さらば“下町の緑亀&草団子”東武8000系8568F Nさんに捧ぐ3月3日亀戸線記録行脚① | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

昨年10月1日。
東武鉄道勤務で、かねてから交流があったNさんが急逝された。

夜勤勤務中にクモ膜下出血を起こして意識を失い、そのまま逝かれたそうだ。

まだ50歳、亡くなる直前までお元気だったというのに、非常に残念でならない。


Nさんとは鉄道イベントで知り合い、折々に交流があった。

鉄道イベントに参加していく中で現業の方々に会う機会が増していて、そのうちのお一人。

共通のつながりも多数あったからか、いつの間にか仲良くさせていただいていた感じである。


ここ5年ほどは亀戸線管区に勤務していて、先に掲げた写真は6年前の5月、1800系が引退して

発売された記念乗車券を亀戸駅に買いに行った時に、窓口で偶然会った際に撮ったものだ。


「お買い上げありがとうございます♪」


なんて、サービス精神旺盛で茶目っ気たっぷりにポーズを決めた稀有な一枚である。

だが、仕事場でお会いしたのはこの時が最初で最後のこととなった。

以降も、自分が墨田界隈に顔を出すたびにSNS上で


今日はオムライス(小村井駅)にいたのに!


とか


今日は非番〜


なんてコメントを送ってきてくれていたのに、悉くタイミングが合わず会うことがなかった。

往路は殆ど東京メトロ半蔵門線経由で押上に入っていたし、復路も近年は歩いて押上や曳舟まで
向かうことが増えていて、時にはそのまま隅田川を渡って浅草まで足を伸ばすことも。
墨田区コミュニティバス「すみまるくん」を使い東武亀戸線東あずま駅にアプローチする機会は
特にコロナ禍の後は(周辺に慣れたこともあるせいか)大きく減ってきていて…
いざ利用した際にも、日常利用の僅かな延長とすら捉えていた節のあった自分は撮影すらしない
乗車機会も多々あったりして、すっかり油断していたのだった。
何より、まだまたまNさんには会えるだろう、と極めて楽観していた自分がいた。

そんなところにもたらされた、Nさんの悲報。
あまりにも急な話に悲嘆に暮れ、さらに今年に入って…いや、それも今月に入って俄に動きが。

緑亀が引退だと??

亀戸線・大師線には、8000系に3種類の特別塗装車が存在した。
いずれも、東上・越生線や8111Fとは一線を画し、昭和30年代の一時期に存在していた標準色や
試験塗装を復刻したもので、このうち「緑亀」と称された8576Fは、1958(昭和33)年新製の
7860型4両に対して施されたグリーン塗装の車両がモチーフとなっている。

というか、そもそも緑亀なんて呼ばれていたことすらも全く知らなかった。

これが大師線で運用すると「草団子」なんて呼び名が変わることも。


しかし、考えてみれば8000系も更新されているとはいえ軒並み4〜50年を超えるベテラン。

すでに周辺各線では、京成電鉄AE車を更新した3400形を除くと最年長の部類に入る。

東武鉄道では、昨秋電撃的に定期運用が復活した8111Fを始めまだ多数8000系が残っている。


だが、ワンマン化改造が10050系にまで及び始め、館林地区で運用されていた8000系が淘汰。

比較的車齢が新しい車両(と言っても40年は有に超える編成ばかり)が、亀戸線・大師線系統に

玉突きで転入することとなり、経年の古い8568F(1974年製・50年!の引退が決まった。

ちなみにこの時は“3月引退”とだけ言われていて、もう少し猶予があるかなと思っていたのだが。


ちょうど3月3日に、いつものイベントのため墨田に赴くことになっていたため…

最初は押上駅から歩いて、下町人情キラキラ橘商店街に向かう途中で一閃捉えた。

この踏切は曳舟側の最後の踏切で、四つ目通りと交差する。

なお曳舟側のここは「亀1号踏切」と呼び、以降亀戸方面に向け番号が増え22号まで存在する。

※ただし11号踏切は過去に廃止され欠番


なお個人的には、ここと小村井側の6・7・8号の踏切をよく渡っている。

1・7・8号は歩きのほか「すみまるくん」利用時に、6号は押上へ歩く際に通ることが多い。


この日は、下町人情キラキラ橘商店街でのイベント後に近隣の小村井香取神社で開催されていた

梅まつりに向かい、帰ってきたキューピッドガールズのメンバーらと共に歩いて移動。

その際に8号踏切で、再び8568F通過を知って歩き集団から少々離脱して撮影。


8号〜7号間は、スカイツリーとのツーショットが綺麗に収まる稀有なポイント。

…とか言いながら、ここで撮影したのは初めてのことにw

2両しかない後追いは相当に忙しないが、咄嗟の割にはまずまず。


近年は情報経営イノベーション専門職大学が進出し、向かって左側の土地区画が整理。

昔ながらの下町の街並みと、ゆったりした大学の敷地が共存する不思議なエリアになった。

墨田区に通い始めて9年、一番変化の大きいエリアだが亀戸線だけが変わらない。


…そして梅まつりを観終わって、この日は横浜に毎年恒例のライブに行くことになっていたが…

実質解散したのが13:30頃で、ライブハウスの開場は17:00、開演が18:00。

移動を除いて少なく見積もっても3時間半ほど猶予があることが分かった。

このため、ライブ前に「東京スカイツリー周辺散策フリーきっぷ」を使用して、亀戸線の周辺を

可能な限りとことん回って、記録を尽くそうと思い立ったのだ。


この日、もう1本運用されていたのは8577F。

1982年製と8000系列の中では最後期の製造であるが、それでも車齢は42年に迫っている。

こちらは昭和30年代の標準色リバイバルカラーで、都電の塗装を逆にした感じである。


続けて、亀6号踏切で亀戸行きを迎撃撮影。

下町人情キラキラ橘商店街の最南端だが、押上駅に向かう時以外通ることは少ない。

しかもだいたい通るのが夕方以降のため、ここまで影に難儀するとは知らなかった。


それもあってか、ここではうまくいかず…

ただ、亀戸線は日中でも10分間隔。

この時でもまだ13:55、十分リカバリーが効く。


…そして、そのまま針路を北に変えて曳舟駅へ。

だがここでも、フリーきっぷを買って少しゆっくり歩き過ぎたか、

14:11、今度は曳舟駅での入線に間に合わず。


まぁしょうがないので、ここでも少し腰を据えて1本見送ることにした。


まずは、一回発車を見送り。


続けて、8577Fの到着を迎撃。

今回はこの編成の存在が格好のウォーミングアップであり、かつ一挙両得の記録となった。


こうして、亀戸線内初の記録は本格化していく。

Nさんの面影を辿りながら、影に翻弄されつつも貴重な歩きの機会になっていく。