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全席「広ーい」ビジネス席、ANAがインド線で運航へ

(読売新聞 - 01月27日 19:21)

 全日本空輸は、9月に開設するインド線に、日本の航空会社で初めて全席を座席の広いビジネスクラスにした航空機「ANAビジネスジェット」を投入する。

 エコノミークラス換算で136席分のスペースがある小型機「ボーイング737―700ER型」をビジネスクラスのみ36席とする。

 全日空は2001年12月に需要低迷でインド線から撤退したが、日本企業の進出などでビジネス需要が高まったため、商都ムンバイ―成田線での再参入を決めた。

 ただ、中・大型機は空席が多くなる恐れがあり、座席数が少なく燃料代も節約できる小型機で需要を開拓する。毎日運航して利便性を高めて利益率の高いビジネス客を獲得し、採算ベースに乗せる戦略だ。安定した需要が見込めれば、エコノミークラスもある中型機に切り替える方針だ。

マイソール3週目

1/22
原付スクーターで、マイソール中心部へ。
「U.S.Pizza」の赤いピザ配達バイクに抜かされた。

最近「ヘルメット着用」が義務化されつつあるインド。僕が原付の免許を取った時はまだ、東京も原付はノーヘルOKだった。それで時速100キロとかでたんだっけ。「U.S.Pizza」は、ジャケットも配達用ケースも赤。少し茶色っぽい赤。

もすこし先へ行ったら、警官がバイクで二人で遊んでた。当然のようにノーヘルだった。

マイソール2週間目

1/22(月)
一週間休み、久しぶりにシャラートのシャラへ。
実はシャラートのシャラには、自分の練習と、もう一つの楽しみがある。

ちょうど同じ日にシャラート道場に「入門」したおじいさんがいる。
まだ話はした事ないけれど、たぶん70越えてるかな?欧米出身の人だと思う。

たぶん、アシュタンガヨガをマイソールに来て初めて経験したんだと思う。最初の日のスーリヤナマスカーラAから、シャラートが少しずつポーズを足しながら教えている。

「今日はどこまでやるのかな?」「このおじいさんに、シャラートはどうやって教えるのかな?」毎日、朝シャラに行くまで、自分の練習そっちのけで、これが気が気でならない(^^;

はじめてマイソールに来た時、シャラには12人位しかいなくて、たぶん初めてシャラでアシュタンガと出逢ったおじさんに、グルジが、サンスクリットでカウンティングしながら、そうやって教えていたのを思い出す。

「おじいさん」が「安心して」アシュタンガヨガのマイソールクラスに毎朝来れる環境。インストラクター。いろんな要素や人が絡まり合って、アシュタンガヨガの2007年1月。デビッドのWSの最終日の事も思い出した。

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12/15(金)
セカンドTT最終日。今日はカールとペアになって、スタンディング全部やった後に、セカンドのポーズ全部(マイソールでのセカンドレッドとは少し違う)を、順番に。

カールは、昨日ペアだったダニエルよりも、さらに大きくて、重さもある。190cm以上で、100キロくらいあるのかな?もうこのレベルだと、体重の見当もつかない。タリックを除いたら、初めてのサイズだ。いい経験になった。が、腰にはくる。「後に練習」をチョイスさせてもらったけど、バックベンド系はきつかった。

昼は、またスタジオ近くのサークルってヨガっぽいカフェでランチ。いろんな国の、ヨガとヨガスタジオ事情に拝聴。ティムのスタジオの事を話すと、TTでデビッドも「アシュタンガプラナヤーマならティムの所」みたいな事言ってたのもあって、みんな行きたがっていた。

午後は、生徒がトピックを立てての、まー雑談。どうしても「昔のグルジ」とか「昔のシャラ」とかの昔話が多くなる。こーゆー話は「オールドスクール(デビッドは自分でそう呼ぶ)」の人達からしか、聞けないからね。

1998年に、アシュタンガヨガの本をデビッドが出した時。「本出したけど、大丈夫ですか?」って聞いて、もし「ダメだ」って言われたら面倒だから(^^;グルジに本を送ったそうだ。で、電話で

デビ「本を送りました」

グルジ「イエス」

デビ「どうですか?」

グルジ「ワンバイワンバイワン、コレクト。ワンバイワンバイワンバイワン、インコレクト」

って言われたそうだ(^^;

その後、ワークショップに来た人がデビッドの本を持ってサインをお願いされた時に、本を開けたら、グルジの写真の周りに「グルジファミリー全員の」サインがしてあったそうな(^^; デビッドは、それを見て、一応「オッケーしてもらった」って事にしといてるらしい。でも、もし今またあーゆー本を書くとしたら、あれとは違う事を書くだろうと。来年、今度はアサナよりじゃない本を出すとも言ってた。また来年末には、リチャード、ティム、エディ、デビッドとかのメンバーで、アシュタンガヨガのカンファレンスをマサチューセッツで行う予定だとも言っていた。

「アシュタンガヨガは、怪我をするヨガ」って、ある意味での「誤解」も、欧米で最初に普及したアメリカでは、やっと解けてきているのかもしれない。「テーチャートレーニング」をしながら世界中を回って(この言葉の使用について、今の所は直接何も言われてないそうだ。言われたら「ヨガ&イマージェンシー」とかに変えよっかなって言ってた(^^;)、デビッドが「アシュタンガヨガの普及」に貢献した功績が、とても大きいのは事実だろう。

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先週、ノアとランチで隣になった時。また聞いた。

ち「グルジとシャラートは、セイムか?」
ノア「??」(そりゃ、ちがう人間だからね(^^;) 
  「ティーチング?」
ち「いえす」
ノア「セイム」

ついでに、もっと聞いた

ち「もうスタジオやらないの?」
(ノアは、ロスアンゼルスでとてもサクセスフルなアシュタンガスタジオを運営していた)
ノア「今はやらない。」
ち「どうして?」
ノア「レスポンシィビリティ。今は、楽だ。」
ち「ずっと?」
ノア「何年かしたら、またスタジオを開くだろう。でも、ハワイで。」

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グルジがメインのシャラに立っている間は、NOAもそこで練習をし続けるんだろう。
僕がシャラートの近くで練習をできる時間は、きっともっと長いんだろう。

(次回からしばらくは、去年末に行われたシャラート・リトリート@ゴア)






マイソール3日目

1/8(月)
マイソールで、今まで泊まった事のないキレイなホテルで、2度目の朝。

これが最後のバスタブかもしれん。練習ではなく長風呂の為に早く起きる。

だんだん使い慣れてきて書く文字も増えてきた「ほぼ日手帳」には「7:30ホテルを出る」とある。昨日シャラートには「8:15に来い。(シャラの)中では無く、外に」と言われた。ここからシャラまでは、交渉無しでリクシャに乗っり、昨日計ったら7分だった。「セイム、セイム」の言葉が頭の中をグルグル回る昨日の晩に、最後の粘りを見せるつもりで昨日書いたのだろう。

7:50
ホテルを出る。8:00ちょい前、シャラ前。練習終わったケンさんが座ってる。

「どっちにすんのぉ?」
「どっちがいいっスかね?」

グルジの娘サラスワティは、グルジと同じシャラで、遅い時間に教えている。

シャラートのシャラは、別の場所。僕はサラスワティの家に1ヵ月泊まってた事もあるし、寝坊してサラスワティタイムに「自由な」を練習させてもらった事もある。サラスワティは大好きだ。

8:20
お兄さんに連れられて、4人はシャラートのシャラに着いた。また場所が変わっていた。
シャラの前で、バンガロールからタクシーで一緒に来たマダムがシャラートを待っていた。

「あんた、なんでここにいんのよ?」
「この運命を受け入れる為に」

肩を抱かれるチャマ。

8:30
グルジのシャラでの指導を終えて、シャラートが来た。
シャラートのシャラは、15cm幅にマットを敷いて定員19人。シャラート用の椅子の横に、絨毯は敷かれてないけど、あと2枚マットが敷けるから、ギリギリ21人。フィニッシング用の小部屋もあるようだが、まだ行ってないから広さは不明。

アシュタンガヨガ総本山から、ちょっと離れた、小さなシャラ。

なんか、ここに来て良かったような気が着実にしてきた。3時間クラスやった後だけど、小さなシャラの中をシャラートは効率よく回ってる。観ている。

スーリヤナマスカーラのAやってる出だしは、昨日言われた「セイム」って言葉が、まるで「ソーハーム」呼吸のように「せー、むー、せー、むー」って流れていたのも事実だが、
練習を進めていったら、今日の朝までその意味を考えてた「セイム」が、すごくいい意味に感じられてきた。この小さなシャラで、シャラートに観てもらおう。シャラートの動きを観よう。こんな機会が無かったら、マイソールでシャラートのシャラには来れなかったかもしれない。絶対僕は、ラッキーだったんだ。言い聞かせてるわけじゃ、ホントにないんだ。

10:00
シャラを出たら、イクちゃんとヒロミちゃんに出くわした。

「Tinaの店に、これから行くの」
「Tinaの店は、移動したんだよ。あっち。一緒に朝ご飯食べてもいい?」
「あれ?チャマさん、どこにいたの?」
「シャラートのとこ」
「・・・」

マイソールは狭い。レジスターできなかった僕に、あと一週間はみんな優しいだろう。これもラッキーと言わずして、なんと言おう。

10:20
結局Tinaの店の新しい場所を発見できず「シャクティ」へ。前に来たときは「ケビンの店」がちょうどオープンした時だったけど、去年経営者が変わったらしい。ゴークラム内も、新しいアパートメントが続々建設中だ。

11:00すぎ
ノリが来て、さっそく肩を抱いてくれる。いいんだよ、いいんだよ、ありがとう。お兄さん強い子だから、大丈夫なんだよ。

インドでも、近代化を背景にかバイクのヘルメット着用が義務づけられつつある為(この「つつ」ってのがポイントで、かなりの人がカブってるんだけど、してない人も結構いる)、タリックとノリと3人でメットを買いにでかける。

大きなメット屋で、なんやかんやディスカウントしてサックリ買うノリ。
一番最初に寄った、路上販売のおっちゃんとこに戻って、結局そこで買う僕。
吟味と交渉を重ねた末に、タリックはさらに別の店へと去って行った。

13:00
ほぼ日手帳には「12時にシバのところでレンタルバイク」と書いてあるのだが、シバは「アフタヌーン」と言っていたはずだ。13:00到着。「セル付き」あ?、なんていい響きだ。ゴアではちょっと大きめバイクだったので、久しぶりの原付スクーターは、ちょっと馬力も無く不安定で、恐いっちゃー恐い。35日で2200ルピー。マイソールの物価は、刻々と上昇している。

前のアパートに置いておいた物を、引き取らなければ。
ちゃま「もの、引き上げたいんだけど」
しば「いつがいい?」
ちゃま「明日は?」
しば「あさっては?アフタヌーン。セイムタイム」
ちゃま「おっけー。13時ね」
しば「12時」

やっぱりシバのアフタヌーンは「12時」だったのねと、確認完了。

13:45
前にマイソールにいたときに、ノリが毎日のようにきてたらしいお店でランチ。チャパティが上手いし、他も上手い。ノリはコミニュケーション能力が高いから、人間情報網を駆使して、いろいろ知ってる。くっついてかなきゃ。でもヨーロッパ帰りで日常生活の動きが欧米化されてるのか、よく片方の肩を「キュイっ」と上げて首を傾けるのが、この数年で特にバリバリ日本人化されてきた僕には、目に余る。

15:00
文句をいいながらも、そのノリに道を教えてもらってエスタのアパートへ。前のアパートの3軒隣。今日からここが、僕の1ヶ月ちょいの住処だ。

1年前に撮ったデビッドとエスタの2shot写真を、エスタの「7年もの」サムネールが出るまでにお茶わかせそうなノートPCにコピー。

18:00
本当に最後、のはずの風呂に浸かって、ホテルをチェックアウト。

18:30
かなり近所の「チャクラハウス」はゴビンダんちの隣。で、グレープジュースとトマトスープ代わる代わる飲みながら、福岡のヨーコちゃんとダベる。

20:30
そうだ。ランチに行く前に、イクちゃんとヒロミちゃんの住むアパートメントに、重いリュックを預かってもらってたんだ。どうりでパソコンが無いわけだ。

歩いて4分位の、そのアパートに、わざわざバイクに乗って1分で到着。今日借りたばっかだからね。「アシュタンガヨガのこれから!!」を朝まで激しく生トークしそうな勢いだったが、明日も練習あるので22:30帰宅。

家と、シャラと先生と、バイクが揃った。
あとは練習だぁ?

マイソール2日目

1/7(日)

7:00
昨日のタクシーの運転手さんの話だと、シヴァは9:00に来るらしい。朝一発目のレッドクラスに出てサクっとレジスターしたかったが、とりあえずシヴァに会って、今回の宿をキープする事が先決と思われ。

「8:30ホテル発」今年の目標は「1つ1つを、ちゃんとやる」「余裕のある時間」これに昨晩「ちゃんと連絡」が加わったばかり。その為に「着く時間」ではなく「出発する時間」をスケジュール帳に書く事にした。予定通り出発。出だし、好調だ。

8:45
ホテル前にリキシャが2台。メーターだと絶対30ルピー以下で行けると思うけど「50ルピー」の声に朝から交渉する気力はなく、いい値でシャラ前に到着。昨日のタクシーの運転手さんは「ホテルからシャラまで、歩いて15分」と言っていたが、リキシャで10分近くかかる距離を15分で歩ける脚力は、今の僕には無い。あ?、1年半ぶりだなー。

あ、マンジュとナンシーがサラスワティの家に入ってくとこだ。ナンシーとゴアのビーチで会ったリトリート仲間が、僕の話をナンシーとしたと言っていたが、髪切ったし、わかんねーだろーなー。でも挨拶してと。

「あ、ナンシーさん、覚えてますか?チャマと申しますが、、」
「あなたに話があるから、あさっての朝、ご飯食べるわよ」

サクっとそう言い残し、娘と去って行くナンシーギルゴフ。
うっ、呼び出し!?「あさって」って所が真実味がある。
身に余る光栄なのか、バコンバコンに締められてしまうのか、、
逢うの2年ぶり位なんすけど、、
ナンシーの娘さんも大きいですし、、

そんなこんなちょっとビビっていたら、シャラ前でいろいろ販売してらっしゃる方々に「お前、チャマか?」と声かけられる。みんな、本当に記憶力がいいよなー。人の名前を覚えるのが苦手らしい僕は、いつも本当に感心ひとしおだ。外に興味が無いワケでは無いはずなのだけど、、

で、シャラ前でおっちゃん二人と昔話をしていたら、見た事あるイギリス人女性が歩いてきた。あ、エスタだ。この前やった山形でのワークショップをオーガナイズしてくれた1人で、山形で「山yoga」アシュタンガヨガスクールを主催してて、神プラにも時々練習に来る。

「いや?、昨晩着いたら、アパートに知らない人が住んでてさー」

話をしてみたら、どうやら僕のアパート面に住んでるのはエスタの友達らしい。そろそろ「僕の前のアパート」と書いてもよさそうな所だが、まだ意地でも書かない。なにしろ今、シャラのあるゴークラムの住宅状況は非常に厳しく、何人もの生徒達が難民化して部屋が空くのを待っている状態なのだが

「私、明日日本に帰るから、部屋が空くよ。」
お、こっちは拾う方の神さまだね。

その足でエスタの部屋チェック。僕のアパートの3軒隣だ。部屋にトイレもシャワーもあるし、十分々々。エスターは1日150ルピー位で借りてるらしい。決定。明日からココに移動だ。シャラへの通り道にある「僕の」アパートだけはなるべく見ないようにしながら、ここから通おう。

9:00
エスタと立食いドーサ屋へ。マサラドーサ12ルピー、ミニチャイ4ルピー。何度も見かけたドーサ屋だが、入るのは初めて。うまいじゃない。

9:15
ココナッツスタンド。コーナーにある、このココナッツスタンドで座り、友人と再会を果たすのもマイソールの定番、かも。見渡せるし、アッチからも見つけやすい場所だ。あ、ボーハ。ボーハも宿がまだ見つからないらしい。あ、タリック。タリックはゴアで会ったカップルの「ゴージャスな」家に止まってるはずだ。

9:30
タリックのバイクの後ろに乗ってネット屋へ。久しぶりのメールチェック。あ、けんたろう君だ。あ、ノリだ。
13時から日本人お食事会みたいのが、この上で開催らしい。いこっと。

13:30
ゴアでも会ったヒロミちゃんと、イクちゃんもいた。久しぶりに、日本語三昧。調子にのって喋っていたら「生ちゃまぐだぁ?」とか言われる。

14:50
日本語を堪能する時間もほどほどにせねば。レジスターしに、シャラに行かねば。

今年のシャラは大盛況。毎年人が増えている。これは僕の勝手な推測だけど、「10年初心者」なアシュタンガヨガが西洋に普及してからある程度の時間がたって、やっとこの時代に、その原理なり本質みたいなものが理解・認識されつつあり、また、アシュタンガヨガのシステムがゆえに、たまたま発生し拡大してきた「世界規模で存在する大なり小なりのコミュニティー」がもらたす楽しみ方も、この盛況に繋がってきてる一因なのかなーとも思う。だとすると、これから先はさらに大変な事になっているだろう。フロリダに今年オープンするシャラは、一度に200人が練習できるとシャラートは言っていた。

今年は、一人一人に「何日までレジスターしてますよー、何時に練習スタートですよー」と書いてあるカードを渡すシステムになったようで、そのカード配布の儀式が16:30のスタートだと昼食時に聞いた。できれば、その前にレジストレーションを終わらせたい。

レジストレーションの時には、ルピーでお金を払う必要がある。シャラ訪問者達の世話係長、シヴァの所へ。手下風の少年が「シヴァは16:30に来る」という。まだ15時前。ちょっと粘って「何時にくるのよ?」って何度か聞くと、少年は「この椅子に座れ」と言う。椅子に座ったら、なぜかシヴァの家にケン・ハラクマが帰ってきた。

ケンさんの家がいっぱいになったらしく、いまシヴァの家に住んでるらしい。表敬自宅訪問と称して晩ご飯チェックに突撃しようと狙ってたのだが、このタイミングで会うとは、やられた。さすがケンさん、恐るべし。

そのタイミングで、中からシヴァが出てきた。なんだ中にいたんじゃない。家の話をなんやかんやして「まーさっき住むとこ見つかったから大丈夫だよ」とか言っとく。シヴァも、この大騒ぎで、いま貸せる家をもっていないらしい。今年のレジスター代は26900ルピーと誰かに聞いた。8万円を28800ルピーに買えてもらう。ついでにレンタルバイクを頼む。「ギアあり」の大きめは3000ルピーでそこに現物があったが、明日まで待てば「モペット」1800ルピーがあるらしい。今回は「ギア無し」で。セルが付いてるといいなー。

ルピーの束を短パンの後ろポケットに突っ込み、シヴァの駐車場風事務所の目の前にあるシャラへ急ぐ。15:30の時点で、すでに20人程が待っている。

16:00になって儀式の為の入場が始まった。儀式前にレジストレーションはできなかった。「まだレジスターを終えていない」とシャラートに言ったら「ユール ウエイト、待ってろ」と。この儀式が終わるまで、待たなければ。

17:40
結局レジストレーションできなかった。「もう200人以上いる。フルだ。」「サラスワティかシャラートのクラスを選べ」と言う。「つか、ユーのリトリート参加してたから、早くこれなかったんすよ!」とシャラートに食い下がるが、「ノー。セイム。」とか言われて、終了?(^^; 生きてるうちに、オーサライズされたいな?。

帰り際にノアに「フルだって言われて、レジできなかった」と言ったら「明日くるんだ」と言われる。

18:00
またも「50ルピー」のいい値でホテルに戻る。今日の18:00にチェックアウトして誰かの家にでも泊まらさせてもらうつもりだったが、けっこう傷心モードなので「これは絶対、必要経費」と言い聞かせて、ここにもう一泊する事にする。

「もう一泊できる?」
「できまっせ。1200ルピーがうんちゃら、、」
と、さらなる正月値上げを断行している。今日はもう七草粥だぜ。

「昨日、カードで払ったら、800なんぼだったのよ?」
受付の紙をみて、
「あれ、お前のチェックアウトは、明日になってるぞ。ほら、1/8だ。」

確かに最初は「2泊で」と言ったのだが、やっぱ高いから「1泊で」と変更したのだが、、

「へ?じゃ、チェックアウト、明日の18:00でいいのね?ほんとね?」
ホテルマンは、確かにうなづいた。ビデオを撮っておくのは忘れた。

明日は明日の風が吹く。インドの風は砂っぽい。
今日のところは、

「インドには、捨てる神も拾う神も、山ほどいるんだぜ」

ってハードボイルドに決めといて、明日はそぉ?っと静かにチェックアウトしよう。

 

マイソールに着いた

マイソールに着いた。

シャラがあるゴークラムの、おそらく定番ネット屋「Anu's」。カタカナにすると誤解を招く恐れがあるのであえてアルファベットだが、そこで数人の日本人を発見。その後Anu'sの2階でランチ。そういえばランチの代金を払うのを忘れた事に今気づいたが、なにしろその日本人達のうち何人かに「ブログ、楽しみにしてまーす」とお世辞を言われたので、「あんたのブログ、つまんないよね」とは誰も言ってくれないのは承知の上で、気分良くまた書き始める。男は単純な方が良いと信じているフシもある。

デビッド・エディンバラTT、シャラート・ゴアリトリートの記事、もう書いちゃったので、順々にアップします。

1/6(土)
今日は移動日。ゴア→バンガロール→マイソール。

相変わらず下調べをするのを怠っていた。昨晩はデビッドとデートの予定だったが、昼にプールで二人ですっかり話しこんでいたので、3人のマダムも連れ立って、5人でフランス料理を食べにいく事になった。そういえばこの一週間は、ずっとデビッドと夕食を食べていた。たとえ後で法外な「コンサルタント料」を請求されたとしても、僕は払ってしまう事だろう。

今回のゴアで、パープルバリー以外で夕食を食べるのは、これが最初で最後になったが、その時に「土曜にバンガロール→マイソールの急行は走っていない」事を教えてもらう。危ない、危ない。ちなみにそこのフランス料理屋には「チョコレートだけのタリー(定食)」がある。兎に角そんなんで、マダムに「あんた、あたしがチャーターしたタクシーに乗りなさい」と昨晩言われていたんだ。

アイルランドから来たトムと、その奥さんでスーパーモデルかなんかのサーシャと3人で、パープルバリーからゴア空港まで1時間くらい。

座席にテレビが付いていないインディアナエアラインでも、ゴアからバンガロールはやっぱり1時間弱。で、降りた後に、トヨタのSUVタクシーに。ぶっちゃけ特急で2時間の方がカラダは楽だが、途中でCoffee Dayの休憩入れて3時間ちょい。マダムをパレス調のホテルで降ろし、ロンドンやNYでアシュタンガを4年半続けてきてついにマイソールに初めて来たメアリーをアパートで降ろし、21:20にシャラと同じ通りにあるアパートに到着。今日中に着けた。

僕が1年ごとの契約で借りてるアパートの鍵は、大家に渡してある。生徒さんとか何人か住んでたから、さて部屋はどんなになってるかなー、久しぶりに大家さんに会えるなー、と門を飛び越えてドアをたたく。久しぶりに会った大家さん曰く、

「お前の部屋には、2日前からロンドンから来た女性が住んでるぞ。50日住むって言ってた。お前、連絡しないから。」

この瞬間、今年の目標に「ちゃんと連絡」が加わった。さて、今日の宿を探さねば。

21:30
タクシーの運ちゃんが「いいとこあるぞ。結構近い」と言うので、向かう。う、高そう。入り口に荷物運ぶ人とかいるじゃない。「ここは、シャラから遠いから、、」と、なんやかんや理由を付けて、安いとこに向かってもらう。

22:15
シャラに近いところは、どこもかしこも、フル、フル、フル。ゴアにいる時点で、シャラートがいないシャラの初日に100人を越えている事は、デビッドの奥さんのシェリーはじめみんなが言っていたが、マイソールの宿状況も相当厳しそうだ。格好悪いが「最初に行ったホテルって、いくらくらいかな?」どっかに電話かける運ちゃん。「6?700ルピー位みたいだよ、サー」ま、いっか。これ以上、エナジー使わないほうがいいな。

22:30
ホテルに着く。さっき「6?700ルピー」って話だったのに、来てみたら1000ルピー越えた金額を言われる。う?ん。でも仕方ない。お金足りないからカードで払ったら、なぜか明細は810ルピーだ。とにかく寝よう。2泊にしたかったけど、1泊だけでお願いします。

12/20(水) ウェブでのヨガ連載の撮影、終了 その2

そのころ僕はテレビCMの制作をしていた。「プロダクションマネージャー」っていうと、ちょっとエラそうに聞こえるけど、コマーシャル制作進行の全体「人・金・スケジュール」を管理しながら、撮影の時はタレントにお菓子も持ってくしカチンコもたたく、まさに「なんでも係」だ。でも、Kと一緒に仕事をした頃の僕は、まだ一人前の「プロマネ」じゃなかった。

TVCM制作会社でバイトしていた従兄弟が、就職でその会社を辞めることになり、なりゆきでバイトの後釜になったのが始まりだった。できあがったコマーシャルのテープを、電車に乗って広告会社やテレビ局に配達する仕事。配達するのは一日3、4回で、空いてる時間は会社でずっと待機。その頃は、仏教とキリスト教や西洋哲学との関係性に感心があったから、そんな本をたくさん読めた。バイトを始めて3ヶ月後に、結婚してニューヨークに引っ越す事が決まっていたから、それまでの短期アルバイトのつもりだった。素晴らしい上司と、チームでなにかを作っている場所を横目で見たけど、予定通り結婚してアメリカに行った。

NYの大学に留学する予定だったのが、家庭の事情で数ヵ月後に日本に戻る事になった。すこし、じゃないな、かなり希望を失っていた。制作会社の時の上司と、錦糸町で飲んだ。その人は、いつももの静かな、でも飲んで哲学の話になると止まらない、でも腹にヤクザと喧嘩してやられた大きな傷がある、でもちょっと神様ちっくな人だった。朝まで飲み明かしたらしい。二人ともすっかり記憶はなかったんだけど、朝起きたら、その上司の家で奥さんに、そう言われた。上司はもう出勤していた。そのまた翌日から、僕はまたその会社で配達のバイトをする事になっていた。

15万円位のバイト代をもらいながら、毎日テープをアチコチに運んだ。一年半位バイトして、もう少し妻にいい暮らしをさせたくなってきてたら、上司が「社員になった方がいい」と言われた。上司は、僕を自分の後継にしたいと言っていた。人事やってる役員に「社員になりたい」と言い、上司も尽力してくれたけれど、「配達係」では社員になれず、会社としては「制作部に移動するならオッケー」と言う。会社には、逆に制作部入りを強く薦められ、ぼくもなんだかその気になってきて、その時の上司に「自分を試してみたい」とかなんとか言って移動を願った。確か、返事はキチンとしてもらわなかった気がする。しばらくで僕は制作部に契約社員として移動した。それから、前の上司と飲む機会は無くなった。

最初に制作部に所属されてしばらくは、ディレクターになろうと思ってた。なんとなく「自分のイメージ」をチームで形にできるのが楽しそうだったかもしれないし、「自分の言いたい事」じゃなくて「どこかの企業の為」に作る仕事だし、なんとなく「これならできるな」って思ったのかもしれない。新しい上司達も、そのつもりでいるようにも感じていた。

12/20(水) ウェブでのヨガ連載の撮影、終了 その1

12/20(水)
20:00
ウェブでのヨガ連載の撮影、終了。

昨日の今日は、Woman Excite で始まるヨガ連載の撮影。今回は「アシュタンガヨガ」パートと、「カラダの気づきと安全」パートを、分けつつ、絡めつつ、の構成。動画がメインのコンテンツになる予定。ビデオカメラを前にしての講義、しかも「2分」という今まで経験した事のない時間制約、「カラダパート」はヨガのポーズを素材にしてるけど「ヨガじゃない」から、話の落としどころも、いつもと違う。初めてやる事が目白押しだったが、また新しい経験をさせてもらった。ヨガ企画をふってくれて、そして内容の土台から構成、基本的に僕に全部任せてくれたプロデューサーKは、中学高校の同級生だ。お互い、決してお行儀のいい生徒じゃなかったし、僕はそんなに「仲間とつるむ」タイプじゃなかったけど、バンドも一緒にやったり、13年前の結婚式の時も司会をしてもらった。こーゆーのと「腐れ縁」っていうのか。

僕達が一緒に仕事をするのは、今回は初めてじゃない。10年以上前にも、一度ある。あるビール会社のコマーシャルで、ある超有名バンドが実際にライブをしているシーンを晴海の見本市で撮影する際、当時音楽関係の仕事をしていたKに「ファンクラブ会員300人の仕切り」をお願いした事がある。

デビッドスウェンソン/セカンドTT4日目@エディンバラの2

午後のセッションは「アシュタンガシステムのプラナヤーマについて」の質問が集中。で、その後「それにはこのポーズが深く関係してるよね」みたいな前フリで、ピンチャマユーラから始まって、最後の7つのヘッドスタンディングまで。

セカンドを最後まで練習してる人は、今回のTTではあまりいないようだ。で、デビッドは、唯一アジアから来ている、言葉も不自由で友達のできなさそうな(^^;僕に配慮してくれてくれてるのか「シャラートには、なんて教わった?」とか「チャマ、いまマイソールでは、どうやってたっけ?」とか、デビッドが知らないわけ無いのに、やたらふってくる。

僕もだんだん乗せられてきて、ずっと恥ずかしくてできなかった「ボランティア(前に出て、ポーズをとってアジャストをされてり、したりする人の事を、デビッドはこう呼ぶ)」になったりしてる。

デビッドが「今のマイソールのやり方」を知らないわけのに、僕にふってくるのには、ワケがあると、僕は思う。確認してないけどね。

ヨガは「オリジナルじゃない」から「先生に教わった事を、そのまんま伝える」のが、当たり前。たぶん。僕はアシュタンガヨガインストラクターとしても若輩だし、ずっとグルジの側にいたわけじゃないから「いろんな大先輩達の多様な経験とアプローチを、なるべく間違わないように翻訳・編集して、伝えて、選択できるようにする」ってアプローチをとっているから、自分はヨギじゃないと思ってる。

デビッドは「昔、グルジに教わった」やり方を、基本的に伝えてる。アシュタンガヨガの総本山は「アシュタンガヨガリサーチインシティテュート」ってゆうくらいで、実験・検証した結果として、多少システムの変更がある事がある。(でも今までなされた変更が、ごくごく僅かだって事も、このシステムを信頼できる所以でもある)。でもデビッドは「60歳の頃のグルジに教わった」やり方でずっと練習してきたからなのか「今のマイソールでは、こうやってるから、こうやりましょー」って事は、ほとんど言わない。

そんなんで最後のグループワークの時間、僕の所に人がよってきて、いろいろ聞いてくる。仕方ないから、デモをしながら今のヴィンヤサカウントを教えてると、デビッドが素知らぬ顔で、横を通る。「これでいいの?」って言ったら「してやったり」って感じで、ニヤっと笑った。

最終日の明日は、ベルリンにアシュタンガスタジオを作る、カールとペアだ。どこの国に来ても、やっぱり男の方が縁ができやすいらしい。早いうちに、ドイツ語の数字だけでも覚えておこうかな。

デビッドスウェンソン/セカンドTT4日目@エディンバラの1

12/14(木)
今日の午前の「マンツーマン・マイソール」でペアになったダニエルの本職は、コンシャスネスコーチ。この職業は自分で開発してきたらしいけど、それまでには、いろいろスピリチュアル系とか心理学とか勉強してきたらしい。だからか知らないけど、やたら瞑想的なアシュタンガをする。「目がいっちゃってます」みたいな(^^;

確かに背は大きいんだけど、デビッドが話をしている時も、ずっと蓮華座で背筋ピーン!みたいに座ってるくらいだから、カラダはできてる。自分のクラスだったら、ほとんどアジャストしないだろーけど、ここはTTだから、やたらせねばならない。

今日は、ティリャングまでやったら、そこからパシャアサナ。ダニエル、アキレス腱も長いから、完全にできてしまってアジャストの練習にならん。やった事ないアジャストも前に教わってたから、とりあえずそれでねじっとく。

アジャストすると「ぐーっど、ぐーっど」って、そのたびに恍惚な顔をする。マッサージ屋さんじゃないんだけど、、んが今日はずっとアジャストするのがミッションだ。たとえどんなに依存されようが、せねばならん。

理論派だから、動きの構造を把握して練習してるんで流れも止めないですむんだけど、たまに「頭で理解できてないパート」になると、練習しててもアジャストする側の時も、けげんそうな雰囲気になる。そんな時は、それなりの質問をデビッドにふってみる。そうすると「ナイス、クエスチョン!メイクセンス、メイクセンス」と呪文のように唱える。おもしれーなー。

昼休みは、ロンドンから来た3人と、ベルリンから来たカールの5人で食べた。カールは、ベルリンのどっかの城かなんかに住んでて、パントマイムかなんかのアーティストをして生計をなりたてているらしい。彼は10年以上前にマイソールに行ってて僕より全然先輩なんだけど、来年ベルリンにヨガスタジオを作るんで、スタジオの運営について、ヨガインストラクターっていう役割について、なんだか聞きたいみたいだ。

主にヨーロッパだけど、いろんな国からいろんな人達が来てて、アシュタンガなりヨガに関係した事を職業にしている人も多い。で、神南プラクティスとかtokyo-yoga.comでやってるとかを話すと、リサじゃないけど、みんなすごく驚く。「どうゆうプロセスで、3年でそこに至ったのか?」「なぜ、可能だったんだ?」「どっからアイディアをもらった?バックに誰がついてるんだ?」エトセトラ。

「いや?、コロコロ変わるんで、みんなも大変だけど、なんやかんやで、こんな感じ」

としか答えられないのは、やっぱり東洋人の特権か。まー曖昧にしておくのも、限界があるが。

午後にまたスタジオに行ったら、たぶんイギリスのどっかでヨガスタジオやってる人だと思うんだけど、男性がきて「ジョンスコットが、ユーのスタジオで教えたか?」って聞いてきた。ジョンとメールかなんかでやりとりしたらしくて「その日本人、チャマだろう」って事になったらしい。東京のヨガワールドも狭いとこだけど、世界のアシュタンガワールドも、どんどん狭くなってきてるらしい。気をつけよう。