朝から忙しかった。
起きてすぐにLINEを確認した。あれ?何もきてない。

起きてすぐに妻の顔をジッと見る。
「何かなくない?」
と聞いた。
「は?おはよう」
と返ってくる。

いつも朝一に妻とそんな会話をしないので、何か悪い予感がして深く考えたのだろう。
しばらくするとハッと気が付いた様子で、朝ごはんを食べている最中の上の子二人に向かって

「ゆーちゃん(長女)、おーちゃん(次女)、パパに『おめでとう』の歌を歌ってあげて笑」

気づいたか。
そう、今日8月24日は僕の42回目の誕生日だ。

 本気で凹んだ日

誰からも何も届いていなかった惨めなLINEも、それからバタバタと忙しかった。

中・高・大で未だにつながっている20人程度の腐れ縁に朝からニタニタしながらメッセージを乱射しまくった。

「久しぶり!君の生存確認のために、今日この日に誕生日を迎えたメデタイ俺が連絡してやったぞ。なんかくれ!俺は42歳でも老いに負けず飛躍を続けるで〜」

って、冷静になって朝からこれを受け取る立場で考えてみると、ゾクゾクっと寒気を感じるものを送ってしまったのだ。全く笑うところもないし、朝からグイグイくる感じがあまりにも主張しすぎている。

「なんかくれ!」

である。
朝起きて久々の同級生からこんなんきてたら間違いなくヒクよね。なぜ気づかなかったのだろう。これをやっちまったことで、今僕は途方に暮れている。
 


本当に久々にやっちまった感である。
可能であるならば、LINE乱射前のあの時に今からでも戻りたい。もう一度誕生日を0時からやりなおそうではないか。

その時は、あぁ、祝われたい。
プレゼントやひいてはサプライズパーティを企画するとか誰か考えろよ、って。

「おめでとう!」「誕生日を迎えるなんてすごいな、おまえ!」「前人未踏の快挙達成だな!」

なにか俺のメッセージに突っ込んでくれ!ボケてくれ!いじってくれ!絡んでくれ!
今日は俺が主役なんだから!

……ついつい浮かれていたんだ。

この抑えきれない承認欲求、自己顕示欲が42歳になっても自分の友達に誕生日を思い出させようとする典型的な嫌らしい活動を駆り立てたのだ。

この主張の仕方は、皆さんには決してお勧めしない。

自分のこの「なまじ冗談」で送ったLINEが、本来ハッピーなデイであるはずの誕生日を完全に苦しめた。

正確には今でも気にしていない素振りをしているけど精神的にかなり苦しい。ボーっとしているとつい考えてしまう。辛い。

どうやらほんまもんで嫌らしい感じに伝わっている可能性が高く、なんかあいつちょっとウザくね?となってしまっている可能性は、それはもう非常に高い。

さすがに既読スルーはやめてくれ。凹むから、まじで。おまえら。

何か返してこいよ、あと三人。

返信がなくて「あぁ、仕事中だしな」って自分を納得させていたが、もう仕事終わっているよね。飯食ってるのか?勉強中か?

田島の結婚式で一緒に「嵐」の「LOVE SO SWEET」を躍ったよね。
俺、松潤のパートを完璧に踊って「ちゃんと本番に合わせてきたね」って褒めてたやんか。

それともなにか?
「飛躍の一年」ってやつが年賀状みたいで季節外れだってイラっとしたか?

たしかにそれは一理ある。
今となっては自分の何が飛躍してきたのか、これから何を飛躍させようとしているのか、考え無しに「飛躍すること」を志しているだけで、そこには最低限の考察も深い理由も明確なゴールも、何もなかったとは思うし反省してる。 
情けない。すまん。

あまりに強い僕の欲求が完全に裏目に出たとしか言いようのない本末転倒な状況になってしまった。

このままではサプライズパーティは開催されないまま終わるかもしれない。

……え?

皆さんも、こんな42歳にならないで頂きたい。40代でこのノリはダメと言う見本を恥ずかしながらもご披露させて頂いた。

あ、今LINEがきた。
と、思ったらLINE Payのキャンペーン案内か。なんだこれ。うっとうしいな、いつも。いちいちいらねーよ。

 40代とはどんな年代か

さてこんな42歳だが、ここからは真面目にまだ40歳になっていない君たちに、40代とはどんな年代かを教えてあげよう。

孔子は「四十にして惑わず」と言ったが、自分のことがわかればそもそも惑うこともない。

一言でいうと
「40歳は人生の転機だ」

つまり「ようやく自分のことがわかる歳」が40歳だ。「上には上がいる」「すごい人と勝負をしてはいけない」と感じるのが40歳だ。
 



40歳ともなれば、自分の得意なことと不得意なことがわかる。ここから不得意なことに手を出しても、卓越することはできない。若い時は時間を投入することで克服できたことも、体力の低下で無理することもできない。

 


40歳は「肩書」や「所属する会社名」などは、ほとんど何の意味もない。40にもなって所属する組織を誇らしげに語るようでは小物扱いされる。むしろ「お前は何を成し遂げてきたのだ?」と聞かれるようになる。

成長している40歳は尖りが消え、謙虚さが身についてきて「丸くなってきたね」と言われる。僕は今の自分のことを「言い争いが嫌いな人」であると評価している。

長期の読者からすれば
「は?なに言ってんの、このおっさん。今さら君子に見られたいの?キモッ」
だろう。

しかしちょっと待って聞いてくれ。そして思い返してほしい。
ウザい長文の持論は往々にしてある。それは認めよう。そして謝ろう。

しかし「あーしろ」、「こーしろ」の説法や、そして「ブチギレしてやったぞ!!」なんて武勇伝は100記事以上綴ってきたが一度もなかったはずだ。

実際、現実社会において言い争って殴り合いの喧嘩に発展したなんてことは一度もないし、主張が食い違って口論になったとしても、ごめんなさいで済むものは容赦なくサッサと「ごめんなさい」をブッ放すし、その際に自分の世界観を相手に知らしめたいという気持ちなんて一切ない。

今の僕は、大人同士の人間関係の摩擦によって生じる険悪な空気というか、とにかくあれが死ぬ程嫌いなのだ。

だからLINEを返信せずに人間関係の摩擦を生むようなことをする大人の行動が嫌いなのだ。
そりゃ、毎日やりとりするのなら既読スルーしたところで摩擦を生まないさ。
それは俺もあるよ。愛嬌やん。

久々に送ったのだ。正月の「おめでとう」は言えてなんで誕生日の「おめでとう」は言えないのか。何を習って、何を経験値にして40年以上生きてきたのかと、俺はお前ら3人にそこを問いたいよ、まじで。

やばい、脱線したので話を戻そう。
40歳で、真の感謝を知る。
若いころは「皆に感謝」という言葉を口にする。しかしそれは単に自分を鼓舞するために、自分に向けて言っているだけである。

僕の言う真の感謝とは、
「自分一人で受け取るにはもったいない、誰かに分けてあげなければいけない」
「これだけ受け取ったのだから、だれもやりたくないだろうけど、私がやらなければ」

といった、分かち合いの感謝のことだ。

そして重要なこと。
40歳は「結局、家族や友人が最も大事だ」と気づく。20代から働き始めて、仕事の中で知り合った人が、40歳の今、どれだけ関係が続いているだろうか?

結局自分の人生において晩年の「あまり調子の良くない時」を一緒に過ごすのは、家族であり、友人なのだ。彼らを疎かにすれば、あなたは一人で老いを迎えなければならない。

そして最後に忠告だ。
一番ウザがられるのは昭和脳のおじさんである。「オレが努力したから、能力があったから」と40歳にもなっていっているようでは、未熟という他なにも残らない。君たちには絶対にこうはならないでほしい。


 そして本当に最後になるが……

俺みたいになるな。

非モテでキモがられる。
いや、42歳の誕生日に「なにかくれ!」LINEを送るくらいキモいから非モテか。

可逆的か不可逆的か。それはどっちでもいい。

とにかく俺みたいになるな。
辛い。

今だって、僕の心は既読スルーの3人への恨みで埋め尽くされている。君たちへのメッセージを心ここにあらずで 惰性的に文字を綴ってしまった。すまん。

色々と長文で書いてきたが、40代で一番ダメなのはLINEをミスることだと分かった。
外見は取り繕えても、既読スルーが精神的に大きなダメージを受けるほどに身体は弱体化しているのだ。

そして、別の角度からもう1つ言っておく。
既読スルーだけはするな。一回は返信しろ。それはマナーだ。クソみたいなものでいい。
なんなら「あ」でもいい。さっさと送ってこい。今すぐにだ。

なんならお前らが代わりに俺に送ってこい。
LINEのID教えるから。

いいな。今日言ったことを心得るのだぞ。

お前ら30代に幸あることを祈って、今日は静かにソッと目を閉じよう。