6/1 初夏の志賀高原~裏岩菅山 | 本日も一日一歩

本日も一日一歩

仕事の合間に、街歩きや読書をしています。見たこと、感じたこと、考えたことを少しづつでも綴っていきたいと思います。

 2024年6月1日(土)、長野・志賀高原の岩菅山(いわすげやま)と裏岩菅山へ行ってきました。

 80年代スキーブームでのスキー場軟派系ランキング本、「極楽スキー」で第一位だった焼額山スキー場の正面に聳える志賀高原最高峰の山です。

 

 

 岩菅山に登る前に、焼額山(やけびたいやま)中腹にある「一の瀬のシナノキ」を見に行きました。

 グーグルマップにも出ています。

 

 

 これが、一の瀬のシナノキ(科の木)です。

 樹齢は800年と推定されるとのことです。

 

 

 志賀高原は、スキー場などで開発され尽くした感がありますが、この一の瀬のシナノキは、長野県天然記念物として自然が残されています。

 

 

 一の瀬のシナノキ周辺には、サンカヨウ(山荷葉)が咲いていました。

 

 

 サンカヨウは、花弁が透明になるスケルトンフラワーと呼ばれます。

 

 

 

 雨が降って濡れるとすぐ透明になるわけではなく、低温多湿状態が長く続くなど、一定の条件が必要なようです。

 

 

 この日のサンカヨウは完全なスケルトンではなく、すこし透明がかっているといった感じでした。

 

 

 志賀高原にもこういう自然が残っています。

 

 

 こちらは、ミヤマエンレイソウ(深山延齢草)です。

 

 

 ツバメオモト(燕万年青)も爽やかに咲いていました。

 

 

 サンカヨウの半透明な花弁に初夏を感じました。

 

 

 岩菅山登山口の駐車場に着きました。

 

 

 8時26分、岩菅山登山口を出発しました。

 

 

 頭上にツツジが咲いていました。

 

 

 ムラサキヤシオツツジ(紫八汐躑躅)ですね。

 

 

 サンリンソウ(三輪草)も花盛り。

 

 

 八重咲のサンリンソウ。

 

 

 岩菅山山頂が見えてきましたが、ずいぶん高く遠く見えます。

 

 

 でも地道に登っていれば、遠かった岩菅山山頂ももうすぐです。

 

 

 10時27分、岩菅山山頂に着きました。

 右の石碑は、昭和4年8月7日に秩父宮と同宮妃の両殿下が登頂された記念碑です。

 秩父宮は、昭和天皇の弟宮です。

 

 

 そっけない山頂標識がありました。

 

 

 裏岩菅山方面に進みました。

 裏岩菅山は中央に見えるピークではなく、その右奥に霞んで見える方です

 ここからが結構、長かったです。

 

 

 ナエバキスミレ(苗場黄菫)です。

 

 

 フデリンドウ(筆竜胆)です。

 

 

 イワナシ(岩梨)があちこちに咲いていました。

 

 

 11時12分、裏岩菅山山頂に着きました。

 標高2,341m、志賀高原の最高峰です。

 

 

 山の斜面がスキー場のコースだらけの焼額山が正面に見えます。

 

 

 眼下に奥志賀高原ホテル、そしてはるか野沢温泉方面。

 

 

 北側へ続く稜線。

 

 

 谷を挟んで佐武流山方面。

 

 

 山頂部に残雪のある苗場山。

 

 

 先ほど歩いてきた岩菅山方面。

 はるか奥には、雲がかかった四阿山(あずまやさん)。

 

 

 裏岩菅山には、まともな山頂標識が見当たらず、こんなものしかありませんでした。

 国立公園志賀高原の最高峰山頂にしては、うら寂しい山頂です。

 

 

 再び西斜面、焼額山方面の眺めです。

 焼額山スキー場を開発した国土計画は、長野県とともに1998年長野オリンピック誘致の計画として、ここ岩菅山と裏岩菅山に世界レベルの滑降コースを造ろうとしましたが、自然保護の反対運動が強く、実現はしませんでした。

 当時、新聞で読んだそんな過去を思い出し、感慨にふけりました。

 

 

 裏岩菅山からピストンで下山に移りました。

 

 

 岩菅山山頂の避難小屋です。

 

 

 下山途中、登るときは気づかなかったシラネアオイを見つけました。

 

 

 高貴な姿と色で大好きな花です。

 

 

 こちらにも。

 

 

 シラネアオイを見れただけで幸せになりました。

 

 

 ミツバオウレン(三葉黄蓮)です。

 

 

 14時10分、岩菅山登山口に下山しました。

 

 

合計時間 5 時間 44 分  休憩時間 1 時間
距離 12.0 km  のぼり / くだり 1033 / 1024 m