風雲急告ぐ!撤退間近!譲渡も!山が動き始めたJR東海211系 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

ここ最近は、会津南部を除く首都圏外への遠征はままならず…

父の入院もあってそれは更に顕著な傾向だったのだが、3月26日の退院以降少しずつではあるが

足を延ばすようになってきていて、その端緒が28日の伊豆箱根鉄道の甲種輸送だった。

その頃、JR東海から大きなニュースが飛び込んできた。

リニア中央新幹線開業延期…もそうだが、315系に置き換えが進む211系の一部が、ここにきて

三岐鉄道に譲渡されることとなり、富田まで回送されたのである。

確かに規格上は問題ないとはいえ、なかなかの青天の霹靂でビッグインパクトであった。

それでなくても近年はひたちなか海浜鉄道やえちぜん鉄道、京都丹後鉄道、更にはミャンマー等

JR東海の車両は他のJR各社に比べると、車両譲渡は活発である。

最終的に15両が譲渡され、長い車両で還暦になる旧西武鉄道の401系や701系、新101系などが

いよいよ置き換えられることが現実的になってきたなと、強い思いを…


とは言いつつ、JR東日本管内ではまだ高崎界隈や、中央東線など長野界隈にも多く残っている。

JR東海は現有車は全て民営化後の製造だが、JR東日本では短編成化されたものの、国鉄時代に

製造された長老もトップナンバー含めまだまだ多数が生き残っている。

転用改造からまだ10年弱ということもあり、本格置き換えはもう少し先になるだろうか。

富士急山麓電気鐵道に乗り入れる定期運用もあるし、そちらの方が諸々記録したいが…


なんて言い出したらキリがないので、記録できる時にしっかり記録するに越したことはない。

しかも、今回の三岐鉄道譲渡に関連して引退時期は2025年度、とJR東海から公表されている。


ということで、3月28日の伊豆箱根鉄道甲種輸送に際し、211系もそれとなく撮影を増やした。

ダイヤ改正から熱海〜浜松間を直通する列車が増えたらしく、ゆっくり乗り心地を堪能するには

この列車を選ぶようにしたほうがいいかな、なんてことを一瞬考えたが…


これが併結されていると、話は別。笑


静岡に転入してから、2年。

孤高のグループは、今なお独特の存在感を保ち続けている。


相変わらず転換クロスシートに慣れない地域柄、未だに乗ると席の向きがバラバラ。

進行方向が逆向きだろうが、それでも座ってしまうから覆しにくい。

それさえ乗り越えられれば、熱海から浜松まで快適に乗り通すのも可能。

そういう車両を見てしまうと、やはりひと世代前のオールロングシートは不利だなと思う。


それでも、そんな情勢下で30年以上も一線で走り続けてきた。

各車両だいぶくたびれてきてはいるが、車体は錆びずに丈夫なステンレス。

大量生産でまだ部品の確保がしやすいこともまた、譲渡話のまとまる一因となっただろうか。


中央西線からは撤退したため、現状JR東海管内で残るのは静岡エリアのみになった。

一番長い編成は、東海道線での6両である。


そんな静岡エリアでも、313系を見かける機会はとても多い。

211系との併結も常態化している。


これがもう少しすると、315系も入ってきてさらに雰囲気が変わりそうだ。

既に試運転は始まっており、世代交代はもう間も無くである。


残るのは3両編成の5000・5600番台、そして2両編成の6000番台。

特に2両編成は当エリアにしかなく、希少価値は高い。

2両編成に置き換えが及ぶと、欲しがる地方私鉄も出てきそうではあるが。


さまざまな個性が拮抗する、静岡エリアへ。


時には、313系もこんな異端児が来たりするし!


残すところ、およそ1年。

なかなか距離はあるが、身近なJR東日本車と共に記録を増やしていければ…いいなぁ…と。

先日西武鉄道の話題に食いついた友人からは、こちらも勧められているのよねw

そうなると311系だって記録に赴きたいし、悩ましい夏が近づきそうである。



東海地区特有の前面展望も、どんどん希少になる。


捉えづらくなる前に、もう一押し!


JR草創期を支えてきた車両たちが、どんどん姿を消してきている。

私鉄もそうだが、鉄道趣味に一番興味を注いでいた時期に華やかに走っていた車両は、とりわけ

愛着が深かっだのだというのを身をもって実感している。


それは何も鉄道趣味に限らず、というのもまた実感するようになってきているのだが。


そんな強い思いが西へ、東へと、例年よりも力強く動き出す春となっていくのであった。