こんにちは。音譜

 

今日は近くの植物園に母とお散歩してきました。

 

ネモフィラが、ほんとにきれいで、うっとりしてました。

 

 

 

では、今日は、瞑想で心が緩んでいったお話です。

 

長い間、私は怒りを感じないふりをして生きてきた。(内側に秘めていた)

 

小さな頃から、感情を表に出すことは「わがまま」だと教えられてきた。
悲しいときも、腹が立ったときも、泣く代わりに黙り込んだ。

 

長年どうしようもない怒りと憎しみを抱えていたけれど、
それを認めることすら、自分に許せなかった。(それにも気づいていなかった)

 

そんな日々が積もり積もって、気づけば体にも異変が出るようになった。
脱毛症——自分が壊れていくような感覚。

苦しいのに、辛いのに、平静を装っていた。

心を完全に閉ざしていた。

 

瞑想を始めたときは、ただ座って、呼吸を感じているだけで、心の中のざわつきや、

押し込めてきた感情がむくむくと湧いてきて、苦しい時間でした。

怖かった。妄想なんだけど、リアルにある感じで、体が震えた。

 

でも、それでも毎日、静かに座ることを続けました。
何かを変えようとするのではなく、ただ「今、あるもの」をそのまま見つめていく。
それがヴィパッサナー瞑想でした。

 

気づけば、少しずつ、心の奥底に溜まっていた重たいものが、ふわりとほどけていくような感覚が訪れるようになりました。
言葉にならない悲しみや、怒り・・・・・・・。

 

ただただ、気づいている状態。抑圧したり、見ないふりをするのではなく、気づいている。

しんどかったよ。嗚咽、号泣、すごかった。

 

でもね、少しずつ、深いところで癒しが始まっていたのだと思います。

ほんとうに静かに、でも確かに、心の奥で癒しが芽生えていたのかもしれません。

 

やがて、心と身体のつながりも変化しはじめました。
長い間、私を悩ませていた脱毛症も、気づけば少しずつおさまっていきました。
癒しというのは、大きな音を立ててやってくるものではなくて、
静かに、優しく、でも確かに、訪れてくれるものなのかもしれません。

 

癒しというのは、
「こうなりたい」「治したい」と強く求めたときにやってくるものではなくて、
むしろ、すべてを手放して、ただそこにあるものを見つめたとき、
そっと近づいてくるものなのかもしれません。

ヴィパッサナー瞑想の中で、私はそのことを少しずつ学びました。
努力することをやめたとき、コントロールを手放したとき、
静かに、でも確かに、心の奥から癒しが動き始める感覚があったのです。

 

20年近く、ずっと心の奥にしまいこんでいた痛み。
それが瞑想の静けさの中で、少しずつ癒されていくにつれて、
身体もまた、「もう戦わなくていいよ」と優しく伝えてくれた気がした。

 

自分の内側に、内側に入っていくことで、色んな事が変化する。

 

今日は、自分自身の心の変化について、お話しさせていただきました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

もし、瞑想に興味あるな。とピーンときたら

国際瞑想ヨガ協会

覗いてみてください。

 

フラワーエッセンスも続けていますよ。音譜