奈良遠征最終日の4日目は、大峰山(山上ヶ岳)から稲村ヶ岳へのロングコースを歩きました。
まるで昭和にタイムスリップしたような懐かしい温泉街、洞川(どろがわ)温泉郷を通り抜けると、大峰山(山上ヶ岳)登山口の大橋茶屋の有料駐車場に着きました。
日帰りの駐車料金は、普通車1000円です。
大峰大橋を渡ると、夥しい数の「大峯供養修行塔」が建っています。
修験道の根本道場である霊峰・大峰山(山上ヶ岳)で修業した先達たちが建立したものです。
修験道とは、自然崇拝と神道や仏教などが融和し、深山幽谷に分け入って修行することによって神秘的な力を得、 自他の救済を目指そうとする信仰とのことだそうです。
ものものしい「女人結界門」があります。
5時44分、結界門をくぐりました。
大峰山(山上ヶ岳)は、令和になった現在でも女人禁制の山です。
大峯山寺からの警告板には、次のように書かれています。
この霊山・大峰山の掟は 宗教的伝統に従って 女性がこの門より向こうへ登ることを禁止します
針葉樹の中の薄暗い道です。
一本松茶屋を通過しました。
役行者(えんのじょうじゃ)の助け水です。
役行者の本名は、「役小角(えんのおづの)」で、飛鳥時代に厳しい山岳修行により不可思議な力を身に付けた修験道の開祖です。
謀叛の罪で伊豆大島へ流刑となったものの、毎日夜になると海の上を走って渡り、富士山に登って修行した、などという説話があります。
オオカメノキ(大亀の木)です。
アジサイに似た白い装飾花をつけます。
洞辻茶屋を通過。
朝の時刻が早いせいか、お店はまだ開いていません。
だらにすけ花丑出店を通過。
だらにすけ(陀羅尼助)は、役行者がその製法を教え伝え、今も売られている胃腸薬です。
まだ開いていませんが、だらにすけを売る出店があります。
だらにすけ丸松清店を通過。
ここから2つのルートに分かれます。
左は、古来よりの行者道で、急な岩場の難所があるようです。
右は、平成新道で、階段が多いようです。
安全策で右を行きました。
山上ヶ岳山頂が奥に見えてきました。
階段が延々と続きます。
「西の覗(にしののぞき)」という修験者が修行する行場に着きました。
断崖絶壁となっています。
修行は、ここから身を乗り出して行うようです。
西の覗からの展望
この後、向かう稲村ヶ岳も見えました。
山頂直下には、多くの宿坊があります。
大峯山寺の門をくぐりました。
山上ヶ岳山頂に建つ大峯山寺(おおみねさんじ)本堂です。
天武天皇元年(672)、役行者が苦行ののち、金剛蔵王大権現を感得し、その御姿を桜の木に刻んで堂宇に祭祀したことに始まると伝えられる修験道の根本道場です。
「皇太子徳仁殿下 御登山記念碑」があります。
今上天皇が、皇太子時代の平成2年、山上ヶ岳に登山されたことの記念碑です。
大峯山寺の現在の本堂は、江戸時代の元禄四年(1691)の建立で、高山に建てられた稀有の遺構とのことです。
この案内板のとおり行くと・・・。
8時31分、山上ヶ岳(1719.2m)山頂に着きました。
少し奥に、「聖蹟 湧出岩」がありました。
役行者が一千日の修行に入り、蔵王大権現を感得された聖地です。
一等三角点もここにあります。
山上ヶ岳山頂から、南側の展望です。
ここから稲村ヶ岳に向かいました。
女人禁制の山上ヶ岳に対し、男女自由に登ることができ、「女人大峯」とされるのが標高1726mの稲村ヶ岳です。
鞍部に下る途中、今にも咲きそうなツツジがありました。
稲村ヶ岳山荘に着きました。
稲村ヶ岳山頂への途中の絶壁に、小さな花が咲いていました。
オオミネコザクラ(大峰小桜)です。
オオミネコザクラは、見てのとおりサクラソウの仲間で、日本固有種です。
苛酷な環境の絶壁で、こんなに可愛らしい花を咲かせます。
10時07分、稲村ヶ岳山頂に着きました。
稲村ヶ岳山頂からは、大峰山脈の大展望が広がっていました。
南側、八経ヶ岳方面。
北東側、山上ヶ岳方面。
東側、大普賢岳方面。
下山に移りました。
再び、オオミネコザクラが咲く場所を通りました。
オオミネコザクラは、花の姿は可憐ですが、崖地でたくましく生きる植物です。
この花に出逢えただけで、この日、稲村ヶ岳に来た甲斐がありました。
稲村ヶ岳山荘前のベンチで、昼休憩としました。
鞍部のレンゲ辻に戻りました。
正面の女人結界門はこの日通ってきた山上ヶ岳方面です。
左手の下山路で降りました。
12時25分、大橋茶屋前駐車場に下山しました。
駐車場から見える大峯奥駈道(一部)の案内図がありました。
実際には、このように見えます。
合計時間 6 時間 44 分 休憩時間 31 分
距離 15.7 km のぼり / くだり 1465 / 1465 m