この時期はもはや“ロスタイム”だった
昼食を兼ねた武蔵中原訪問を経て、16:07に鶴見へ再訪。
ここから、夕方のラッシュに向けて動きが活発化し始める頃。
205系の行き先表示は、技術進化の過渡期に翻弄された表示スタイルだったと言って良い。
特に海芝浦行きは、3色LEDの一番薄い色を使うことで青をイメージさせた。
同じ時期に京葉線に転属した201系は方向幕のままだったのだから、103系時代のまま方向幕を
流用すれば良かったのになと思ったが、当時の思惑は知る由もない。
なお今回のE131系は近年の技術進化でフルカラーになった一方、南武支線に移籍のE127系は
方向幕に回帰するなど、対応にチグハグな部分が見られる。
そんな時代に翻弄された205系。
先頭車化改造してまで鶴見線に転属するなぞ、当時は思いもしなかった。
だが後発の3000番台や、同じエリアの1200番台が先に消えた中、よく踏ん張ったと思う。
最初は違和感しかなかった前面デザインもすっかり慣れ、これがJR東日本最後の顔に。
そして、この夕方はまたも海芝浦を訪ねた。
ラッシュ時以外は、天気が良いこともあって観光目的の来訪客が多く見られた。
二面性の顔を持つ海芝浦駅。
そんな駅への輸送も黙々とこなし、気がつけばすっかり馴染んでいた。
自分も、205系が目的でなくとも折々に訪ねている。
ちょっと日常を忘れてふらり海を見に来るには、一番手軽な場所だった。
もっとも、カップルがいると気まずくもあったのだがw
ステンレスの銀色も、絶妙に風景に溶け込んで。
窓枠のフレーム越しの海も、また絵になる。
車体がステンレスで錆びない、というのは、海に一番近い線区事情には合致していたのだろう。
その伝統は、E131系にも引き継がれることになっていく。