中山道あるき旅(第3日目 浦和-上尾) | 本日も一日一歩

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仕事の合間に、街歩きや読書をしています。見たこと、感じたこと、考えたことを少しづつでも綴っていきたいと思います。

令和2年1月25日、第3日目の中山道歩きをしました。

年末年始は息子の引っ越しのことやら何やらで、前回から1か月以上、間が開いてしまいました。

9時40分、JR浦和駅から歩きだしました。

 

 

中山道に入り、最初に寄ったのは玉蔵院。

弘法大師の銅像が迎えてくれます。

 

 

山門脇に、青銅レリーフの小谷野傳蔵翁頌徳碑があります。

小谷野傳蔵は、栃木市生まれで小谷野家の養子となり、浦和商業銀行の頭取のほか、浦和市の初代市長を務めました。

北浦和駅の開設に尽力し、文化教育都市としての浦和の発展に貢献するなど、その功績を記して徳風を永世に彰(あきら)かにせん、との解説板となっています。

 

 

このあたりが浦和宿本陣だったようです。

全く何の面影も残っていません。

 

 

本陣があったこのあたりは、現在、常盤(ときわ)という町名で呼ばれています。

かつて浦和宿では、昭和の初めまで二と七のつく日に市が開かれ、農産物などが取引され、賑わっていたそうです。

中山道から常盤公園に向かう市場通りには、野菜を売る納付のブロンズ像が置かれています。

 

 

「浦和宿二・七市場跡」の標識。

 

 

慈恵稲荷神社。

 

 

JRの線路を跨ぐ浦和橋を渡ります。

線路が6本あり、右の2本は京浜東北線、中央の2本は高崎・宇都宮線、左の2本は湘南新宿ラインの各上下線です。

 

 

サッカー、浦和レッドダイアモンズのマスコットキャラクターのレディアの像と選手の手・足型が中山道沿いに置かれています。

 

 

廓信寺入口に、「サツマイモの女王 紅赤の発祥地」との看板があります。

サツマイモの品種、「紅赤(俗称、金時)」は、大変形も味も良く素晴らしいと大正・昭和を通じて大評判となりましたが、それは北浦和の農婦、山田いちが明治31年に突然変異で生じた「紅赤」を発見したところから始まったとのことです。

 

 

廓信寺の境内。

左の像は法然上人です。

 

 

大原陸橋にある針ヶ谷庚申塔。

正徳4年(1714)と書かれています。

 

 

このあたりからは、関東周辺六か国の山が遠望できたため「六国見(ろっこくみ)」と呼ばれていたそうです。

 

 

2基の石仏が歩道に祀られています。

「火の玉不動尊・お女郎地蔵」です。

 

 

丁寧な解説板がありました。

親に捨てられ、旅館柳屋に拾われ育った美人の千鳥。

養い親が亡くなりその借金のため柳屋に身を沈め、ついには身投げした千鳥の霊魂は、慰められているでしょうか。

 

 

さいたま新都心の西側のビル。

 

 

東側のコクーンシティ。

 

 

旧中山道の表示。

 

 

中山道が二又に分かれます。

右側は、氷川神社の参道で、もともとはこちらが中山道でしたが、神域を街道を通るのが不謹慎と言われ、寛永5年からは現在のように駅前を通る道が中山道になりました。

 

 

この一の鳥居から氷川神社まで、けやき並みの参道が2km続きます。

 

 

参道横には、このように一丁から約100mおきに標石があります。

 

参道の途中で、「日本に唯一軒の地粉専門本格手打ちうどん」の看板があり、ちょうどお腹も空いてきたので入りました。

 

「二代目 巖鐵」とあります。

グーグルマップには「駕籠休み」となっています。

 

 

店の中はほぼ満席でしたが、ちょうどタイミングよくカウンターに座ることができました。

かき揚げうどんの並盛を頼みました。

 

 

かき揚げうどんが来ました。食べました。

極太の噛み応えのある、まさに本物の手打ち地粉うどんでした。

素朴かつ野趣あふれる感じで、満腹感も十分です。

ただし上品な女性には向かないかもしれません。

 

 

けやきの根元には、冬の花が咲いています。

参道脇には、おしゃれなカフェも多くあります。

 

 

「平成ひろば」という場所もありました。

 

 

こんな感じです。

 

 

 

案内板をみながら、参道の歴史に思いを馳せます。

 

 

「官幣大社 氷川神社」の大きな石柱、後ろは二の鳥居です。

 

 

参道横に、「氷川の杜 文化館」という施設があり、風情のある竹林の庭となっていました。

 

 

地元、大宮に在住し活躍した歌人、大西民子(1924-1994)の歌碑がありました。

歌碑裏の撰文でこの歌人を初めて知りました。

 

 かたはらに置くまぼろしの椅子ひとつ

  あくがれて待つ夜もなし今は

 

日本語の美しさを感じる素敵な歌です。

自分のそばに寄り添ってほしい人はもう帰らない、だから「まぼろしの椅子」なのでしょうか。

帰らないとわかっている人をぼんやりと待っていても仕方がないのに・・・、そんな絶望と諦めが伝わってくるようです。

 

 

三の鳥居の手前には、露店が出ています。

 

 

三の鳥居をくぐると、境内で、国歌「君が代」にも詠まれている「さざれ石」があります。

 

 

「戦艦武蔵の碑」です。

昭和17年、戦艦武蔵の竣工式には氷川神社より神職が出向し式を執り行い、また艦内の神社には氷川神社が分祀され武蔵神社と命名されたとのことです。

 

 

奥の建物が氷川神社拝殿です。

「大宮」の地名は、大きなお宮(氷川神社)があることに由来しています。

 

 

氷川神社の参道は、2kmずっと続く直線ですが、三の鳥居をくぐると不自然に左にカーブし、氷川神社拝殿に至ります。

実は、参道の直線延長線上にあるのが、氷川神社の摂社「門客人神社」です。

江戸時代後期までは、「荒波々幾(アラハバキ)社」と呼ばれ、大宮の先住民が信仰していた神だそうです。

「門客人神社」と名を変えても、また本社は氷川神社に譲っても、アラハバキの神は参道の正面だけは譲らなかったのです。

 

 

氷川神社の隣に広がる大宮公園を散策しました。

 

紅梅がもう咲き始めていました。

 

埼玉百年の森、と名づけられた所がありました。

 

 

不思議な枝ぶりの楠(くすのき)の巨木

 

 

県営競輪場もあります。

 

 

競輪場の中です。

この日は、場外レースでした。

 

 

大宮公園内に児童遊園があります。

ここにはかつて料亭「万松楼」があり、その立ち退き跡地に児童遊園が整備されたそうです。

 

 

動物園もあります。

入場無料です。

 

 

フラミンゴが間近に見れます。

 

 

大宮公園から氷川神社に戻り、再び中山道に戻りました。

享和2(1802)年に建立した馬頭観音です。

 

 

加茂神社です。

 

 

中山道沿いにある宮原小学校の栴檀(せんだん)の木です。

 

 

南方(みなかた)神社です。

 

 

中山道の路傍に、寛政12(1800)年の庚申塔がありました。

 

 

イオンモール上尾の建築工事中でした。

 

 

愛宕(あたご)神社です。

 

 

中山道の面影を探してしまいます。

 

 

氷川鍬神社です。

 

 

上尾駅前の丸広百貨店です。

 

 

今日のゴール、JR上尾駅に15時55分に着きました。

 

今日の歩数は、31,125歩、歩行距離は25.2kmでした。