上では夏至は過ぎましたが、私が今住んでいる国では

まだまだ日は長く、実質、夏至の当日よりも1分程度日が長いです。

 

今年は、何かを記す年になりそう…

と何となく思っていた通り、毎日、ひたすら、モノを書いてます。

今日、ようやく、取り組んでいたことの一つに区切りがついたので、良かった…

と思っていたら、6月も終わりですね。

何となく、節目に入ったような気がしました。

 

時折ですが、こちらでも記したように

石にまつわるストーリーも、気晴らしに楽しみながら

書いたりしています。

 

思うに、たんたんさんやメロディさんのワークショップに出れた自分は

本当に幸せだったなぁ、と改めて感じます。

 

石の不思議、石が引き出した自分の記憶?の不思議を、

ゆっくりと見つめる時間があること、

これほどの贅沢はないな、と^^

 

ここでは日本の神様には会えませんが、ジーザスクライストに

会えるので、明日にでもまた教会へ行ってこようかなと思っています。

 

何だか支離滅裂ですが、すこしぜいたくな

6月の終わりを迎えている私でした☆

 

 

 

 

 

 

 

巷では、心が痛む事件がたくさん報道されていますね。

日本の事件も衝撃的でした(海外でも報道されていました)。

 

私は、事件のニュースを聞いて深く心が沈む、という経験は

あまりないのですが、先日、こちらの国で起こった出来事には、

ほとほと嫌気がさしました。

 

そして、いつものように、教会でぼーっと座りながら

考えてました。

 

どうしたら、そんなことができるんだろうか。

いつまで、こんなつまらないことを繰り返すのだろうか。

 

もしかしたら、私も前の生では同じことをやったのかもしれないな。

だから、よりつぶさに、そのことに心を痛めるのかも。

 

だとしたならば神様、心底ごめんなさい。

もう十分辛さが分かりました。

だから、教えて下さい。

どうやったらこの状況を改善できるのでしょうか?

 

等々、堂々巡りで考えてた時、ふと、私が理解した言葉は、

「大事な人を幸せにすること」でした。

あるいはそれは、「自らが幸せになること」とも言えるかもしれません。

少なくとも私にとってはそうだな、と思いました。

 

意外な言葉が浮かんできたので、ちょっとびっくりしましたが…

誰かを幸せにするなんて、それは大変なチャレンジとも取れる気がします。

幸せというのは、個人が感じるものなのではないかと思うから。

 

一番身近な人を愛し抜くこと、自分が幸せになること、

そのことが巡り巡って、

この世から悲しい出来事を減らすことに繋がるかもしれない。

繋がらないかもしれない。

 

分からないけれど…

是非、そうしようと思ったのでした☆

 

 

 

 

 

 

前回の記事から気が付けば3ヶ月…

 

多忙だったのは間違いありませんが、

今までとは質の違う忙しさでした。

 

今、私は海外に滞在しています。

それで、なぜ久しぶりにこちらの日記をアップしようかと

思いついたかというと。

 

昔、初めてこの国に住んだ時は、

あまり神仏に対する考えがないというか、

全く信じてもいませんでした。

 

けれど今は、神社仏閣巡りが趣味となっているので、

そんな私が、この国を再訪することになって思うこと。

 

神様や、自分にご縁のある土地に対し、

感謝の気持ちを送るのは、大事なことだなぁということです。

 

おそらくは、キリスト教やその他の宗教に信心深い方からすると、

仏教や神道に信仰心を持っている者が、なぜキリストにまで、

君は何と邪道なのだと思われるでしょうが、

私はキリストもお慕いしています。

 

それで、こちらに来てから、暇を見つけては教会を訪問しています。

観光としてではなく、信仰の対象としてです。

 

訪問を重ねるうちに、とても落ち着くということに気付きました。

神様には、今日はこんなことがあったのです、あんなことがありました、

等々とお話しをします(心の中で)。

そして、この土地と、この教会にご縁を頂けた感謝を伝えるようにしています。

本当に、そう思っているので。

 

それをしてからなのか、何なのかはわからないのですが…

とにかく、物事がスムーズに行きます。

「ああしたいなぁ…」「こうしたいなぁ…」と思っていることが、

次々と、です。

もちろん、全くうまく行かないこともあるのですけれど、いまのところ、

それはある意味、私の修行というか、後で考えればこれも一つの経験だよね、

と言える程度の話です。

 

昔、住んでいた頃はあんなに辛かったのに…

と思います。

 

きっとその時も、私は護られていたのだと思います。

けれど、それを自覚できるかどうか、感じることができるかどうかで、

人生の豊かさに差がつくというか…

感謝のある人生を送れるかどうかに、

少し違いが出てくるのではなかろうか…そんな気がします。

 

もしも、何かに迷い、苦しんでいるならば…

やはり文字通り、教会や神社仏閣へ訪問するのがいいのだろうなぁ、

と思います。

 

訪問を繰り返しているうちに、心が落ち着き、

いずれ感謝の気持ちをもって時を過ごすことができるようになるんではないか…

そんな気がしています。