2024.2.12【運用終了】続・鶴見線205系“本当の”営業運転最終記録①(南武支線付き) | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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長〜いこと追ってきた鶴見線の205系は、2月27日の平日03運用を持って運用を外れた。

2月29日には武蔵中原に回送され、3月2日の有料撮影会以降は広告が外され留置されている。

武蔵中原には引き続きT15編成も広告を存置したまま留置されているとの由だが、これをもって

鶴見線では205系の運用が全て終了したーと考えるのが妥当であろう。

約20年、3両編成の身軽な姿で余生を送ってきた鶴見線での205系の歴史に終止符が打たれた。


これをもって、首都圏からは南武支線のW4編成2両を除き営業運行は無くなった。

南武支線は3月以降も引き続き運用されているのだが、E127系と完全に共通運用となっていて

こちらからは朝7時くらいにならないと大勢が判明しない。

運用的に3日のうち2日入れば良い方だが、必ずしもそのパターンに当て嵌まらない日もある。

ともかくこちらからは、走っていたらまあラッキーかと思っておくくらいが丁度いいかも。


まぁ、どちらも記録は昨年から尽くせるだけ尽くした、という実感はあるが…

そんな実感を更に深めた記録を、2月12日に実行している。

それが自分にとっては、鶴見線では現時点で最後の記録となっている。


…同時に、南武支線も205系W4編成が03運用に運用入りしていて、移動中に記録を仕掛けた。

ということでまずこの日は、南武支線からスタートしている。

尻手駅2・3番ホームの川崎側は、この時点でホームがなにやら工事をした痕跡が。

この時は何だろう?と思っていたが、後日痕跡部分にホーム柵が設置されて先端が立入禁止に。

ここは長らく自主性に任せられていた感じだったが、いよいよ看過できなくなったのだろうか?


E127系も運用開始から半年。

衝撃のトレードも、走り始めてみれば割と違和感なく受け入れられているようである。

新潟では見られなかったEF210との並びも、定着したのだろうか。


さてこの日はまず、川崎新町で下車。


南武支線での205系運用が実質不定期化して以来、注目度は下がってしまった様子。

平日朝ということもあるが、それにしてもこの日は静かであった。寒かったし。


まずは折り返しを待ち、E127系試運転の際に訪れた川崎新町駅北側の踏切で迎撃。

前回みたいな不届き者もおらず、一人で静かに撮影。


朝は太陽の向きが気難しいが、それ以外はなんてことなく撮影完了。


ここからしばらくは、南武支線沿いを歩いて撮影していくことになるのだが…

乗っていて分かってはいたのだが、沿線で撮れる場所は意外に多くはない。

あったとしても、先の踏切同様朝の太陽の向きの気難しさにはたびたび翻弄されることになる。



続けて、川崎新町〜小田栄間の踏切で撮影。

この時は逆光で撮影時に速度制限標識を認識せず、かつ後追いを失敗している。


ま、しょうがねえか。


割り切りも、時には大事。


E127系も、それなりに。

日常的な風景も、やがて大事になっていく。


1ヶ所での撮影効率は、1/2。


晴れていれば、全て円満にいくものでもない。

そのあたりの気難しさを改めて実感した、今回の南武支線行脚であった。


そして、小田栄駅まで歩ききった。

まだもう少し、南武支線記録を続ける。

鶴見線は、それからでいいw