「信じられない。とんでもない、としか言えない。幸せです」

今までビッグマウスとも取れる発言を繰り返してきた水谷選手の口から出た「謙虚な言葉」が微笑ましかった。

卓球王国、中国。
今のトラック中距離界でケニア勢が上位を独占するように、僕のもつ卓球のイメージは中国が金・銀・銅を独占して表彰台に立って真っ赤な国旗が3つ並ぶ姿である。 

近年は福原愛さんが先導する形で卓球ブームに火がつき、次から次へと若手の卓球男女が世界で活躍できるまでに力をつけてきた。
そしてついに日本の地で開催されたこのオリンピックで、高くて厚い中国の壁を打ち砕き歴史的快挙を成し遂げてくれた。

今や昔のイメージと違って卓球は人気スポーツである。公益財団法人 日本中学校体育連盟のデータによると、卓球は男女ともに競技別の4位にランク。中でも男子は長年の花形スポーツに肉薄するまでに競技人口が増加している。

1位 サッカー 18万7708人 
2位 軟式野球 16万4173人 
3位 バスケットボール 16万190人 
4位 卓球 15万9737人 

 「人の行く 裏に道あり 花の山」

投資の格言がある。
直訳すると
「きれいな花を見たくて山に行くのなら、誰も行かないような裏山にこそきれいな花は咲いているんだよ」
という意味である。

今の時代は違うのかも知れないが、僕の学生時代は少なくとも運動神経の良い学生が卓球部に入部することはなかった。これは田舎に限ったことではなく全国共通であったと思う。運動神経抜群の学生は人気スポーツであるサッカー、野球、バスケットのいずれかに入部する。

何にしても大勢が競い合う場所は魅力に満ち溢れている。そこで勝てば人気者になれるし、名誉も手に入りそうだ。人から「羨ましい」とか「すごい」と言われたい欲求が僕たちを競争に駆り立てるのだ。 

僕たちの時代は卓球と言えば花形競技に比べてどこか「根暗」で「ダサい」というイメージがついてしまっていた。かと言って、卓球部をdisっているわけではない。個のスキル向上にひたすらフォーカスするならば卓球ほど適したスポーツはない。2人いればプレイできるし、天候に左右されない。そして何よりもケガをしにくいので長年楽しむことができる。

またビジネスの観点からみると、僕たちの時代で卓球部を選択した彼らは「策士」ともいえる。
自身が注目を集めたり、評価されるためには、スタート段階で「すごい人」が集まる場から専門をずらす戦略が有効である。スポーツの世界で言うと運動神経抜群の集団に入らず、別の世界に身をおいた勝負をするのだ。そういう観点でみた時に彼らは「策士」とも言える。

いくら才能があっても練習時間の大半を声出しで過ごさなければならなかったり、先輩が退いた後の3年生からようやく試合に出られるようになる人気スポーツは自身の才能を眠らせたまま終わらせる可能性だってある。
僕の学生時代における卓球部員は一年生から試合に出ていたし、県の大会でバンバン個人表彰されていた。

強いやつは人気のあるところに集まる。
強い人と競わなければ、甘い果実を掴むチャンスは増えるのだ。
人が群がって果実を奪い合う場所よりも、人が集まらない地味な場所に落ちている甘い木の実を探すのが策士の生き方だろう。

 これをビジネスに当てはめて考えてみる

文章作成が好きだからといって僕が「独立してプロのライターになって稼ぐ」と言えば、妻は泣いて全力で止めるだろう。もしかしたら子ども三人を連れて実家に帰ってしまうかもれない。
「家族を養うことができるほど一流になる」ためには、10代から前に進み続けて自分をブランディングし人脈を作りまくっている「既にスゴイ連中」と競争しなければならない。

プロだけではない。現在日本において稼働ブログ300万数、Note登録者数400万人。発信は素人でプチブームとなり日々、優良な記事が生み出されている。僕が40代から亀のような歩みで書き続けているようでは先行して手を止めないウサギには絶対に敵わない。
 
今、爆発的に店舗数が増えた「高級食パン」はどうだろう。

以前、創業したオーナーに話を聞いたことがあるが、パンの製造はほぼ機械化できるため専門的な知識や技術もそれほど必要がなく利益率の高い商品であるようだ。
新規参入がしやすくこんな美味しいビジネスはそうはないので優秀な経営者が片手間ビジネスでこぞって手をだし、ついには今年3月からあのモスバーガーまでもが参入を決めた。

もう完全にレッドオーシャンである。

既にメインビジネスで販売網を持つ企業と対峙して
「おれは高級食パンの世界でボロ儲けするんだ!」 
と意気込んでホットトレンドに食いつき、過当競争の分野に突っ込んでも自分のバリューは出せない。 

 恋愛(婚活)についてはどうだろうか 

以前、学生に向けたおっさんからの恋愛アドバイスとして下記のように発信した。

「良い子がいたら迷う必要はない。自分にとって一番の子に告白しなさい。ライバルがいても良い。一番好きな子にいくのだ。」 


婚活は学生の恋愛とは違う。

結婚はライバルとの競争ではないのだ。
強い敵と競争して承認欲求を満たすよりも、競争が少ない場所で甘い果実を探す方が合理的である。つまり独占である。
競争しない、独占を目指す。独自の価値観でお互いを認め合うことで、それぞれがパートナーの独占を勝ち取るのだ。誰とも競争することなく、新たな手法でパートナーを探す。

『アンナ・カレーニナ』(レフ・トルストイ著)の有名な書き出しにこうある。

「幸福な家族はどれも似通っているが、不幸な家族は不幸のあり方がそれぞれ異なっている」

幸せな家庭を築くためには「夫婦の価値観の一致」や「金銭感覚の一致」など、いくつかの条件を満たすことで実現が可能という考え方である。生涯を共にするパートナーは、人との競争ではなく独自の価値観が一致しさえすれば、それはどの家庭でも共通の「幸福」を得られるということだ。

 人と競争する生き方をやめることは現実的には難しいが、、、

持論をまとめよう。
生きている限り大なり小なり競争があってここから逃れることはできない。
しかし競争を避ける意識だけで結果は違ってくる。

需要はある。でも供給がない。
そういう道はおそらく「美味しい」のだ。

僕はやりたくない、みんなやりたくない。
でも、そういう道を躊躇なく選び続ける人が最後は勝つのだろうな。