感謝の人 | RUN!FUN♪RUN!

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走ることがそれほど好きではないのに、なぜかランニングを趣味にしてしまった怠け者のブログです。
走れば走るほど太るという奇跡のランナーの卒業ついでに
せっかく太った体を使って、1kg痩せると3分速くなる説の検証中。(※痩せる痩せる詐欺が止まらないため一時中止)

5月29日17時15分、祖母が亡くなりました。





大正生まれの97歳、大往生でした。







ばあちゃんは、私の亡くなった母方の祖母です。

子供は母を入れて、男1人・女2人の3人。

長男は私が生まれる前に亡くなっており、

長女である私の母も8年前に他界。

残ったのは、私の叔母にあたる東京在住の次女だけです。


その叔母に、ばあちゃんが週に1~2度通っていたデイサービスから

「黄疸が出ている」と連絡が入ったのは3月下旬。

胆管が詰まっているということで、即入院。


後日わかったことですが、

膵臓にがんがあり、その腫瘍が胆管を塞いでいたようです。


年齢もあり、叔母は一切の治療を拒否しました。

その結果、

わずか3ヶ月足らずで、ばあちゃんは天に還っていきました。

叔母をはじめ、孫、姪、娘婿など5人に看取られ、

とても静かで穏やかな最期でした。




入院しているばあちゃんを見舞うと、ばあちゃんは

「ありがとうねえ。嬉しいわぁ~。忙しいのに迷惑かけてごめんね」

目を輝かせて、必ず私を労ってくれました。


別れるときには

「ありがたかったわあ、ありがとう、ありがとう」

と私の手を両手で握り、

「また来るから待っててね」

という私の言葉に、かわいらしい笑顔で

「うん、待ってるよ。今日かなあ明日かなあと思って待ってるからね」

ベッドの上から手を振って、いつまでも見送っていました。



どんな時でも感謝を忘れず、

「いつも、ありがとうありがとうって言ってくれるんです。

自分の体はとてもつらいだろうに、必ず手を合わせてね」

看護士さんもリハビリの方もそう言って、とても良くしてくれました。





ばあちゃんはとても気丈な人でした。



お腹を痛めて生んだ子供を2人も先に見送るという、

身を切られるような辛い経験を乗り越え

入院したその日まで一人で暮らしていました。

97歳という高齢でありながら、

身の回りのことを全て自分でやっていました。

足は弱り動きが鈍ってきても、

身内に迷惑をかけまいと最後まで頭はしっかりしていました。




亡くなる前数日間は意識が混濁してきて、

うわごとを言うようになりました。

ばあちゃんが話す内容も聞き取れず会話もままならない中、

傍で看護していた叔母に、突然はっきりと


「みなさん、ありがとう。じゃあさようなら」


そう言って、それきりこちらの問いかけには答えなくなったそうです。

この世を去ったのは、その2日後でした。

それがばあちゃんの最後の言葉になりました。





元気な頃から一言も文句を言わず、

余計なことは言わず、悪口も言わず

会いに行くたび感謝を述べて、笑顔で優しいばあちゃんでした。



名を残すようなことなんか何もなくていい。

心から人に感謝できる、こんな人になりたい。









後悔はたくさんあります。


もっと優しくしてあげればよかった。

どうしてあの時、あんな態度で接してしまったんだろう。

どうしてあの時、ばあちゃんの望みを叶えてあげなかったんだろう。

元気な時にもっと会いに行ってあげればよかった。

用がなくても会いに行ってあげればよかった。


もっと会いに行ってあげればよかった。

もっと会いに行ってあげればよかった。







入院中のある日、ばあちゃんは叔母に

「私はしあわせだったわぁ」

と話したそうです。



あんなに可愛がってもらった不肖の孫の不徳のあれこれも

全て許してくれていたと思っていいのでしょうか。










今日、冷たくなったばあちゃんに化粧をしました。


私にできる最後の祖母孝行を、

きっとばあちゃんは喜んでくれたと思います。

はにかんで、恥ずかしそうに笑っている気がします。






明日が通夜、明後日が告別式です。

たくさん泣いて、自慢のばあちゃんを見送ってきます。









ばあちゃん、今までありがとう。

大好きだよ。

さようなら。


追伸:お母さんによろしくね!