2024.3.15 ダイヤ改正前日、激動の一日。最後の255系「しおさい」惜別旅も大波乱⑤ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

昨日の朝、下書きに保存されていた記事が
誤ってアップされていた事案がありました。
気づいた時に慌てて消しましたが…
「いいね!」を戴いた皆様、すいません🙇‍♂️

有り難くも日々、記録ネタは蓄積してますが
慌てずにちまちまと書いていきます。
鉄道好きの皆様、気長にお待ちください🙇‍♂️

さて、ダイヤ改正前の255系旅は、6日ぶりの再会から少しだけ“延長戦”の様相を呈す。

ふと気が向いたため、銚子電鉄仲ノ町駅まで足を伸ばしたのである。


仲ノ町駅に着いて、まず驚いたのかこれだ。

デハ1002。


2015年1月の引退から、早いものでもう9年!

引退を記念した“最後の重連運転”の時には、寒さを押して駆けつけたものだったが。

あの時点でも疲弊は相当なものだったが、あれからさらに車体が朽ちている様子に胸が痛む。

だがその一方でパンタグラフが上がり、通電された生きている姿が!

話には聞いていたが、事業用として未だに仲ノ町駅の構内で稼働はしているようで。

今となってはすっかり貴重な、元営団地下鉄2000形の最後の生き残りである。


なおデハ1001は翌2016年まで走り、千葉県松戸市の昭和の杜博物館で展示保存されている。

コロナ禍による長期休館を経て開館日が限られており、中々見に行けるタイミングが合わない。

どちらも貴重な営団銀座線を遺す車両、末永く残って欲しいと思う。


そしてこの日、会ったのはこちら!


2000系2001Fである。


3月10日まで運用が公開されていたが、実際はこの日の朝まで細々運用されていたようだ。


しかし、この日遂に、3社60年以上に渡るその役目を完全に終えた。

その事実を知ったのは、この電撃訪問から1週間後。

その発表が公式でなされた時には、既に2両とも解体搬出されていたのだ。

結果的にギリギリまで引退に際して運用を公開していたものの、近年増えている


葬儀は近親者で相済ませました


というような感じで、あっという間に目の前から姿を消していったのであった。


それだけに、この日急遽仲ノ町駅に訪問したのは大正解だった。


そして、徒歩で仲ノ町駅を離れる。

これをもって、2001Fとは永久の別れとなった。

時間としてはごく僅かだったが、足を運んで良かったと思う。

9日よりも格段に静かで、1人で穏やかに対峙できたのは良かったと思う。


さて、すっかり暑くなった陽気の中、歩いて銚子駅に戻る。

銚子駅改札前のNewdaysでは、255系の記念グッズを販売。

多数取り扱いがあったが、とりあえずクリアファイルのみ購入。


店内も、惜別の装飾が…


と。

少し暑くなったので、名物の醤油ソフトクリームで一息。


そして、またJR線に戻って255系との対峙が始まるか…


まずは、普通列車で先を急ぐ。


結局これが、今のところ銚子で見た255系の最後となった。


とりあえず、お先に!


この時は、また帰ってくるつもりでいたのだが…

それは、しばらくの間お預け。

また元気な時に、帰ってこよう。


必ず!